katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

風と砂山の記憶 〜エピローグ・閉校〜

あの角を曲がったら、学校があるはず。

 

と思ったら、殺伐とした野原が広がっている。

鉛色の空から斜めに突き刺さるようにみぞれが叩きつけている。

 

道を間違えただろうか、と思った矢先に 視界の右端に風変わりな円形のくすんだオレンジの建物が見えた。

その建物が、これから赴任する学校だと気づき、何とも暗い気持ちになってしまった。

 

それが以前、このブログに何編か書いた「風と砂山の記憶」シリーズの舞台となったI小学校こと、石狩市立石狩小学校との出会いである。

 

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あの日から30年余りたった先日、

 

本当に久しぶりに「あの角」を曲って石狩小学校を尋ねた。

あの時とはうって変わって、またとない晴天。

 

オレンジの校舎は青空に映えて眩しい。

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今年で開校146年目を迎える北海道で最も歴史の古いこの学校は

今年度末で閉校となることが決まった。

 

その知らせを聞いて、かつて此処で一緒に勤務した懐かしい同僚と待ち合わせ、訪ねたのである。

 

閉校の知らせには正直驚いた。

 

児童数の減少は聞いてはいたが、いまだに60名近くの子ども達が通っているのになぜ閉校になるのだろう。

 

現職の校長先生に閉校の背景やその後子どもたちがどうするのか等について伺った。

 

児童数の減少に加え、校舎の老朽化が閉校の理由とのこと。

閉校後、子どもたちはスクールバスに乗り、石狩川河口に掛かる大橋を超えて北側にある八幡の小学校に通うことになるとのこと。

 

私はその話を聞いて釈然としなかった。

全く納得できなかった。

 

地域のこと、そこに根を張っている歴史のあるコミュニティーのこと。

子ども達もその成員に他ならないのに。

 

スクールバスは石狩川の河口の砂嘴にある現在の学校をスタートし、現在の校区の南端まで降ったのち、石狩川河口橋を超えて八幡小まで行くとのことである。

 

夏でも30分近く掛かるその行程、冬は時間がさらに掛かるのみならず、危険も伴う。

 

凍った河口橋を60人の子どもを乗せて毎日往復するスクールバスを運転する側の苦労も並大抵のことではあるまい。

 

ホワイトアウトすることなど、日常的な地域である。

 

校長先生も

「校区が川を挟んでしまうと、子どもたちは放課後遊びに行き来することができなくなってしまいますよね。河口橋を友達と遊ぶために自転車で超えていくのは難しいことですよね。」

 

と残念そうに話していた。

閉校が決まってから赴任し、閉校事業や事務を任された校長先生も、割り切れない気持ちを抱いているようであった。

 

子どもの人数が減るということは地域の人口が減っていることに他ならないのだから

「仕方のないこと。」なのだろうか。

 

学校は子どもたちの学びの場というだけでなく、地域コミュニティーのコアでもある。

子どもを通して大人も繋がる場である。

 

学校が消えることで、さらにこの地域な人と人の繋がりが希薄になるに違いない。

 

この統廃合の話の端端に透けて見えるのが

「金が掛かるから、廃止にしてしまえ。」

ということだ。

 

少子化、人口の減少、地域社会の崩壊。

「金が掛かるから、廃止にしてしまえ。」

という掛け声がそれに拍車をかけている。

 

60名の児童数は少ないだろうか。

 

私は教師も子ども同士もお互いをよく知り、お互いをケアしながら育ち合うのに最適な人数ではないかと思う。

 

かつての都市部の千人を越す子どもの数こそ、困難を生み出すのではないかと思う。

大量に、かつ効率よく労働者を作り出すことが学校の役割だった時代など、もうとうの昔に終わっているのだ。

 

少なくなってしまったのなら、その少ない子どもたちや地域の繋がりに丁寧にお金を掛けていかなくて、どうやって「持続可能な社会」を形成していくというのだ。

 

「少ないから、お金を掛ける。」べきではないのか。

 

 

兄弟のように深く関わり合って生きてきた子どもたちの濃密な日常。

近所の顔見知りのおじさんやおばあちゃんとの道端での立ち話。

もうなくなってしまっていた地域で唯一の商店での世間話。

 

そんなもの引っくるめて

「金が掛かるので、廃止してしまえ。」

 

ならば、やがて人はどこにもいなくなる。

「金が掛かるので、日本全部、廃止してしまえ。」

 ってことだ。

 

 

校長先生に

「地域の反対の声はなかったのですか?」と聞いてみた。

 

子どもの通学時間に心配の声は上がったようだが、大きな反対運動はなかったようだとのことだった。

 

もうその体力が地域に残っていなかったということなのだろうか。

切ない気持ちになった。

 

 

 

校舎を出て、私も私のクラスの子どもたちも大好きだった砂山に上がってみた。

私の記憶の中の砂山より、ずいぶん小さくなっているような気がした。

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 てっぺんからは、昔と変わらず海が見える。

 

10月の優しい陽の光が砂を照らしている。

子どもたちと一緒に、よく寝そべっていた砂の上に座り、グラウンドをしばらく眺めていた。

さすがに10月の陽射しは砂を温めきれないようで、砂からは冷たさが伝わってきた。

 

 

不意に、鳥の群れが草むらを飛び立ち、真っ青な空の向こうへ飛んで行った。

こんなに晴れて風の穏やかな日はこの地では稀なことなのだ。

 

久々の、

そして、ここが学校である時間のうちの、

おそらくは最後の訪問が

こんな穏やかな日であったことが、砂山に

「おかえり、よく来てくれたね。」

と言ってもらえた気がした。

 

「ただいま。私はやっぱりここが大好きだよ。」

 

私の教師としての学びの原風景。

ここからの景色は

学校がなくなっても

 

忘れることはできない。

 

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