katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

鎮魂の旅を終えて

今年のGWは10連休。

 

この休みを利用して東北地方に出掛けました。仙台から山形、福島そして宮城と巡りました。

 

前半は土砂降りの雨に当たったり、寒さに震えたり、山道で霧の中、道を間違えたりしました。

しかし、この低温のおかげでか、遅咲きの桜があちこちで美しく咲き、旅の楽しみを倍増させてくれました。

山形の「山寺」の桜は、山全体を包み込む深い森林の香りに包まれながら優しく咲き、心を癒してくれました。また、会津若松の鶴ヶ城の城内の桜は風に無数の花びらを踊らせて、道に淡いピンクの絨毯を敷き詰めて出迎えてくれました。

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観光地を巡る中で、車窓から眺める景色は、もうすぐ始まる田植えや色々な作物の作付けの準備をする人達を見かけました。

桜の花々はこれから本格的に始まる生産の季節を応援するかの様に咲いているようでした。

 

こうやって春になり、夏になり、秋になり、1年がまた巡って来るのだ、

 

そうやって、何十年も何百年もここの地方の人たちは暦を手繰って生活してきたのだな。

と、人々の暮らしの息吹を感じることができました。

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しかしながら

 

その「当たり前の1年」が今から8年前の3月のあの日に、

突然失われた事を嫌が応にも色々な場所で目の当たりにせざるを得ませんでした。

 

太平洋側の海岸線の道沿いは、其処彼処で防潮堤に覆われていて、今だに工事中の所が数多く見られました。

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海辺を走っているのに海が見えない。

磯の香りも、波の音さえも聞こえない、不思議な光景が続きました。

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そして

石巻から女川町へ北上、再び石巻市に入り、海から5キロ上流の北上川に架かる大きな薄緑色の鉄橋の手前。

 

そこで私は

一生忘れられない、

忘れてはいけない

震災遺構に出くわしました。

 

その遺構が目に入った時、その遺構がもつあまりにも大きな意味を受け止めきれず、

あまりにも辛すぎて、胸が苦しくなり

 

ただその場でハラハラと泣くことしかできず、立ち尽くしていました。

 

これを記述している今も

涙がこぼれます。

 

その震災遺構の名は

 

旧石巻市立大川小学校跡地です。

 

予定のルート上にこの遺構がある事をドライブの途中で知りました。

立ち寄る事をためらいましたが、行くべきではないかとも思いました。

 

しかし、

遺構が目に入った瞬間の衝撃は大きく、未だに気持ちの整理がつきません。

光景は目に焼き付いていますが、それを文章で描写することは

辛すぎて

今は出来ません。

 

ここであの日、起きたとこ、その瞬間まで

いつもと同じ日、

いつもと同じ時間が流れていた事。

 

子供達の明るい声が響いていた校庭、その周りに築かれていた塀に描かれた子供のカラフルな壁画。

ユニークな形の玄関ホール。

何十年も続くはずだった未来。

 

目の前に広がった「遺構」となってしまった学校。

その事実の果てしない重さ。

 

ここから何を学ぶべきかとか、どうすれば良かったのかとか

教訓めいたことや、たやすく命の尊さとかを語る言葉は、全く何も私には見つかりません。

 

 

遺構に手を合わせ、帰る道すがら。

北上川沿いを内陸に走る沿道には、遅咲きの桜が美しく咲いていました。

 

繰り返し繰り返し、季節を告げる桜の花と

時間が止まったままの風景を心に刻みながら

 

鎮魂の旅となった今回の記憶をいつまでも忘れずにいなくてはいけない

と思いました。

 

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今更ですが「心理学」の勉強を始めました①

久しぶりの更新です。

 

実は今、夏に行われる心理の資格試験の勉強に勤しんでいるのです。

受験勉強なので、ひたすら

「知識を詰めこむ」

日々にせねばならないところではあるものの…

 

なかなか進まず焦っています…

 

なぜ今更「心理」の勉強など、と周りの人から言われます。

その理由はかくかくしかじかあるのですが、

 

それはさておき、

 

今更始めたこの勉強が

ことの外

「おもしろい!」のです。

 

学生時代に教わった発達心理学。

フロイト、ユング、スキナーにソーンダイク。

ピアジェにエリクソン。

パブロフの犬やクレッチマーの性格診断。

エスやリビドーだの夢判断だの…

 

「懐かしいなあ。」

と思うと同時に

「これらの事が実際の現場での経験にどう生かされてきたのだろう。」という事を考えてみたりします。

実際、一昔前までの授業研究には

「スモールステップ」や「プログラム学習」など、行動主義の学派の人々の説を、当たり前として位置づけていたし、

クラスでよく取り組んでいた

「決まりを守れたら、シールを貰えて、ゴールまで行ったら賞状を貰える。」などというシステムは

オペラント条件付けに基づく、トークン・エコノミー法という技法だったんだ。

 

などということが改めて(しかも今頃)知ったりすることも面白かったりします。

 

でも、

教育現場での日々の出来事にとってはそれはそれ、これはこれ。

「心理学」という学問の世界の説は、大まかな傾向ではあるのだろうけど、

 

「今ここ」の課題に常に直面している現場では、万事通用するわけでは全然ないではないか。

 

と思っていると、

きちんとそういう理論を展開している学説もちゃんとたくさん存在していて、どんどん面白くなってくるのです。

 

更に、その時代その時代で「常識!」だ、とされている理論に対しても

「批判」や「論争」があり、常に更新されているということも興味深いのです。

 

「へー、そうだったんだ、おもしろいなあ。」

と思い始めてしまうと、そこで「知識を流し込む」勉強はストップ。

ハマってしまいそうになり、受験のための勉強が進みません…

 

やれやれ、今も昔も変わらない私です。

 

昨日は

アメリカの心理学者 ユーリ・ブロンフェンブレンナーの「生態学的システム論」というのにちょっとハマりました。1960年代にアメリカではこれに基づいて行政のシステムが変容したとのこと。

何で、大学時代になんで教わらなかったのかな(教わったけど覚えてなかったのかな。)

 

今朝は

ノーム・チョムスキーの生成文法の話にハマりかけてしまいました。今まで、テキストや本で学んだ発達心理学の話と全然違うだろう、どうしてなんだ???と思ってしまいます。

 

こんな壮大なものに引っかかっていてはこの先の受験勉強、大変な事になってしまいます。何百年経っても試験に合格できない〜〜!

 

適当なところでストップ!

 

といいながら、思うことは

 

この年まで生きてきて、

「なんて知らない事だらけなんだろう!」

 

こんなに膨大な知識の世界をがあり、ほんのちょっとだけ踏み込むと

それがさらに倍増して、自分がどんどん小さくなって、それらに飲み込まれてしまいそう!

 

という事です。

 

そしてそれは、決してマイナスな思いではありません。

受験のために始めた勉強ではあるけれど、

 

始めて本当に良かったf:id:katoreen101:20190323074555j:image

 

と思えるのです。

 

(こんな事を呟いている間に、勉強しろ!笑)

 

 

教育の中のマイノリティーを語る 〜札幌市民交流プラザ・札幌市図書・情報館にて前川喜平を読む〜

札幌市市民交流プラザ札幌市図書・情報館に遅ればせながら、

 

初めて来ました。

 

ここの図書は貸し出しはできないのですが、カフェの様な素敵な雰囲気の館内でじっくりと読むことができるのです。

 

www.sapporo-community-plaza.jp

 

 

最近始めた心理の資格試験の勉強と思って訪れたのですが、手に取ったのはやっぱり教育関係。

 

前からずっと気になっていた前文科事務次官、前川喜平氏の

「教育の中のマイノリティーを語る」

をピックアップ。

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まずは、

前書きで、すでに感激!

 

そこからいくつかの文を引用します。

 

◯憲法には「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(第26条)と書かれています。

能力というと、つい、あるないと捉えられがちですが、ここはさまざまな能力に応じてと解釈すべきだと思います。能力とは今回の5つの対談の中で話してきた様に(前川氏はこの本の中で5人と対談している。そこでそれぞれ「高校中退」「夜間中学」「外国につながる子ども」「LGBT」「沖縄の歴史教育」をテーマにしている。)

単一の尺度で測れるものではなく、一人ひとりがそれぞれ多種多様な能力を持っています。むしろ能力という言葉よりも個性という方がいいのかもしれません。

それぞれの個性に応じてひとしく、

 

このひとしくということばは「もれなく」という意味で、誰もが同じ内容・形式の教育を受けるという意味ではありません。

 

誰もがそれぞれの個性に応じて教育を受ける権利を持っているはずですが、現実にはそれが実現されていません。

とくにそれが実現していないケースが多いのはマイノリティの人たちに対してと言えるでしょう。

均質な人材を大量に育成しようという近代的な政治・経済の要請に従った教育政策のなかで置き去りにされた人たちがたくさんいました。

 

 

◯日本の教育政策が目指すものは、戦前であればいい兵隊、戦後は経済成長に役立つ人間づくりでしょう。経済成長に役立つ人間をいかに育てるか、生産要素としての人間という見方です。いかに生産性の高い労働力にするか、そういう教育が続いてきました。

そういうなかで制度からはじき出された人たちがたくさん出てきました。教育の中のマイノリティはそうした画一的な人材養成の仕組みから落ちこぼれたともいえます。

 

いまの文科省は相当な部分で内閣官房に牛耳られています。とくに大学政策が顕著です。

 

とにかく経済成長に役に立つ人間をつくれという。たとえば、マイノリティの研究のような非生産的な研究に金は使うな、いわんや反日的、自虐的な歴史研究などは絶対にやめさせろという。

 

◯私が学生の時に勉強した憲法のテキストは宮澤俊義さんが書いたものでした。宮澤さんは、思想の自由市場のような言い方をしていました。色々な思想が自由に表現される。そのなかでまっとうな思想が生き残ると考えていました。ところが、まっとうな思想が、レッセフェールで放っておいて生き残れるのか。

 

いまの状況を見ていると、まっとうではないほうがはびこっているのではないか。

 

 

◯これからの教育を考えるときに、

 

学習権というものを根本において考えるべきでしょう。

 

私は仮に憲法を改正するということでれば、学習権をきちんと書き込むべきだと思いますが、もちろん、いまの憲法のなかでも13条の包括的人権規定や23条の学問の自由を合わせて読めば導き出せるものです。その根っこには個人の尊厳というものがあって、

 

一人ひとりが学ぶことによって自分の尊厳を保ち、それを発揮し、実現することができる。学ぶ権利は根っこの権利として確立すべきものです。

 

 

◯これからの教育、教育行政は、これまでのように国のための経済成長を貢献することをよしとするようなモデルから、

 

学習権を基礎に一人ひとりの尊厳が生かされ、学ぶことによって個人が人格を完成させていくようなモデルに組みかえていくべきです。

 

 

前川氏は

「憲法の理想を実現することが行政の仕事だと思っていました。しかしマイノリティの子どもたちの教育の機会を保障することが文科省の仕事の中でもできなかったという気持ちをずっともちつつ、十分できなかったまま退官してしまいました。」(実際には政治の圧力で辞めさせられたというのが本当だと思いますが。)

とも書いています。

 

教育行政のトップにいた方がこんなにもまっとうな考えをもっていたこと、

そしてそのために、不当な政治の圧力にあがない、職を解かれたという事実。

 

怖いですよね。

 

私が所属する、「北海道学びのネットワーク」では教室の中にいながらも学習権を保障されていない子どもたちの学びをどうつくっていくかを研究しています。

教室の中での一斉指導がつくりだす「マイノリティ」の問題に立ち向かおうという

気持ちを、前川氏の言葉が勇気づけてくれたように思いました。

 

 

 

風と砂山の記憶8 〜風で遊ぶ・つくることと学ぶこと〜

前回は吹雪の話でほぼ終わってしまいました。

記述している間に色々思い出し、話が止まらなくなってしまいました。

 

そんな、北海道の厳しい自然の中。 

 

今、学校の統廃合が進み、僻地の学校が急速に数を減らしています。

風と砂山の記憶シリーズの舞台になっている学校も来年度で川向こうの学校に統合され、廃校になると聞きました。

あの特徴的な円形校舎もかなり年数が経っているはず。取り壊しになるのかと思うと寂しい思いは否めません。

統廃合は大都市のS市でも進んでいて、今年度で小学校は2校閉校するとのこと。

昭和50年代の新設校ラッシュからほんの4〜50年での大きな変化を見てきた身としてはつくづく時代は変わったんだな、と考えさせられます。

 

ある研究会に出席した時にこんな事を言っていた先生がいました。

 

都市部はともかく、そうでない所の少子化は本当すざましい。

本当に一握りになってしまった子供達。この子たちを1人残らず、どうやって大切に育むか、誰も落ちこぼさず、全ての子供の学びを保証する事から目を背けては未来はままならない。」

 

どんなにたくさん子どもがいたって、全ての子供の学びを保証する事は実は当たり前のことではあります。

 

しかしなんとなく、勉強についていけない子どもは一定数必ずいるという漫然とした思いが教師の中にもあるのです。

子供が少なくなって

「これではまずい。」

と言う声は、他の教師たちの共感を呼んでいました。

学びを保証することは当たり前だし、その学びの質も本当に大切です。

 

しかし

これだけ子供が少なくなっても、ひとクラス40人。

一斉の教え込み授業は全く減っていません。

 

皆の前で手を挙げて発表できる一部の子と、黙って黒板に書かれていることをノートに写す事を勉強だと思っている多数の子を育てています。

 

教員定数も増やさず、非正規雇用で定数を満たしていたものの、今その非正規の教師の数が全く足りない。

 

S市の小学校のほとんどは基準の教員定数を満たしていないのが現状です

 

子どもが少なってきたのなら、時代の移り変わりに応じた資質能力を育むための条件整備をしていかなくては、と思うのですが、制度も意識も移り変わらない。

子どもが少なくなったのなら、統廃合して効率をよくしてしまおう。という

「いかにお金を掛けないか。」

という根拠が透けて見えています。

 

行政は統廃合のメリットばかりを言いますが、

小規模校での一人一人の子どもにとって、それがどんな影響があるのか、遠距離の通学を含めてしっかり見とるべきだと思います。

 

さて、さて

海辺の学校で子どもたちと過ごした日々のエピソード。

ある子がつぶやいた

「先生、風ってみえるんだね…」という事をきっかけに

 

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 「風」を素材にした題材を考えました。

 

「風」は子どもたちにとって自然に生活にとけ込んでいました。

地元の少年野球チームはまちの学校と試合するとき、なぜか風の弱い日は負けてしまいます。

しかし強風の日は常勝でした。

「町の奴らは風が強いとフライが取れないからね。」と野球チームの子たちがドヤ顔で話していました。

このチームはほぼ毎日強風の中で練習しているので、風を味方にゲームを進めることが得意なのです。

 

私のクラスには、低学年にもかかわらず天気予報が得意な子が多くいました。

指をペロッと舐め、空を指さします。

指先の感覚に集中して

「先生、もうすぐ晴れるよ、浜風吹いてるから。」

などと、いうのです。

 

 「浜風」とか「 陸風」とか「凪」とか

およそ子供らしくない風を表す言葉のバリエーションをもっているのには感心させられました。

天気に敏感でなければ、あっという間に荒天に巻き込まれるので小さいうちから観察力が付いているのでしょう。

 

そんな中取り組んだのが

 

 「ひらひらぱたぱた・わたしのふきながし」

という題材です。

 

当時の資料を引用します。

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地元の教育研究会の中に自ら立ち上げた、図工造形遊び研究小委員会で作成した実践資料集の中に残っていた記録です。

文字の部分が読みずらいのですが、

 

・鯉のぼりを例にとって筒状の基本形の作り方を説明したこと。

・基本形ができたら、自由に飾り付けをして竹竿に糸で縛り付けたこと。

・自分の身体より大きい吹き流しが風を受けて、悠々と青空を泳ぐのがとても心踊る ものだったこと。

 

等などと書かれています。

 

青空を背景にし、色とりどりの吹き流しが舞う光景は大変きれいで、カラー写真が見つからないのがとても惜しいです。

 

当時、「造形遊び」研究小委員会というグループを作り、たった4人で「造形遊び」について実践を通して考察していました。

 

実施されて間もない生活科と造形遊びとの関わりなどを議論していた記憶があります。

 

その辺の事をまた次回ふり返って書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

風と砂山の記憶7 〜吹雪の日〜

今、北国は一年で一番厳しい季節をむかえています。

 

石狩湾から入り込む強い西風が吹くと、降り積もった粉雪が舞い上がり、辺り一面真っ白。視界が効かない中車で前に進むとあっという間に吹き溜まりにはまり込んで身動きができなくなるなんてよくあること。

でもでも、

ホントにひどい吹雪はこの頃少なくなってきたなぁと感じています。

 

海辺の学校にいた頃は、S市から15キロの道のりを車で通勤していました。

 

夏は速度違反に気を付けて毎日快適ドライブなのですが、冬の通勤はなかなか辛いものがありました。

何せ、

雪が降るのは上からではなく横から

積もる雪はサラサラ粉雪なので降ってなくても風が吹くと舞い上がり視界が妨げられます。

冬はほぼ毎日西からの強い風か吹いているのでほぼ毎日視界不良。

つまり雪が舞っている中を走るのが当たり前の日々でした。

 

問題はその度合いです。

進行方向の道の端や道路脇のポールが見えるうちは全然大丈夫なのです。このぐらいだと対向車も見えるので、スピードさえ控えれば何とかなります。

さらに風が強まると一瞬全く見えなくなることがあります。見えなくなるたびにブレーキを踏むと後ろから突っ込まれる事もあるのでむやみにかける事も危険。そういう事態に備え、前方の景色を目に焼き付けておき、見えなくてもスピードを緩めず進んでいく技術が必要でした。

そうしていても吹き溜まりに突っ込んでしまう事もあるので気は抜けません。

が、この程度でも、目的地にはちゃんとたどり着けるので耐えられないことはありません。

 

もっともっと酷くなると、

 

一瞬ではなく、ずっと全く見えなくなるのです。

右も左も上も下もわからない、とにかく全て真っ白。

まるで

「牛乳の中」

にいるような感じになることもありました。

見えないからといって停まると埋まってしまったり、後続の車に追突されたりするかもしれないのでノロノロでも進み続けるしかありません。

フロントガラスも凍りつきワイパーもデフロスターも最大に稼働させても、ほとんど前が見えないので決死の覚悟。

ゴーグルを着用し、運転席側の窓を開けて顔を出して前方確認しながら進んでいくしかありません。

左右は高い雪の山になっているのでまっすぐ進んでいるつもりでも、

いつの間にやらどちらかに偏り、雪の壁にぶつかってしまいます。

右にぶつかっては左にハンドルを切り、左の壁にぶつかっては右にを繰り返し、進んでいくのです。

対向車が来てもわからないので運を天に任せて進むしかありませんでした。

道はやがて国道との交差点に出るはずなのですがその目印となる信号機が全く見えません。

普段大型トラックがよく通る道だけにその交差点に闇雲に突っ込んでしまうのは大事故につながってしまうので本当に怖かったことを覚えています。

 

まあ、そんな道を6年間よく通勤していたものだと今更ながらに思います。

 

そんな中を子どもたちは通学して来るのです。

臨時休校になった記憶もあまりありません。

吹雪で臨時休校にしては休んでばっかりになってしまうからだったのでしょうか。

朝は近くの子と一緒に、保護者に送ってきてもらったりしていましたが、帰りが集団下校になることもよくありました。

 

この集団下校も大変でした。

 

行きは、ひとかたまりになって歩くし、子どもを引率しているという緊張感もあり、なんとか達成するのですが、帰りは教師1人になるため本当に過酷。

道の端の雪の壁を伝いながら手探りで前に進みます。学校からRV車を持っている同僚が迎えに来てくれるのですが、すれ違っても気がつかないほど視界がないことがしばしばでした。

やっとの思いで学校にたどり着くと、ようやく帰還した同僚たちが玄関で倒れ込んでいます。

みんな髪の毛が凍りつき眉毛も真っ白。お互いの顔を見てホッとして雪男、雪女みたいになっている顔を指さして大笑いしたものでした。

 

そんな日は放課後に予定していた会議なども

「もう疲れたからやめよう。プリント読んでおけば何とかなるさ。」

「そうだね〜。」

などと言ってやめてしまうのでした。

 

吹雪のことを思い出しているうちに、ずいぶん文章が長くなってしまいました。

子どもの学びの様子を書くはずなのに、

自分が大変だったことばかり、一体何を言いたかったのでしょうか〜〜(ごめんなさい!)

 

まあでも、僻地に勤務していたことのある人たちなら、私と同じような体験をきっとしているはずです。

共感を得られたら嬉しいです。

 

そして、そんな厳しい気候の地域が北国には今でもあり、そこにある学校に通ってくる、逞しい子どもたちがたくさんいるはず。

 

子どもの学びを考える時、

 

どんなバックグラウンドがあるのかという事も大切です。

僻地に行くと厳しい気候はもちろん、

その地に根ざした大人たちの人間関係なども影響があります。

小さな地域では保護者の経済的な状況は周知の事なので、子ども同士の関係の中にも自然と染み出ている事もあります。

 

教室での学びはその中だけのことではなく

地域の自然や社会的な状況や何となく流れている、その地域独特の空気のようなものも含まれているのだ、という事も

 

海辺の学校で学んだことの一つだった気がします。

 

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この学校では1年生からスキー場に行きました。初めてスキー場に行った次の日にある子が描いた絵です。駐車場にたくさんバスが停まっていた事、先生や仲良しの友達とハラハラドキドキしながら滑った事。リフトが高いところを動いていた事等など、たくさんのお話が聞こえてくる私の大好きな絵です!

 

風と砂山の記憶6 〜「風を観る」子どもたち〜

海べの町の小さな小学校にいた時のことを綴っています。

今日もその時の忘れられないエピソードの中の一つを紹介します。

 

いつもの教室の風景

中休みやお昼休みを終えて教室に子どもたちが戻ってきます。

「さあ、遊びの時間は終わりですよ。気持ちを切り替えて!勉強はじめます。」

と言われてもそれは大人の都合。

ある子はもう少しでできそうだった縄跳びの技のことで頭がいっぱいだし、別のある子は、仲良しの子とナイショで砂山に埋めた木の実のことが気になって仕方ありません。

 

子どもの時間はつながっていて、一人一人は自分のストーリーの中を生き続けています。

 

授業時間も同じ。

図工の時間に考えた自分のキャラクターを算数や国語のノートにも書き込む子、スキー場に行った次の日、スキー場での楽しかったことを鼻歌を歌いながら理科のテストの裏いっぱいに描いている子。

小学校の担任教師は、ほぼ一日中クラスの子供達と一緒にいるので、そのストーリーを共有できるのです。

理科しか教えていない教師がみたら、テストの裏のいたずら描きに眉をひそめるでしょう。しかし、一緒にスキー場に行った担任ならその絵を見て微笑まずにはいられないでしょう。

学級担任制はいいことばかりではないのですが、中学校からきた私にはとても新鮮でした。

何曜日の何時間目という切り取られた授業時間をこなす作業をしていて、生徒の態度がいいとか悪いとか、一人一人にその子なりの、その日のその時間の心の持ちようがあるという当たり前のことを全く考えずにいました。

当然のことといえば当然なのですが、小学校に来て、朝から子供を見ていて初めて気が付いたのです。

そして思いました。

このストーリーに沿って学んでいったら、子どもたちは学校が楽しくなるのに違いないと。

しかし、国語や算数、その他の教科はそれぞれほとんど何の関連性もなく、つながっている子どもの時間に関係なくタテ割りで進んでいきます。

 

進度というノルマに追いかけられて、どんどん進めていかなくてはなりません。

やらなくてはならないことはやらない訳にはいきません。

 

自分だけ勝手なことをするわけにもいかないじゃないの、と言いながら

ちょっとだけ、(実は結構)勝手なことをしていました。

 

勝手というと少し乱暴な感じがしてしまいます。

言い換えると、時間割やカリキュラムをその時の子どもの状態に応じて弾力的に行なっていた、と言う方がいいかもしれません。

 

自然の豊かな学校だったので、教室に閉じこもっているより、外に出てワイワイと色々なことに気付いては絵に描いたり、文に書いたり、そんな活動を伴う時間がどうしても多くなってしまいました。

 

そんなある日のこと。

 

その日は朝から激しい雨風。

さすがに外に出ることはできずに教室で漢字の書き取りなどをやっていました。

轟々と言う大きな音を立てて雨粒が教室の窓を叩きつけます。

 

ふと見ると、漢字の練習を終えたNちゃんが目を見開いてじっと外を観ています。

何をそんなに真剣に観ているのだろうと思い、彼女の視線の先を追いました。

 

激しい雨風が、学校の前の舗装されたグレーの地面を打ち付けています。

雨粒はしぶきを上げて弾け飛び、銀色に光っています。

しぶきは霧になり、窓の向こうの風景を霞ませています。

 

うわー、思ったよりひどい天気になったものだ、子どもたちの下校も厳しいなあ〜、Nちゃんも強い雨風に驚いて観ているのだなと思った時

Nちゃんがこうつぶやいたのです。

 

「先生、風って観えるんだね…‼︎」

 

風が観える??

どういうことなのだろう、と思い彼女が観ている風景を改めて見てみると…

大きく揺れる草木や跳ね飛ぶ雨水、窓ガラスの表面を斜めに流れる雫。

 

大人の私にとっては単なる激しい雨だなあ、としか見えなかった風景をNちゃんの柔らかな感性を通した目には

「風が観えた」のでした。

 

色も形もない風。

その風が周りの風景を変えるというやり方で姿を現わすのだ

 

というとてつもない大発見に

Nちゃんは目を見開いていたのだ

 

ということを知った私は深く感動し

「子どもたちには到底かなわない。」

と心の底から思わずにいられませんでした。

 

そして、漢字の書き取りはまた今度、

「みんな、窓から外を見てみよう。いつもと違う景色が見えるよ。」

と早速、今しかできない体験を皆ですることにしました。

 

地域素材を探し回り、子どもがワクワクするような題材を仕組む、ということを覚え

主に図工や生活科などの題材開発を進めていた当時の私でしたが、

 

こんな感動させられるエピソードに度々出くわし、

 

結局はこっちがワクワクさせられる

のでした。

 

子どもには大人のもたない(もてない)文化があり、それは大人になる前の未熟で未発達なものという訳でなく、そのままで私たち教師が学ぶべきものなのだ

 

という思いは、今も心の底で変わっていない気がします。

 

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風と砂山の記憶5 〜「王国建設」の話〜

おはようございます。

 

昨日今日はセンター試験。

この時期の北海道の気候は日々変わりやすく厳しいものがあります。

今年はどうやら2日間ともまずまずのお天気で試験に支障がないようですが

試験前日に当たる一昨日はなかなかの吹雪でした。

交通機関にも支障が出ていたようです。

1日違いでよくなって良かったな〜

と思う反面、毎年思うこの疑問…

何でわざわざ1年で一番厳しい気候の時に行うんだろう??

と思うのは私だけでしょうか。

 

一昨日、吹雪の中、ちょっとだけ車で外出し、早速雪溜まりに突っ込んでしまった私。

 

吹雪になると

いつも

海辺の学校のことを思い出します。

そこは

冬は、ほぼ毎日吹雪

夏は、ほぼ毎日強い風が吹き荒れ

時折、底抜けに青い空にそよ風と小鳥のさえずりの声がきこえる

 

といったところでした。

 

そこで毎日砂だらけになって子どもたちと過ごした日々のエピソードを今日も書いてみたいと思います。

 

www.katoreen.com

 

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当時、低学年を担任していた私は、図工や生活科などの授業のほとんどの時間教科書などは使っていませんでした。というか、使う暇などないほど、やることがいっぱいありました。

もっというと、

授業中も、遊びなのか図工なのか生活科なのかわからないような、

子どもたちの学びと生活が弾んでいるような時間でした。

 

そのひとつ、

子どもたちが大好きだった遊びに

「王国建設」

というのがありました。

学校の周りは砂地だったので穴を堀り放題でした。

休み時間になると、

グラウンドの端に水道の蛇口のある周りで何人かの子どもたちが砂を掘って山や川にみたてて遊び始めました。

水を流すと川になりとっても楽しいのです。

 

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穴を掘りながらいつも何かを探して何かを見つけるのです!

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水を流すと川の形がどんどん変わって楽しいのなんの!!


だんだん参加する子の数も増え、大がかりになっていきました。

気がつくと、子どもだけの力で半身がすっぽり入ってしまうような穴まで掘られています。

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「王国建設」はだんだん学校中に広まって、高学年の子どもたちや先生たちまでわいわいがやがや、みんなの楽しみになっていきました。

スポーツ万能な若手のH先生は特に熱心に一緒に遊んでいて、子どもたちから「王者」と呼ばれ、王国作りはやがて「王者建設」と名称変更されたりしました。

 

遊びは遊びなのですが、

この活動には

図工や生活科、理科の学習事項も実はふんだんにありました。

どこまでが遊びで、どこまでが勉強なのかと言われても、子どもにとって活動そのものは、すべてつながっているので区別はつきません。

というか、

そもそも区別はなく、活動の中に教科での学びがそこ此処に

「埋め込まれている」

ようなものでした。

そして

教師が「埋め込まれているものをピックアップ」

して

「どうしてかな?」とか

「他の子たちの王国も見てみたら?」

などと問いかけることが学びにつながるということに気がついていきました。

 

さて、「王国建設」はあまりにも大工事になってしまい、危険かも…ということになりしばらくしてやめさせることになり、あえなく消滅してしまいました。

 

すると今度は砂山の茂みで基地作りが始まったことを覚えています。

 

とにかく、自然の中で遊ぶことにおいて子どもたちは飽きることなく

いつも新鮮な驚きや発見を繰り返し、目を輝かせていたように思います。

 

それは私も同じでした。