katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

風と砂山の記憶4 〜「お魚」続編

皆さま

あけましておめでとうとございます。

良いお年をお迎えでしょうか。

 

私の住む北国のS市はここ数年の例にもれず、雪の少ない新年を迎えています。

昔はもっともっと雪の量も吹雪の回数も多かったように思うのは気のせいでしょうか。

 

 

さて、年末書類の山を整理していて、

昔の実践記録

を見つけました。

 

中でも、風と砂山の記憶の時代のものはとても懐かしく、片付けの手を止めてしばらく見入ってしまいました。

この頃はもうワープロなど出回っていた時期なのでしょうが、手書きの物が出てきてびっくり、

おそらく写真の取り込みなどややこしかったのでいっそ手書きにしていたのでしょう。

でも、今見ると味わい深い感じがします。

 

前回書いた写生会の記録もありました!

 

www.katoreen.com

 

前回の記事は記憶を基に書いたのですが、記録を見てさらに色々思い出しました。

中には記憶違いの部分も結構あったので、前回の話を追記してみたいと思います。

(だいたい、アカハラとウグイは同じ魚だし…笑)

 

はじめは、子どもたちが自ら繰り広げる自然の中での学びの面白さを後追いしていた私でしたが、次第に

「こうすれば、子どもたちは目を輝かせてやるのではないだろうか!」

「この素材は何かの学習に使えるのではないか。」

ということを考え始めました。

きっかけが起きるのを待つばかりではなく、

そうなる状況を意図的に作っていく

ことも大切だということにすでに気がついたのです。

つまり

仕掛ける

ということを始めていたのです。

 

この写生会の取組も実は単に思い付きと言う訳でもなく、私なりの意図をもって取り組んでいた、という事が当時の資料を見てわかりました。

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当時の資料。手書きです。

 

実践記録をそのまま引用します。

 

 「おさかなをかこう」〜全校写生会1年生〜

⚪️試みとして…

教師となって11年目にして初めてもった1年生。しかも中学校から小学校へ来た私にしてみると、彼らは全く宇宙人。言葉が子どもに伝わらず、反応のなさにとまどうことが少なくありませんでした。図工の時間も、長い事、作品主義のはしくれだった私はすっかりこまらせられてしまいました。一方的な技法指導は完全に肩透かしをくらいます。彼らを観察していくうちに次のような事に気が付き始めました。 

・子どもたちにとって、作品はそれをつくる動機や、つくる過程が重要であり、出来栄えをみる友達や先生の目を気にする事がない。 

・題材が身近ものであったり、自分の経験(それもできるだけ最近もので、新鮮なもの)に即したものである必要がある。

 

ものの本を読むと以上のような事は書いてるのですが、それは子どもをまのあたりにして私が体得したことでありました。

全校写生会で、ぜひそれらの条件を満たす題材を、と思って考えたのが「おさかなをかこう」です。

 

⚪️何故、お魚なの?

この地域は古くは漁場として栄えたところ。今ではすっかり漁家は少なくなったものの、学校の近くの古い家並みの中には昔ながらの「魚屋さん」が数軒あり、その中でも老舗の一軒は、我クラスの大ちゃんのお家なのです。

大きな生け簀に生きた魚を泳がせている魚屋さんは子供達をワクワクさせるに違いありません。そこでキラキラのお魚を学校に持ち帰って描こうということになりました。

 

⚪️いざ出発!!

「さあ、今日は、大ちゃんのお魚屋さんに出かけていって、お魚を買ってみんなで描こう!」

「やった〜!」

「おもしろそう。」

「僕の好きな魚買ってくれる?」など…

養護教諭の宇佐美先生も事務生の梅津さんも「おもしろそう」とご一緒することになり、ぞろぞろみんなで出発です。

 

⚪️魚屋に着いて

「ごめんくださーい!」大声を張り上げる子供達が商売の邪魔になりはしないかと、終始オロオロする私のことを知ってかしらずか大はしゃぎの子供達。

「イカもいいねえ。」

「ほんとだ茶色だ。」

「これ買って帰ろ。」

茶色のイカは鮮度がいいのでお刺身用です。当然高いのです。むむっ…大ちゃんのお母さんに協力してもらって

「イカ」

「アカハラ」

「シャケ」(なんと子持ち!)

を持ち帰ることにしました。

 

⚪️学校について 〜さわってみよう〜

教室の隣の「プレールーム」で床に新聞紙やブルーシートを広げその上にお魚を並べました。お魚の周りでわいわいがやがや

「目玉がギロリとこっちを見たよ。」

「イカの足、10本ある。」

イタズラっ子のかず君が、こっそりアカハラの赤い腹をさわっています。私がその様子を見ていることに気づき、パッと手を引っ込めました。てっきり私が注意するとみんながこっちを見たとき、

私はニヤッと笑ってこういいました。

「さわれ、さわれ、どんどんさわれ。」

 

⚪️さあ描こう!〜意欲の高まりを待って〜

さわっていいよと言われたので、さあ大変。

「ヌルヌルだあ。」

「ウロコザラザラ。」

大騒ぎです。みんな楽しそう。そのうち絵を描くのが大好きなワタル君が

「先生、早く描きたいよ、描こう、描こう。」

この言葉で

「それじゃ、描きましょう!」

スタートです。

「やったー!」

先ほどの大騒ぎが嘘のように、子供達は熱心に描き始めました。しばし静寂…私はニコニコ笑っているだけでしたが、内心、部屋のあまりの生臭さに気絶しそう。「外でやればよかったかな。」ともかく、画用紙の上には、生き生きとお魚たちが描かれていきました。

 

 ⚪️どっちが強そう?〜子どもの疑問に答える〜

数名の子どもの集中力はそう長くは続きません。

やがてそわそわし始めます。ヤマト君は、隣で一心不乱に描いているたけし君の絵と自分のを見比べて首を傾げています。たけし君は画用紙いっぱいにシャケを力強く描いています。

それに比べ、シャケもアカハラもウニもあるだけちょこちょこ描いている自分の絵がなんだか変だなあと思ったのです。

こういう時こそ私の出番。

すかざず2人の絵を借りて「二つの絵を比べてみよう。」と問いました。子供達からは早速反応がでます。

「たけし君のは大きくて強そう。」

「そうだね。大きく描くと強そうで格好いいね。」

「ぼくももっと大きく描こうかな。」

起動修正を始める子も数名いました。ヤマト君も何となく納得した様子で、裏にもう一回といってやり直していました。しかし、多くの子はそんな投げかけはお構いなしで、自分のいいように描いています。それはそれでいいのです。

 

 ⚪️イクラが出てきた!

シャケを熱心に撫でていたゆうや君が

「先生、大変だ、お腹からイクラが出てきたよ。」

と大急ぎで教えてくれました。お腹をあんまり押し付けたのではみ出したのでしょう。これでまた大騒ぎ。多くの子の絵にイクラが登場するのです。このように子どもは驚いたこと、見たことをすぐに絵に表すのです。 

 

⚪️作品ができて

途中、たっぷりの休み時間や楽しいお弁当の時間を経て、作品が出来上がりました。最後ははじめて絵の具を使って背景を塗りました。

帰りの会で「今日は楽しかったですか。」

という問いかけに全員が

「とても楽しかった!」と答えていました。 

この年代の子どもは見たものではなく、知っていることを描くといいます。それは確かに当てはまるということが子どもの作品からもわかりますが、中には

「見て描こう」

とする意欲の芽が湧き出ている作品があることも見逃してはならない、と思いました。

また、触りたい、という欲求を満足させたせいか、普段投げやりで乱雑担ってしまいがちだった子の中に、大変力のこもったものが出てきたのも成果でした。使った魚は料理して子どもたちに食べさせられたらよかったのですが、時間的に無理がありできなかったので残念でした。 

 

(当時の実践記録から)f:id:katoreen101:20190107105700j:plainf:id:katoreen101:20190107105336p:plain

 

20年数年前の自分の文を懐かしく思いました。

「楽しかったですか?」なんて聞いたら「楽しかった。」って答えるに決まっているだろ〜と当時の自分につっこみを入れながら、苦笑して読み返しました。

 

まだ自分自身が「対象を大きく描かせたい。」という思いを払拭できていないようでもありました。

 

絵の中に、子どもの思いや、描かれたストーリーの豊かさがどれだけ溢れ出ているか、そんな尺度で子どもの作品を観るということに、当時も気づいてはいたと思うのですが、

まだ自信をもって記述するに至っていなかったということがうかがえます。

 

…それにしても、散々触ったお魚を料理して食べてしまおうなどと考えていたのことにビックリ!

今なら論外、当時だって、自分が校長だったら冷や汗ものです!

 

とにもかくにも、 自由な時代、

自由な私、

そしてそれを暖かく見守ってくれた同僚たちには改めて

 

感謝です。