katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

「ボヘミアンラプソディー」でback to the teenager #Queen

 

突然ですが皆さん、

映画「ボヘミアンラプソディー」

は観ましたか?

 

twitter.com

 

軽トラは、一昨日観に行ったのですが、

ずーっと

 

頭の中にフレディマーキュリーの声が響き続けています。

 

炎のロックンロール

Killer Queen

Don't stop me Now

Redio Ga Ga

 

そして

Bohemian Rhapsody

 

ブライアンメイのギターが

ロジャーテイラーの叩き出すビートが

ジョンディーコンのリフが

頭から離れません。

 

 

クイーンのデビューした1973年、軽トラは16歳、

初来日した75年4月は17歳

 

青春真っ只中だったのです!

メンバーの中でとびきりのイケメン、ドラムスのロジャーの大大ファンで

なけなしの小遣いでLPレコードを買い

ロック喫茶に通い

 

学校でも、休み時間には女友達とどんなに彼らがかっこいいか語り合っていました。

 

 

でも

当時、雑誌「ミュージックライフ」の編集長だった東郷かおるこさんがNHKのSongsのインタビューで言っていたように

「女性ファンはルックスの良さだけでファンになるわけではない。」

のです。

 

全くその通り、クイーンはすごかった!

 

彼らの奏でる音は、

まるで宝箱から輝く色の鉱石や絹糸が次から次へと溢れ出てきて

モノクロの退屈な現実をあっという間に飾り付ける魔法のようでした。

 

当時、軽トラの住む街には「B♭」とか「Bossa」というジャズ喫茶があり、背伸びをして時々行ったものでした。

そういうところは大人になったような気がして粋がって行くところでした。

 

「ゆうてん堂」(どういう漢字だったか忘れてしまいました…)というロック喫茶もあり、そこにも、もちろん「粋がって」足を運んでいました。

 

大音響で聴くロックンロール。

 

ある日、そこで聴いた

「Killer Queen」

衝撃的!

 

あたり一面を輝かせるような音の重なり、ここはどんな世界なのだというイマジネーションを掻き立てるリズム。

あなたがこれから生きる世界は彩りに満ちていて、見知らぬ未来を祝福するようなサウンド。

 

 

東郷元編集長が言う通り、「ルックスだけでファンになる」訳では全くなかったのです。

 

今でも軽トラは

人の心を動かすのは最終的には

「アートしかない。」

と信じています。

 

それを最初に予感させてくれたのは

10代の頃に出会った

最高のアーティスト

「Queen」

だったと映画「ボヘミアンラプソディー」が思い出させてくれました。

 

 

そしてもう一つの話題、

 

札幌在住のアーティスト

「つれづれざうし」の年に1回のライブが

昨日ありました!

 

もう彼らを誰も「おじさんバンド」などと呼ばせません。

私を含めた観客みんな心を揺さぶられ「元気」をもらいました。

 

さあ、「元気だしていこうぜ!」

 

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おぎさん、しょうさん、女性は決してルックスだけでファンにある訳ではありません!



今日はリードボーカルおぎさんの歌声が

フレディの声と混ざって私の頭をかき回してくれています!笑

 

turedurezaushi.at.webry.info

 

 さあ、元気だしていこうぜ!

 

風と砂山の記憶2 〜海辺の小さな学校.図工の時間のこと〜

もうずいぶん昔の話なのですが

軽トラは新卒で道央の中都市の大きな中学校に勤めました。

教科は美術。

 

軽トラはグラフィックのデザイナーになりたくて美術系の学部のある大学に進学しました。

ところがそこは教育大学で、周りのみんなが教員採用試験を受けている勢いに巻き込まれ、なんとなく教師になってしまいました。

今考えてもずいぶんいい加減な動機で教師になったものだと我ながら呆れてしまいますが、

そんなこんなで、ヤンキーみたいな中学生がゴロゴロいる中学校の新米教師になってしまいました。

校内暴力VSゼロトレランス

みたいな大変な学校でした。

指導力のない教師は必要ないといわれ、いうことをきかせられないと教師としての自分の居場所がなくなる世界でした。

だから、「教師は子どもに絶対になめられてはいけない!」と虚勢を張り詰めて仕事をしていた訳です。

 

 

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そんなところを経て異動してきた海辺の小さな小学校。

 

流れる時間も、空気も、空間も全く違う世界でした。

そこで過ごすうちに

学校は未熟な子どもに知識やしつけを教えるところ。教えやすいようにいうことを聞かせるところ、と思っていたことが

「なんか、違う気がする…」

と思うようになってきました。

 

やがて、子どもたちと日々ふれあい、日々語り合い、成長の仕方を観ている中で

「絶対に、違う!」

という思い変わっていきました。

そう思わされたエヒソードを綴っていきたいと思います。

 

www.katoreen.com

 

低学年の図工の時間のことです。

前庭に出て、草花の絵を描くことになりました。

子どもたちは何を描こうか各自物色中。

 

その最中、ある子どもが2、3週間前に植えたラデッシュの葉が大きくなっていることに気づきました。

 

「ねえ、みんな、見て見て!こんなに葉っぱが大きくなっているよ!ねえ、先生引っこ抜いてもいい!?」

と言い終わらないうちにその子は勢いよくラデッシュの葉を引っ張りました。

するとどうでしょう!思いもよらないほど大きくなった赤紫のラデッシュが飛び出してきたのです。

「うわー!大きいよ、大きいよ!」

 

その子の声につられて集まってきた子どもたちもびっくりして

「本当だ!すごいすごい!!」

と大騒ぎになり、あっという間にラデッシュの収穫大会になってしまいました。

土を落とそうと、外の水道でラデッシュを洗うとまた歓声が上がりました。

「あっ、きれい!真っ赤だ真っ赤だ!」

水の勢いで土が飛び、ラデッシュの鮮やかな色が現れて陽の光できらきら輝いていました。

「先生、ラデッシュ描きたい!!」

「わたしも!」

子どもたちは夢中になって、画用紙いっぱいに真っ赤な二十日大根を描き始めました。

 

赤いクレヨンが足りなくなった子は

「よく見ると、茶色や青のところもあるよ。」と言いながら、

 

実を大きく描きすぎてはみ出してしまった子は

「葉っぱも描きたいから画用紙を足して描こう。」

 

などと、迫力満点の絵が出来上がっていきました。

描きあげた時の子どもたちは満面の笑顔、満足そうでした。

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私はその出来事に深く感動してしまい、

子どもたちの作品を眺めながら涙が出てしまいました。

「いいかい、みんな。絵はね、大きく描くんだよ。画用紙の真ん中にね。色はしっかり塗りましょう。」

などという、

見栄えのいい絵を描かせるための指導は、大人の勝手な都合に過ぎなかったのだ、

と心底思いました。

 

その絵を廊下に掲示したところ、他の学年の先生たちからも驚きの声が上がりました。

「すごい!こんなに迫力のある絵、どうやって指導したの?」

と尋ねられました。

 

「指導したというか…していないというか…。とにかく、子どもたちの持つ力に私も驚くばかりなんです。」

と、答えるのが精一杯。

 今もその答えを探し続けて続いているような気がします。

 

とにもかくにも、

子どもは自分の経験や感動や思いを描きたいように描く。

思いを表現するために図工の時間がある、

ということを

 

私はこの日

子どもから学びました。

 

子どもがいれば、日々何かが起きて大変ではありましたが、少し見方を変えただけで、それ以上に素晴らしい発見がある。

 

そんな海辺の学校での話を少しずつ書いていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

風と砂山の記憶1 海辺の小さな学校でのこと〜

今日は昔話です。

  昭和の終わりから平成の初めくらいにいた、海辺の小さな学校の話です。

 

30年も前なのに、初めてその学校に行った日のことを今でも、やけに鮮明に覚えています。

 

3月末だというのにまだ深い雪の中。

 

石狩川の河口に向かって国道を抜け、行けども行けどもたどり着きません。

これ以上行ったらもうその先は海、というところを左に曲がれという案内に沿ってみたものの、目の前に広がったのはだだっ広い砂地。

周りには、枯れた海浜植物の茎が強い風に煽られて激しく穂先を揺らしています。

砂が右に左に舞い上がり、その光景を霞ませていていました。

 

 荒涼としたモノトーンの世界。

 

間違えたかな、と思った途端、学校らしき円形の変わった建物が目に入ってきました。

それが、私がその後6年間勤務することになったI小学校の校舎でした。

 

 

よく見ると、だだっ広い砂地の端に鉄棒やらタイヤで作られた遊具などに塗られた赤や黄色の点が目に入ってきました。

ただの砂地だと思ったのは学校のグラウンドだったのです。

 

グラウンドの海側には海岸段丘である砂山が連なり、かろうじて海岸とグラウンドを仕切っていました。

 

缶詰のような円形の校舎に入ると、玄関ホールのど真ん中にいきなりアザラシの剥製。ガラスの目玉がこちらを睨んでいます。

 

オイルがたっぷりと染み込んだ木製の床板はかなり年記が入っている様に見えました。

 

この頃は、すでにどこの学校も鉄筋コンクリートの四角い校舎で、床もほとんどが樹脂製のタイルなどになっていましたので、とても古臭く感じ、レトロを通り越し、ちょっと不気味な感じさえしました。

 

古いのは校舎だけではありません。

玄関前には「二宮金次郎」の石像が立っていて、その台座には「昭和17年建立、開校70周年記念」と彫られているではありませんか。

 

…ということは、その当時でも、かれこれ開校120年近い計算になるではありませんか。

 

I小学校は、歴史も北海道では最も古い学校の一つ。

この地域は明治の初め、ニシン漁で繁栄していたそうです。

しかし、その頃の賑わいの片鱗はもはや全く見当たりません。

 

 

その時は、

はっきり言って

「えらいところに来てしまったものだ…」

「こんなに自然の厳しそうなところで勤まるのだろうか…」

という心から思いました。

 

本当に最悪の出会いでした。

 

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そしてその6年後の3月。

「何事にも代えがたい、素晴らしい宝ものを授けてもらった。」

という思いを抱きこの地を離れ、大都市の学校へ異動しました。

 

ここでの思い出は、今でも教師として、ここまでなんとかやってきた

私の「学びの原風景」

です。

 

それは、

この厳しい自然の中で逞しく生きていた子どもたちとの出会いがあったからこそでした。

 

タイムスリップしたようなこの校舎には、130人ほどの子どもたちが通っていました。

1年から6年まで1クラスずつで、子どもたちは幼い頃からお互いをよく知っていました。

 

仲良くしていたかと思うと、よく喧嘩もしていました。

 

夏でも、風が吹くと砂嵐のようになるので、休み時間から帰ってくると皆んな鼻の穴が真っ黒、

お互い顔を見合わせて大笑い、なんてことは日常の風景でした。

 

教室の中はいつも砂だらけ。その砂を掃除をしても古い木の床板の隙間に入り込んでしまい、まったく掃除のしがいがありません。

 

短い夏の間もほとんど強い風が吹いていました。

しかし、珍しく風のない晴れの日は、厳しい自然が一点しました。

真っ青な空に心地よい潮風がたなびき、本当に爽快です。

 

そんな日は教室から飛び出して半日砂山で遊びました。

 今のようにやらなければならないことに追われず、やりたいことをやりたいようにできました。

 

そんな、ある日のこと。

 

2年生の子どもたちと砂山でいつものように遊んでいると、

一人の子が

「先生、砂があったかいよ!ほら、触ってみて。」と大発見をした、とでもいう様に言いました。

「ほんとだね。どうしてだろう。」と聞くと、その子は空を見上げ

「お日様が当たっているからだ!」と嬉しそうに言いました。

他の子が

「じゃあ、当たっていないところはどうなんだろう。」

と言い出し、クラス中の子たちが暖かい砂とお日様の関係を巡って様々なところを調べ始め、もう大騒ぎです。

 

そういえば理科室に温度計があったことを思い出して持ってくると、子どもたちは今度は初めて見る温度計の読み方に興味津々!

 

読み方を教えると

「丁寧に扱ってね、割らないでね。」

と言う私の言葉を尻目に、子どもたちは使い方を覚えたばかりの温度計でグラウンドのあちらこちらの温度を測り、日照との関係を解き明かし始めました。

 

3年生の理科に「日なたと日かげ」という単元がありましたが、子どもたちは遊びの中いつのまにか学んでいってしまいました。

 

教師の私がしたことは

いい天気だったので皆んなで外に行こうと提案して、

「砂があったかい。」と気づいた子に「どうしてだろう。」と問い、

温度計を持ってきて目盛りの読み方を伝えただけでした。

 

教室に閉じこもり、教科書の内容を流し込むことが、勉強を教えること、それをしっかりやるのが教師の仕事だと普通に信じていた私。

 

ゆっくりした時間と、コロコロとよく遊ぶ子どもたちと、一見何もない、果てしなく殺風景ではあるけれど、実は宝の山のような豊かな自然。

 

その中で、ちょっとした働きかけがあれば、子どもたちが「自分で学ぶ」のだ、ということに次第に気づいていきました。

 

そして更に色々な経験を積む中で、

子どもは「未熟で何もできない」から「教師が授けてやるのだ」という考え方は間違っている

ということがわかってきました。

 

あれから30年近く経って、様々な学校の仕事をいろいろな立場でしてきましたが、その時の「気付き」は、一貫して自分の考え方の元になっていたと今感じています。

 

風と砂山の記憶は今でも自分の「学びの原風景」として忘れることができません。

 

海辺の小さな学校でのエピソードを少しずつこれから書いていきたいと思っています。

 

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転校生はアーティスト!〜おとどけアート事業のお話〜

こんばんは

初雪がいつ降るのかと思いながらもう11月も半ばになってしまいました。

軽トラの住んでいるS市は、いつもの年なら10月の末には初雪、今頃は積もったりしているのに今年は記憶にない雪の便りの遅い年です。

 

さて

今日は

「おとどけアート」という事業

を紹介します。

 

ある日、小学校にアーティストが転校してきます。
アーティストは空いてる教室で何やらモゾモゾやっています。
時折教室にも現れたり、休み時間は一緒に遊んだりもしています。
「何をしている人なんだろう。」と興味をもった子どもたちは、アーティストの仕事を覗きに来て、やがて一緒にモゾモゾやり出します。
そうこうしているうちに作品をコラボしたり演奏会を開いたり、何となくアートに取り込まれていったりします。
やがてアーティストはいなくなってしまいますが、子どもたちには「アーティストの⚪️⚪️さん」と過ごした、何となく非日常な日々が思い出として残ります。

 

という、感じの取り組みです。

これをS市では、芸術文化振興事業の一環としてアーティストを招聘し、年に3校ほどの小学校で展開しています。

このように行政が教育や芸術文化に投資できるというのは、その都市の成熟度というか健全性というか、「こういう街で暮らしたい、子どもを育てたい」と思わせる指標のように思えます。

(実は、軽トラは影ながらこの事業の実行委員を名ばかりながら勤めておりまするのです…)

 

この取組も今年でめでたく10年を迎えました。

そして今日から、軽トラが今勤務しているH小学校でこの取組がスタートしました!

という訳で、この期間「おとどけアート」@H小学校をブログアップしていきたいと思います!

 

という予告編でした。

 

以下は3年ほど前に軽トラが勤めていた学校で行った「おとどけアート」のときにかいた文です。

もしよければ、

読んでいただき、興味をもってもらえると嬉しかぎりであります。

 

「おとどけアートが届けたものとは」

 

教室という箱が整然と廊下に沿って並び、箱の中で子どもたちがモクモクと読書をしている。

遠くからリコーダーの音色や水槽のモーターのカタカタという音が聞こえる。窓からの長い光が差し込み、廊下をせかせか歩く先生の影を映し出している。いつもの朝の風景。毎日繰り返される日常のスタート。

チャイムの合図でどっと子どもたちが動きだし、それぞれの活動を開始する。国語、算数。体育館へ移動して大好きなバスケットボール。

グラウンドで日向の温度を計る。町探検にスタートしたチームもいる。

小学校というところで働き始めて長い年月がたっているけれど、しみじみ「不思議な空間」だと感じている。

 

 読書もリコーダーも漢字も計算問題も町探検も、それら自体は何のかかわりもないものがたくさん詰め込まれていて、その中で子どもたちがぐるぐる動いている。

 先生という大人たちも真剣に鏡で光集めをしたかと思ったら、陶芸の窯を覗いたりもしている。なのに、誰も違和感をもたない不思議な場所。

 

 そこにアーティストが転校してきても、少なくとも子どもたちにとっては自然なことで、席替えで話をしたことのない子と隣同士になるくらいあり得ることで、同じくらいワクワクする日常の延長に違いないと思っていた。

 問題なのは大人側で、はっきり言って教師はよそ者嫌いが常なのだ。

 不思議な空間の中で、不思議ではあるが決まりきったルーティーンを繰り返す毎日を荒らされるのが嫌なのだ。

 ところが今回の取組ではその辺がびっくりするほど簡単にクリアされた。

 たまたま、うちの教師たちが子ども並みに好奇心旺盛で、心も頭も柔らかいすてきな人たちだったこと、コーディネーターの漆さんの話術が巧みだったこともある。

 若手コーディネーターの小林さんの行き届いた気遣いのおかげもあった。

 しかしやはり大きかったのはアーティスト小町谷圭さんの存在であったのだとおもう。

 こう言っては失礼だが、いかにも「芸術家」っぽい訳ではない。

 とっても普通で、隣のお兄さんみたいだったり、同級生みたいだったり、知らない人なのに前から知っていて、ずっと大好きだった人のような感じがする。自分たちを丸ごと受け入れてくれる空気感がある。

 なのに、アーティストとしての存在感も十分にもち合せている。

 謎なのだ。

 が、とにかく大人も子どもも、あっさり小町谷さんが大好きになってしまった。

 活動場所の、通称「金次郎ラボ」は常に程よい人数が、程よく和気藹々に、程よい活動を展開し、しまいにスゴイものを創り上げていった。

 

 小学校で繰り広げられる点の活動、例えば日向の温度計りや光集めもその先は、実は自然科学という果てしない世界に開かれている。しかし、その時は、子どもたちはそんなことを知る由もない。

 ところが「金次郎ラボ」では楽しい子どもたちの造形活動が一流のアーティストが展開するアートの世界へ開かれていることを極めて短い尺の中で実際に展開されていくということが起こったのだ。

 今回「おとどけアート」事業として、十分に成果をあげることができたのではないか思っていて、スタッフの方々にも感謝の気持ちでいっぱいである。

 と、ここまでは、私にとっては想定内の出来事だった。

 今回のアーティストと学校との出会いは、子どもたちの活動に特化することに留まらず、学校を今までのような虫の目で見ることから、パラダイムシフトを促す活動へと想定外の方向へと広がっていった。そしてそれは、私自身の意識の中では衝撃的なできごとであった。

 漆さんの学校を地域のコミュニティーのハブとして捉えていく地域づくりの理念。

 小町谷さんの均一な都市空間にあがなう空間「ヴォイド」と呼ばれる場の必要性を説く話。

 外の世界からの学校の見え方と、学校にもともと備わっている(備わっていたはず)の機能への気付き。中でも小町谷さんの提案にあるデジタルファブリケーション施設やミニFM等の放送機材を活用し、最終的には世界規模でつながり、全く異なる地域課題に取り組むという夢のような話があの「金次郎ラボ」から広がるとしたら何とすごい話なのか。

 科学者やデザイナーなど様々なジャンルの人がつながったり、子どもたちが跳び箱や掛け算九九の暗唱に取組むそばで、大型の3Dプリンターが最先端のものづくりしていることも現実に起きたりするかもと想像するだけでワクワクしすぎて小躍りしたくなる。

 今後、具体的な話にどうつなげていくか。この「金次郎プロジェクト」はまだ始まったばかりである。

 

 おとどけアートが届けたものとは何だろうか。

 子どもの笑顔やアイデアスケッチ、大人たちのびっくりしたけど楽しかったという声。

 今は校長室で冬眠中の「草水(そうすい)くん」。

 そして、私にとってのそれは、学校の新たな可能性=「ヴォイド」として、学校をどのように社会へ開いていくか、そのムーブメントを模索していくという命題であった。

 

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毛だらけcup and saucer. Moma(NY近代美術館)に恭しく展示されている。アートって、一体なんなんだ…と私たちに問いかけるのです。

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景⑤ 〜最北端の街、稚内に再訪して〜

11月に入りました。

6月に訪問した稚内の小学校に再び訪れる機会をいただきました。

 

稚内=きっと超寒い!

と思い込み、覚悟を決めて行ったのですが、思いの外、とても良い天気に恵まれてちょっとした行楽気分でした。

 

学校ではT校長先生が笑顔で出迎えてくれてました。

たった2度目の訪問なのに「ただいま」と言いたくなるのは、私がかつて似たような海辺の学校に勤務していたからなのか、この学校の醸し出す空気が優しくて柔らかいからなのでしょうか。

とにかく、居心地がすこぶるいいのです。

 

この日は、地域の中学校区の学校の先生たちが集まっての授業研究会でした。

隣の小学校の先生たちと子どもたちが進学する中学校の先生たちが一堂に会し、授業を参観し検討会を開きます。また、先生たちだけではなく、地域の人々にも広く参加を呼びかけている、まさに地域皆んなで子どもを育てるという考え方に立った授業研究会でした。

 

T校長先生の下、学校をあげて「対話的で主体的な深い学び」に先生たちが熱心に取り組んでいる授業はどこも見所満載ですが、私は6月に引き続き3年生の教室を参観しました。

 

あの地図記号に夢中になっていた子どもたちです。

 

www.katoreen.com

 

3年生の6人の子どもたちはペアで算数の問題に取り組んでいました。2つほど問題を解いたあと、先生は難問を出しました。

 

 それぞれ同じ重さの赤いボールと青いボールがあります。赤いボール5個と青いボー ル3個の重さをはかったら2Kg750gです。

赤いボール3個と青いボール5個の重さをはかったら2kg450gありました。

赤いボールと青いボールそれぞれの重さは何gですか。

 

…いわゆる「つるかめ算」というやつです。3年生にはかなりの難問です。

どうなるだろうと思いきや、一人の男の子が

「これは難しいよ。皆んなで力を合わせなきゃ。皆んなでやろう!」と提案。

「そうだね!」と早速6人が頭を付き合わせて問題をホワイトボードに図解したり、式を書いたりしはじめました。

 

正に頭を突き合せる、という言葉がぴったりです。

「でも!」「あ!だから…」「え、そうか!」という言葉が飛び交ったかと思えば、「えーと…」と、じーっと黙り込んで図を見つめたり。

 

参観していた先生たちも固唾を飲んで子どもたちの言葉を真剣に聞いていました。

 

問題が難問なため、なかなか良いところまでいくのですが答えに簡単にはたどり着きません。でも子どもたちは粘り強く追究をやめようとはしませんでした。

 

この中で私は次の2人に注目していました。

一人は算数があまり得意でないように見受けられたZ君、

もう一人は担任のM先生です。

 

Z君は一人で進めるのは難しいよう思えました。

みんなで考えるといっても、一人だけ置いていかれるのではないだろうか、考えるのをやめて外れてしまうのではないだろうか。そう心配になって様子を観ていました。

 

Z君は、友達が熱心に話していることの中にはわからないことも少なからずあるように見受けられました。

でも、考える輪の中からは決して外れることはなく、自分ができることがないかずっと皆の話を聞いています。そして時折「ぼく、その筆算やる!」などと言いながら参加し続けていました。

学ぶ意欲を持ち続けていました。

 

 

「ぼくだけわからない。」にではなく「みんなもわからない。」こと、

そして、自分も「皆んなで考える一員である」という相互の承認が子どもたちの関係に根付いていること

それがZ君をこの場で学び続けた大きな理由だったのではないかと思いました。

 

ところで、この難問を小学3年生の子どもたちが答えにたどり着くことができたと思いますか。

 

最後の最後まで「もう少しでたどり着く」ラインを行ったり来たり、

結末はM先生が子どもの声を上手くつなげて見事に解くことができました!

 

子どもたちの歓喜の声、参観していた先生たちも思わず拍手しそうになるほどの大盛り上がりで終わった授業でした。

 

授業後の話し合いの中でM先生は

「授業が終わったあとも、子どもたちの興奮がなかなか醒めませんでした!」

と話していました。

 

さて、M先生です。

M先生は6月に見たときのように実に絶妙な子どもとの距離感を保っていました。

子どもたちが頭を付き合わせて熱心に議論しているときは、結構離れた場所から笑顔で見つめているだけ。

やがて子どもたちの話していることを黒板に図で整理したり、

それを指して「これはなんだっけ」とか、

「それで?」とか

子どもの声を聴きながらつないでいくだけで、言葉数も極めて少なめです。

 

子どもたちを信じて委ねて待っている姿。

「教師は教える」「子どもは先生のもっている正解を取りに行く」のではなく、子どもが主体的に学ぶために、課題を選び、子ども同士をつないでいく。

さすがM先生!、私自身今回も多くのことを学べたと感じました。

 

しかし、

実はM先生は、大変に悩み、自問自答を繰り返しながら、このような授業実践を進めてきた、

ということを授業後の話し合いの中で知ることができました。

 

授業というものは

課題をしっかり板書し、ノートに書かせ把握させる。

見通しをもたせ、自力解決させる。

自分の考えを発表させ、全体で交流させる。(これが学び合い)

最後はまとめと振り返りをノートに書かせる。

というものでなくてはならない。

と長年信じていた。

 

しかし、この日の授業はそれらのどれもなくて

でも子どもは深く学んでいた。

 

「今、自分たちが目指すのはこのような姿でいいのだろうか。」

 

ということを自分に再び問い直していたのです。

 

そのあまりにも謙虚で思慮深い問いのおかげで、さらに授業後の話し合いが深まったのはいうまでもありません。

 

絶えず「問い直す」というたゆまぬ姿勢に

またまた深く学ぶことができた最北の街での1日でした。

 

美味しい食べ物

美しい景色

 

これから始める過酷な厳しい冬の暮らし。

そして学び続ける子どもと教師たち。

 

稚内で私も「主体的で対話的な学び」ができました。

T校長先生をはじめ、関係の皆様に深く感謝いたします。

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絶海に浮かぶ秀峰利尻富士はまもなく人を寄せ付けない真っ白い山となります

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シーグラスを探しに北の海へ

こんにちは

もうすぐそこまで冬が来ている北海道。

明日あたりは峠で雪の予報も出ています。

春から一度行ってみたかった

シーグラス探し

 

寒くなる前に、エイっと

行ってまいりました。石狩方面の某砂浜へ、エイっと…

波に洗われて

ま〜あるくて、マットになった割れガラスたち。

 

綺麗ですよ。

ぼんやり見ているとタダの砂と小石。

その中から、一度は人が手にしたビンやグラスの破片たち。

 

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青い仲間たち。シー陶器も「いつの時代の物なんだろう」と考えちゃいます。

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丸っこいグラスたち。よく波に磨かれていますね。

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ちびっこいグラスたち。ピアスにしたいな

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赤と茶色いグラスたち。赤はレアものなんだそうな…オレンジはさらにレアで、19世紀以前のものもあるそうです。

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ちょっといびつなグラスたち

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ついでに拾ったシー貝殻くんたちです。

 

時間と自然と、人の造形物とのコラボ。

見つけようとしなければ見いだすことのできないって所にも魅力を感じます。

 

波の音を聞きながら、ひたすら浜を歩くっていうのも

浮世から浮いてる感じがして、

ストレス溜まってもうやだ〜

って思っている現代人にもオススメのシーグラス拾い。

一緒に行きましょう。拾える場所、教えますよ!

 

もうすぐ、人が近づくことができなくなる石狩の嶺泊というところの

だあれもこない浜で拾った

 

シーグラスたちでした!

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景④ 〜子ども理解と授業研究〜

 

こんにちは。

今日の北海道は朝から冷え込み、私の住むS市の最低気温がとうとう一桁になりました。

あと1ヶ月もしないうちに初雪の便りがきかれると思うと、ちょっと物悲しい気分になります。

 

今年度も半分を終えました

9月の末はS市のほとんどの小学校で通知表が配付されます。今年は地震の影響で遅れているところもあるようですが、半年の出来事を、ご家庭では親子で振り返っている時期かな、と思います。

 

通知表に記載されている「所見」欄にどんなことを書こうか、担任の先生たちは夏休みから頭を悩ませ、下書きに励みます。

 

これが、なかなか悩ましい。

一人一人を思い浮かべ、どんな姿を保護者に伝えようか、時には1時間かかっても下書きが完成しない子どももいます。

伝えたいことがあっても文章にしてしまうと、なんか伝わっていないような…

違う風に伝わってしまうような…

 

ま、とにかく悩ましいのです。

 

同時に自分は一人一人の子どものことをどこまで理解しているのかと問い直すこともあります。

学校で子どもが見せる姿は、概ね「頑張っている姿」

中にはヘトヘトになるまで「頑張りすぎている姿」なのだろうと思います。

多くの子は先生が期待する姿を

「がんばって」明るく努めています。

 

通知表の

「がんばろう」という評価をもらいたくないし、いつも「がんばってね!」と声かけられるし、「がんばったね!」と褒められるし。

 

がんばれる子は
とても生きやすいのです。

が、

がんばれない子

それも

がんばりたくてもがんばれない子も

実は大勢います。

 

www.katoreen.com

 

 

そういう子をイメージして授業研究する

という取組はあまりメジャーではないけれど

私は「大事だなことだなあ」と思っています。

 

そんなことを考えさせられたエピソードを書いてみます。

 

私の働いているS小学校での話です。

 

T先生は毎朝、玄関で子どもたちの登校を出迎えます。

T先生は、いろいろなクラスに学習支援に入っているので、どの子も親しみを抱いています。

「おはよう」と明るく声を掛けられると子どもたちは安心してその日の学校生活に入っていけることでしょう。

 

そんな、いつもの朝のこと。

赤い車がすーっと校門前に横付けされました。

 

黒いランドセルを背負った男の子が、お母さんらしき女の人に襟首をつかまれんばかりにひょいっと車から降ろされてました。

男の子が呆然とする中、車はさーっと走り去ってしまいました。

 

R君です。

所在無く、メソメソ泣いているのをT先生が見つけて寄り添いました。

なかなか動き出さないR君。

蚊の泣くような声で

「具合悪い…うちに帰りたい。具合悪かったら帰ってもいいってお母さんが言った。帰りたいよ。」

T先生は

「せっかくここまで来たんだから、まず保健室に行こうね。そこでお話聞かせてね。」と何とか校内に連れて行きました。

 

家に帰ったって一人ぽっちになってしまうことは間違いありません。学校にいた方が安心だし安全なのです。

 

T先生は30分くらいR君とお話をしました。

 

 T先生はそのR君の様子をこんな風に話してくれました。

 

「玄関にいたらね、R君がポイッと車から降ろされて泣いてるんですよ。きっとお母さんも仕事で急いでたんだろうな。子どもの様子をみる感じじゃなかったし…

それでしばらくR君の話を聞いてたんだけど…

どこがどういう風に具合悪いのとか、

家で何かあったのって何を聞いても

『わかんない〜、わかんない〜…』ってメソメソしてるんですよ。

 

言いたいけど、言えないんだろうな。

家ではどんな毎日なんだろうな…

朝ごはんも食べていないようだし。

かわいそうだなあ、お腹すかしてるし、寒いのに上着も着ていないし…

でも、

小さい兄弟もいるし、仕事も忙しいし、お母さんもなかなかRに構ってあげられないんでしょうね。」

 

そしてT先生は、R君のために、羽織るものと少し温めた牛乳をもっていきました。

 

 

私はその話を聞いて、

数日前の算数の授業の中での出来事を思い出しました。

学校を休みがちなR君は学習でも遅れが目立ちます。

授業中も個別に関わっていないと理解の難しい場面がほとんどです。

 

気にはかかるけど、なかなか手の回らない状況の中で、R君の隣のC君は誰よりR君を気にかけていました。

 

「先生、Rはしばらく休んでたからこの前習った、通分と約分がわからないよ。俺、今日は(Rが登校したから)頑張らなきゃな。」と話に来ました。

なんとも頼もしい!

私の少人数指導の授業は一斉の場面はあまりなく、考える時間や子ども同士が学び合える時間を多く取るようにしています。

理解力のあるC君は問題をさっと解いて、すぐにR君に声を掛けました。

R君はC君が来てくれることを静かに待っていました。

 

長い時間を掛けて、C君は自分で理解したことをR君に身を重ねるように教えています。

「う〜んと、まずね、ここをこうして。」

「うん、うん。」

「あ、そうそう。いや、そこ違うよ。」

「あ、そうか、わかった!」

 

そんな二人のやりとりが続き授業が終わりました。

 

私はC君がR君を最後まで見捨てないことに本当に感心していました。

 

下手をすると、R君は誰にも気に留めてもらえないような子です。

クラスの学習のリーダー的存在のC君が

そんなR君を決して見捨てない。

このクラスがもつ、人を思いやる風土をみた思いでした。

 

子どもたちの優しさに頭がさがる想いでした。

 

そして驚いたのはそれだけではありません。

 授業が終わり子どもたちが教室に戻る時、最後まで一人残っていたR君が私にこう言ったのです。

「今日は勉強が楽しかったよ。C君に教えてもらってとてもわかったの!

でもね、ぼく、九九が言えない段があるんだよね。言えるようになりたいから

今日は家で勉強してくるよ。」

 

宿題すらほとんでやってこない(やってこれない)R君。

家庭学習などほとんど取り組めたことがないはずです。その彼が自分で課題を見出して意欲をもったことに、私はほとんど感動してしまいました。

 

実はその後、R君はまたしばらく学校を休んでしまい、家庭学習に取り組めたのかどうかは極めて怪しいところです。

彼の困難は学校だけの力で解決することは難しい問題です。

 

ただ、この授業の中で、学び合える仲間に恵まれ、

「今日学んだことが楽しかった。もっとできるようになりたい。」と言ったことは事実です。

また、泣きじゃくっていた彼をT先生が受け止めてくれて、「話すことのできない困難」について

想像力をもって接したこともまた事実です。

 

学校の中で、授業の中で

R君が生き生きする姿をうみだすこと。

それができる学び合う仲間の支え合い、他者をケアすること。

そのことが積み重なること。

 

 

これは学校のできる、とても大きなことではないだろうかと

またも

子どもたちから学んだ

 

私でした。

 

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暗い雲が覆いかぶさっても、その上には優しい月の光や星が必ず輝いています。