katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

風と砂山の記憶2 〜海辺の小さな学校.図工の時間のこと〜

もうずいぶん昔の話なのですが

軽トラは新卒で道央の中都市の大きな中学校に勤めました。

教科は美術。

 

軽トラはグラフィックのデザイナーになりたくて美術系の学部のある大学に進学しました。

ところがそこは教育大学で、周りのみんなが教員採用試験を受けている勢いに巻き込まれ、なんとなく教師になってしまいました。

今考えてもずいぶんいい加減な動機で教師になったものだと我ながら呆れてしまいますが、

そんなこんなで、ヤンキーみたいな中学生がゴロゴロいる中学校の新米教師になってしまいました。

校内暴力VSゼロトレランス

みたいな大変な学校でした。

指導力のない教師は必要ないといわれ、いうことをきかせられないと教師としての自分の居場所がなくなる世界でした。

だから、「教師は子どもに絶対になめられてはいけない!」と虚勢を張り詰めて仕事をしていた訳です。

 

 

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そんなところを経て異動してきた海辺の小さな小学校。

 

流れる時間も、空気も、空間も全く違う世界でした。

そこで過ごすうちに

学校は未熟な子どもに知識やしつけを教えるところ。教えやすいようにいうことを聞かせるところ、と思っていたことが

「なんか、違う気がする…」

と思うようになってきました。

 

やがて、子どもたちと日々ふれあい、日々語り合い、成長の仕方を観ている中で

「絶対に、違う!」

という思い変わっていきました。

そう思わされたエヒソードを綴っていきたいと思います。

 

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低学年の図工の時間のことです。

前庭に出て、草花の絵を描くことになりました。

子どもたちは何を描こうか各自物色中。

 

その最中、ある子どもが2、3週間前に植えたラデッシュの葉が大きくなっていることに気づきました。

 

「ねえ、みんな、見て見て!こんなに葉っぱが大きくなっているよ!ねえ、先生引っこ抜いてもいい!?」

と言い終わらないうちにその子は勢いよくラデッシュの葉を引っ張りました。

するとどうでしょう!思いもよらないほど大きくなった赤紫のラデッシュが飛び出してきたのです。

「うわー!大きいよ、大きいよ!」

 

その子の声につられて集まってきた子どもたちもびっくりして

「本当だ!すごいすごい!!」

と大騒ぎになり、あっという間にラデッシュの収穫大会になってしまいました。

土を落とそうと、外の水道でラデッシュを洗うとまた歓声が上がりました。

「あっ、きれい!真っ赤だ真っ赤だ!」

水の勢いで土が飛び、ラデッシュの鮮やかな色が現れて陽の光できらきら輝いていました。

「先生、ラデッシュ描きたい!!」

「わたしも!」

子どもたちは夢中になって、画用紙いっぱいに真っ赤な二十日大根を描き始めました。

 

赤いクレヨンが足りなくなった子は

「よく見ると、茶色や青のところもあるよ。」と言いながら、

 

実を大きく描きすぎてはみ出してしまった子は

「葉っぱも描きたいから画用紙を足して描こう。」

 

などと、迫力満点の絵が出来上がっていきました。

描きあげた時の子どもたちは満面の笑顔、満足そうでした。

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私はその出来事に深く感動してしまい、

子どもたちの作品を眺めながら涙が出てしまいました。

「いいかい、みんな。絵はね、大きく描くんだよ。画用紙の真ん中にね。色はしっかり塗りましょう。」

などという、

見栄えのいい絵を描かせるための指導は、大人の勝手な都合に過ぎなかったのだ、

と心底思いました。

 

その絵を廊下に掲示したところ、他の学年の先生たちからも驚きの声が上がりました。

「すごい!こんなに迫力のある絵、どうやって指導したの?」

と尋ねられました。

 

「指導したというか…していないというか…。とにかく、子どもたちの持つ力に私も驚くばかりなんです。」

と、答えるのが精一杯。

 今もその答えを探し続けて続いているような気がします。

 

とにもかくにも、

子どもは自分の経験や感動や思いを描きたいように描く。

思いを表現するために図工の時間がある、

ということを

 

私はこの日

子どもから学びました。

 

子どもがいれば、日々何かが起きて大変ではありましたが、少し見方を変えただけで、それ以上に素晴らしい発見がある。

 

そんな海辺の学校での話を少しずつ書いていきたいと思っています。