前回の続き、
後半です。
前半はこちら
最初に断っておきますが、前回引き合いに出した先生の事を、私はこき下ろそうと思っていません。
話の成り行きで、批判的なニュアンスだったかも知れませんが、特別にひどい先生だとは思いません。きっとそんなに独善的ではないのだと思います。
こういう先生は実際、たくさんいて、ちゃんと日本の教育を担ってます。
その多くは真面目で、頭も良く、子ども思いだったりします。
本人は本当に子どものためを思って
良かれと思って
「ピンクの太陽」を描かせないのです。
その理由を考えてみたいと思います。
◽️そういうマインドセットの中で生き続けている
マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。
マインドセットという言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ている。
多くの先生は「私の言うことを聞くこと」が
子どもにとって自身の評価を良くし、社会でよりよく生きて行けると思っているのです。
「ピンクの太陽」を描くような風変わりな子ではなく、正しい太陽、みんなと同じ太陽(どんな太陽かよくわからないけど)を描ける子に成長させようとやっきなのです。
「ピンクの太陽」はちょっと極端な例かもしれませんが、教師が正しいと思った事と違うことは、ちゃんと潰しておかないと子どもが将来困る、と信じています。
自分もそう生きてきて、社会で安定したそこそこの地位を得る事ができた。
その方が生きやすい世の中だと信じているし、そうではないと誰も否定する事は出来ません。
否定を受け入れる余地はありません。
そういうマインドセットの中で生き続けている以上、そこから抜け出すことは今までの自分を捨てることと同じになり、容易なことではありません。
子どもたちは学校で
・自分の目標をもち、それを達成すべく、毎日生き生きとしていなくてはならない!
・相手の目を見て大きな声で挨拶できなくてはならない!
・集団生活のきまりはしっかり守らなくてはならない!
・授業中は手はお膝、お口チャック、正しい姿勢で!
などなど、
「できなければならないこと」がたくさんあります。
多くの教師は、どれもできるようになってほしいと迷いなく願い、こういうことができる子が社会でうまく生きていかれると信じられていて、疑われることはほとんどありません。
ただ、これが行きすぎて、教師個人のおかしなこだわりまで徹底しようとしたり、やろうとしてもできない子さえも追い込んでしまったりする場合が時々にあり、それはさすがに「論外」と言われるのでしょう。
それとはまた別の側面もあります。
◽️教師としての自分の評価に不安がある
自分の評価は子どもだけでなく、大人にとっても大問題です。
教師たるもの、絶対に子どもになめられてはいけません。
今現場は若い教師が増えています。そういう教師に先輩教師たちは
「最初が肝心!」
「厳しく、手を抜かないで!」
「甘やかしてはダメ!」
とアドバイスします。
朝の会から帰りの会まで怒りっぱなし、なんて日ばかりはよくある話。
子どもの側からすると
怒られっぱなし
です。
指先一つで子どもが指示通りに動く、右といえば右、左といえば左。ベテランの「指導力のある」先生が子どもを動かしているのを見て憧れを持ちます。
あんな風にならなければ、周りに認めてもらえないと焦ってしまう。
頑張ってもできないのは、うまくいかないのは子どものせいだから、
いくら言っても言うことをきかないのはなめられてるからだ
とばかりに
怒鳴り叫び、威嚇し続ける!
学習規律が整った授業をしなくては、他の教師や保護者に授業を見られた時に何を言われるかわかったものではありません。
手の挙げ方、
発言の仕方、
話の聞き方、
ノートの取り方、立ち方、座り方、
全部決めて徹底
します。
決まりごとが多いと、こぼれる子も多くなり、教師が不機嫌になる時間も増大します。
「⚪️⚪️君さえいなければ…」
「△△さんはどうしてできないんだ…」
「あなたたちのせいで私が非難される!」
…怖い教室の風景ですね
こういう教室も実は結構あるのです。
こうなると
子どもは概ね次の3種類
に育っていきます。
⚪️教師の気に入られるような振る舞いを覚えて順応する=とりまき組
⚪️自分を出さずに、怒る教師の前では仮面をかぶる=気配消し組
⚪️指示されたことがうまくできず、(理解納得できず)標的になることが多い=不満分子組
そして全体の雰囲気は殺伐としていて、子ども同士のつながりが希薄になり、周りの子の気持ちに無関心になり「チクチク言葉」の応酬になります。
なんのことはない、教師の真似
をしているだけなのです。
学級崩壊の多くは、学習規律が行き届かずに起こるというよりも、そのような状況で不満分子組が中心となって起こることが多くあります。
学習規律は必要
です。
素晴らしいアクティブラーナーの子供たちは概ね謙虚で友達思い、礼儀を知っています。
学び合う仲間に対しての敬意は必須だし、決まった時間の中で、集団で活動している以上、お互いうまくいくようにきまりを作った方がスムーズなことあるでしょう。
でもそれは、
「相互にとっての利益を相互に承認」
してこそ有効です。
教師の都合では子どもだって納得できません。
私の学習室に来ていた子がこんな話をしていたことがありました。
私は勉強が楽しくない。
先生は自分で考えろというけど、何を考えていいかわからない。
先生はわからないなら質問しなさいというけど、そもそも何を聞かれてるかわからないから、質問なんてできない。
友達に聞こうとしたら
「しゃべるな!」
と怒られる。
仕方ないので、ぼーっとしていたら、先生がやってきて
「何してるの、真面目にやりなさい!」
と怒られる。
ムカついて下を向いたら
「誰のために授業やってるんだ!」
と怒鳴られる。
この子は「誰のためにやってるんだ。」という教師の言葉にとても傷ついていました。
そのまま、この先生に問い返したいですよね。この言葉、
誰のための授業なんだ!
「ピンクの太陽」に端を発して
何故こんなことが起きるのか
何が「教師の心を追い詰めているのか」考えてみました。
一つ目の「マインドセット」の問題は追い詰められているという自覚は教師にないので、
正しくは
「実は知らず知らずに子どもを追い詰めている教師の姿」
というべきかもしれませんね。
皆さんのご意見をお待ちしています。