久しぶりの更新です。
実は今、夏に行われる心理の資格試験の勉強に勤しんでいるのです。
受験勉強なので、ひたすら
「知識を詰めこむ」
日々にせねばならないところではあるものの…
なかなか進まず焦っています…
なぜ今更「心理」の勉強など、と周りの人から言われます。
その理由はかくかくしかじかあるのですが、
それはさておき、
今更始めたこの勉強が
ことの外
「おもしろい!」のです。
学生時代に教わった発達心理学。
フロイト、ユング、スキナーにソーンダイク。
ピアジェにエリクソン。
パブロフの犬やクレッチマーの性格診断。
エスやリビドーだの夢判断だの…
「懐かしいなあ。」
と思うと同時に
「これらの事が実際の現場での経験にどう生かされてきたのだろう。」という事を考えてみたりします。
実際、一昔前までの授業研究には
「スモールステップ」や「プログラム学習」など、行動主義の学派の人々の説を、当たり前として位置づけていたし、
クラスでよく取り組んでいた
「決まりを守れたら、シールを貰えて、ゴールまで行ったら賞状を貰える。」などというシステムは
オペラント条件付けに基づく、トークン・エコノミー法という技法だったんだ。
などということが改めて(しかも今頃)知ったりすることも面白かったりします。
でも、
教育現場での日々の出来事にとってはそれはそれ、これはこれ。
「心理学」という学問の世界の説は、大まかな傾向ではあるのだろうけど、
「今ここ」の課題に常に直面している現場では、万事通用するわけでは全然ないではないか。
と思っていると、
きちんとそういう理論を展開している学説もちゃんとたくさん存在していて、どんどん面白くなってくるのです。
更に、その時代その時代で「常識!」だ、とされている理論に対しても
「批判」や「論争」があり、常に更新されているということも興味深いのです。
「へー、そうだったんだ、おもしろいなあ。」
と思い始めてしまうと、そこで「知識を流し込む」勉強はストップ。
ハマってしまいそうになり、受験のための勉強が進みません…
やれやれ、今も昔も変わらない私です。
昨日は
アメリカの心理学者 ユーリ・ブロンフェンブレンナーの「生態学的システム論」というのにちょっとハマりました。1960年代にアメリカではこれに基づいて行政のシステムが変容したとのこと。
何で、大学時代になんで教わらなかったのかな(教わったけど覚えてなかったのかな。)
今朝は
ノーム・チョムスキーの生成文法の話にハマりかけてしまいました。今まで、テキストや本で学んだ発達心理学の話と全然違うだろう、どうしてなんだ???と思ってしまいます。
こんな壮大なものに引っかかっていてはこの先の受験勉強、大変な事になってしまいます。何百年経っても試験に合格できない〜〜!
適当なところでストップ!
といいながら、思うことは
この年まで生きてきて、
「なんて知らない事だらけなんだろう!」
こんなに膨大な知識の世界をがあり、ほんのちょっとだけ踏み込むと
それがさらに倍増して、自分がどんどん小さくなって、それらに飲み込まれてしまいそう!
という事です。
そしてそれは、決してマイナスな思いではありません。
受験のために始めた勉強ではあるけれど、
始めて本当に良かった
と思えるのです。
(こんな事を呟いている間に、勉強しろ!笑)