連日の猛暑が報道されています。
私の住んでいる北海道はそれでも夏の日差しがそそがれて、暑い、暑い…
とはいえ、昨日の札幌は29度、30度はまだこえてはいません。
なのに道産子たちは暑さに弱いので顔を合わせれば「暑い、暑い」を連発していました。
西日本の皆様には申し訳ないとは思いながらも、
暑い、暑い…
いや、本当に暑いです…
そんな中、このような記事が目に止まりました。
7月17日に愛知県豊田市で起きた1年生の児童が熱射病で亡くなった悲しい、本当に心痛む出来事を受け、小学生をもつ母親たちへの取材をもとにレポートした記事です。
記事はほぼ全編、「危険なルールが放置されている学校」に対する批判であり、まるで「サバイバルゲーム」のような過酷な実態を訴える内容です。
主に保護者側の目線で「なんでなの?」という叫びが聞こえてきます。
それらについて、
いったい学校側はどう思うのだろうか
ということを長く学校で勤務した経験をもとに考えてみたいと思います。
なぜ登下校中に水やお茶を飲んではいけないのか
登校中にの前に、「水筒持参」自体が許されていない学校がたくさんあります。私が勤務していた学校でも特別な事情がある場合以外、水筒を日常的にオッケーにしていた学校は今考えると、1つもありませんでした。
理由としてはたぶん
水筒がないと困るという状況になかったから
です。
というか、
なかったと(勝手に学校が)思っていたから
です。
しかし、「本当は持って行きたいな。」「持って行ってもいいのならよかったのに。」と考えている子どもは大勢いました。
実際、「水道水の消毒くさい匂いが苦手。水筒を持って行ったらダメかなあ。」と子どもに相談されて「ごめんね、学校の決まりだから…」と言って許可しなかったこともあります。
水筒持参許可が議論になったこともあります。
しかし、
先生たちからは次のような反論が
ありました。
・持ってくるのはいいが、教室を離れたりすることもあり、水筒の管理はどうするのだ。(口にするものだから目を離さない。)
・中身毎日入れ替えて来ず、古いままにして、食中毒などが起きたら学校の責任になるのではないか。
つまり、
水筒を持っていくることで教員側の負担や責任が増える
という訳です。
これを読まれた方は、
「え〜そんなことまで考えてたら、窮屈でしょうが〜。」
と思われることでしょう。
しかし、もし自分のお子さんが汚れた水筒を持ち帰ってきたら
「なんで、先生はちゃんと見ていてくれないのだろう、口にするものなのに!」と憤るのではないでしょうか。
そういうことなのです。
つまり
学校側からしてみると
今までなかった取り組みを導入する時には
様々な状況、あらゆるリスクを想定し対処しなくてはならない
のです。
たとえ、水筒ひとつ取っても
なのです。
そのため、かつて、その必要性があまり叫ばれていなかった水筒持参を積極的に認めていなかったのではと思います。
(私は北海道しか知らないので他の県はそうではないのかもしれません。)
また、中身の問題も同様です。
「水とお茶」というとあまりバリエーションがありません。
想定しなくてはいけないリスクも少ない。
しかし、スポーツドリンクとなるとどんなものまでを保護者が解釈するだろう、と想定が難しくなります。
友達のを口にしてアレルギーを起こす危険性も考慮しなくてはならない。
スポーツドリンクに含まれる糖分で蜂を呼び寄せるという説もある。
保護者に経済的な負担を強いるのではないか。
などということ様々想定し、想定外が出てくるたびに協議の繰り返し。
モグラ叩きになることが懸念されるのでしょう。
登校中になぜ飲んではいけないのか
ということについては、おそらく
「飲み食いしながら歩くのは行儀が悪い。」というのが理由なのではないかと考えられますが、地域によって状況が違うのでなんとも言えません。
ラッシュガードも日焼け止めも禁止、見学も過酷なプール授業
というのも、先に述べた「今までこうしていて困らなかった。」
「新しいことをするにはいろいろな状況やリスクを想定しなくてはならない。」
というような理由が大きいのではないかと思います。
ラッシュガードは保護者の負担
日焼け止めはアレルギー等への心配などの理由があるのかもしれません。
プールサイドでの見学については、自分も行った経験があります。どんな内容の学習を行ったのかを入れない子にも知ってもらうためでしたが、健康状態はもちろん考慮して、フルで見学させたことはありません。
学校側で健康への配慮があったのかなかったのかは記事からは判断できないところです。
休み時間に外遊びを強要、「評価もつける」と教員
これが記事に書かれている通りだとすれば、人権問題だと感じます。
ただ、学校現場は上からの指導もきつく、全国統一の「学力テスト」や「スポーツテスト」などの結果に右往左往させられている実態があります。
多くの学校は体力向上の取り組みを学校として工夫するよう、都道府県教委などから指導を受けています。
その一環として「全員遊び」を通して運動に親しんでもらおうという取り組みはどこでも行われています。
ゲームなどで室内で遊ぶ子も多い中、体を動かす楽しさを知るきっかけになればという思いでやっている学校がほとんどです。
もし、それを「強要」と表現されると現場としては困惑せざるを得ない。学校だって上から強要されているということになってしまいます。
難しい問題ですね。
ただ、現場の教師たちは子どもたちに運動する機会を与えて元気になってもらいたいと、真摯な気持ちで、自分も子どもと一緒に汗を流している人がほとんどだと思います。
記事によると、教師の指示に従わないと「悪い評価」というペナルティーを課しているということですが、どのようなことなのか、人権問題に配慮されているのか、とても心配であることは確かです。
教師による「強要」を擁護するつもりは全くありませんが、という前置きをした上で、学校にはある程度の「規則やガイドライン」が必要だということは多くの方々の同意を得られるのではないでしょうか。
そしてそれは学校の秩序のため教師がやり易くするためという側面の他に
「隠れた目的」(隠れたカリキュラム The hidden curriculum )
があると思います。
例えば「時間を守る」
「がまんする」
「元気な挨拶」
更には「男子と女子」
「自分の位置」
「学年と年齢」
など…
「学校ってなんだろう」〜教育の社会学入門〜刈谷剛彦著 ちくま文庫 2005年 より引用
これらのことが「学校」という制度を通して私たちの意識にしっかり刷り込まれていきます。
今回問題になったことも、「決まったことを守る」「がまんする」ことを美徳とする隠れたカリキュラムに縛られていたということも考えなくてはならないのかもしれません。
そういったことに目を向け、考え直していくことも必要なのではないかと思います。
とにもかくにも
何よりも大切なのは
子ども。
かけがえのない子どもの命ですよね。
豊田市の悲しい出来事は、決して繰り返されてはならないことです。
私の住む北海道も、今まで経験したことのないような豪雨や長雨などに苛まされています。
「今まで経験したことのないような」気候は全国的な問題であるならば
学校も
「今まで経験してこなかったような」判断も必要なのかもしれませんね。
厳しい気象条件の中で
子どもの命を守る
ために、大人たちみんなが協力しなくてはならない時代になったのだと感じます。
熱中症についてより詳しくは次のサイトを参照
最後になりますが
この度、愛知県豊田市で起きた大変悲しい出来事で亡くなったお子様のご冥福を心よりお祈りいたします。