こんばんは。
今日も海辺の小さな学校での話です。
ラデッシュの話の少し後の事だったと記憶しています。
最近はほとんど見なくなった学校の取り組みの一つに
「写生会」
というのがありました。
かつてはどこの学校でも取り組んでいて、
私が在籍していた平成の初めの頃はこの学校でも全学年で取り組んでいました。
低学年は「灯台」、
中学年は「八幡神社」、
そして高学年は「廃船」
と描くものがずっと決められていました。
どれもこの地域ならではの独特なモチーフです。
特に、石狩川の河口にうち捨てられたような「廃船」は見上げるような大きなものが何隻もあり迫力満点、様々な画家の題材にもなっていて有名なスポットでした。
低学年の担任だった私は
「灯台」もいいけれど同じような絵になるし、
何か他のものはないか思案
していました。
子どもたちにとって、写生会の日は描くだけではありません。
学校から灯台のあるところまでの結構な道のりの砂の上を歩いたり転がったり、
ハマナスの実をつまんでぶつけ合ったり、
潮風に向かって大きな声で歌ったり。
絵はそのついでに描いちゃおうというような1日です。
その行き帰りや描いている最中の遊びの方が楽しいのです。
今考えると、実にのどかなものでした。
ものを観て描くのもいいけれど、せっかくだったら、何かを体験し、それをまるごと描く対象にするのも面白いのではないかと考えました。
地域にどんなものがあるか考えているうちに、
クラスのAちゃんの家が鮮魚店であることを思い出しました!
そこで、色々な魚を見せてもらい、魚を描くのも海辺の学校らしくていいのでは、と単純に思い付いたのです。
さっそくAちゃんのおうちに子どもたちと出向いてもいいかを相談し、
快諾を得て写生会をすることになりました。
Aちゃんのおうちの鮮魚店には大きな生け簀があり、近くの漁港で上がったばかりの魚が泳いでいます。
陳列台にはいろいろな魚がギョロリと目をむいて並んでいます。
「うあ、こっちを見てるよ!」
「おおっきな口、食べられちゃいそう~!」
「ふっくらおなかが黄色くてかわいいのもいるよ。」
子どもたちは大はしゃぎです。
「触っちゃダメだよ!見るだけだよ。」
何せ売り物だし、はしゃぐ子どもたちを落ち着かせるのも大変です。
町の魚屋に来るだけでも、
みんなで来るとこんなに楽しいのだなと思いました。
近海で捕れる、特に珍しくはない魚ですが、
みんなで観ているといろいろな発見があるようです。
店先で描くというのも落ち着かず、
店主のAちゃんのお父さんが
「これ持って帰りな!」
といって、店では売り物にはならないらしい
「あかはら」や「うぐい」、少し傷のある「いか」等を分けてくれました。
そこで、みんなで手分けして学校に持ち帰り、教室のブルーシートの上に並べて描こうということになりました。
学校に着くとするとまたも大騒ぎ。
店先では
「触っちゃダメ!」
と言われていた魚も
学校に戻ると触り放題!
「あー、海の中だ!お魚泳いでる~~!」とシートの上でお魚と遊び始める子どもたち。
手づかみでシートの上を滑らせたり、ヌルヌルしているのも気にせずに、持ち上げて見上げたり、もうてんやわんやです。
鱗もはがれてブルーシートの上もギラギラギトギト…
あ〜〜、もう…もう…
端で見ていた私はあまりの生臭さに
すでに「持って帰らなければよかった…」
とひどく後悔しました。
そんなことには一切構わずに、ころころと遊んでいる子どもたちを見て、はらはらながら
「よし、写生会だからお魚たち、描こうか…」
というのが精一杯でした。
「うん!描きたい!!」
と子どもたちは屈託無く楽しそうにお魚たちを描き始めます。
弾むように隊列を組んだウグイたち。
向かい合って言い争っているようなアカハラ。
たくさんの足を前後左右に振ってダンスしているイカ。
実際にはない岩や海藻を描いている子もいます。
一緒に泳いでいる自分を描く子もいます。
ブルーシートの海は子どもたちの想像の中で、自分たちとお魚たちのファンタジーの世界になり、思い思いの姿に描かれていきました。
子どもたちは自分たちの体験と想像を織り交ぜながら描いていきました。
すべての子が、自分らしい作品を描いていきました。
どれも傑作でした。
生臭いのも忘れ、私も楽しくなって、絵を見ながら子どもと色々な話をしました。
中には
「先生、イカはすごいんだよ、かっこいいよ!足がね、なんと10本もあるの。足に付いているぶつぶつはこんなにいっぱい。耳の形はね…」
と言いながら、とても低学年とは思えないほど写実的に描いている子もいました。
その子は、
何度も何度もイカを触りながら実に深く観察していました。
教師が
「いいですか、よく観て描くんですよ。」
などと言わなくても、
そうしたくなる状況次第で、「観る」し、「描く」のだ、ということは本当なのだと思いました。
それまで私は、
巷で言われるように
子どもには発達段階があり、ステップを踏みながら発達していくという考え方に知らず知らずに縛られていました。
しかしその日
それまで幼い頭足人を描いていた子が、
いきなり大ジャンプ、大人顔負けの写実的な絵画を描いてしまう事にあっけにとられてしまいました。
見つけた事を見つけた通りに描きたい、と願った時に
自らの願いを叶えようと、
それまでの自分をヒョイと越えていってしまう事があるのだ
という事実を知りました。
正直、楽しかった事を生き生きと描ければいいなくらいに思っていた私。
そんな、子どもを見くびった私の予想をあっさり越えていったパワフルな一枚一枚の作品。
教室に立ち込める生臭さをしばし忘れ、
その日、またも起きた事、見た事をどう考えたらいいのだろうと考えていました。
それまでの固定観念を覆し
心から
教師は子どもの力を信じて、
委ねて、支える
存在であるべき
と自信をもって言えるまでには、それからそんなに時間は掛からなかったと記憶しています。
夕方、魚まみれの教室の真ん中で呆然としていた私を同僚が心配して、一緒に魚を片付けてくれました。
あとで
「あんなに臭い教室の中で、にやにや笑って絵を観ているぞ、いよいよこいつ、おかしくなったのか?と思ったよ。」
と大笑いされました。
私のほんの少し型破り?な取り組みを
「面白い奴が、面白い事をやっているぞ。」と
いつも支えてくれた同僚たちがいてくれた事は
実はとても大きな事でした。
今思い返しても
支え合えた同僚に恵まれた事は、一番大事な事だったかもしれません。
風と砂山しかない殺風景な学校。
それはやがて私にとって
素朴な子どもたちと心優しい同僚たちから、たくさんの宝を見つけ出す喜びに満ちた
学びの原風景となっていきました。