katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びの風景④ 〜子ども理解と授業研究〜

 

こんにちは。

今日の北海道は朝から冷え込み、私の住むS市の最低気温がとうとう一桁になりました。

あと1ヶ月もしないうちに初雪の便りがきかれると思うと、ちょっと物悲しい気分になります。

 

今年度も半分を終えました

9月の末はS市のほとんどの小学校で通知表が配付されます。今年は地震の影響で遅れているところもあるようですが、半年の出来事を、ご家庭では親子で振り返っている時期かな、と思います。

 

通知表に記載されている「所見」欄にどんなことを書こうか、担任の先生たちは夏休みから頭を悩ませ、下書きに励みます。

 

これが、なかなか悩ましい。

一人一人を思い浮かべ、どんな姿を保護者に伝えようか、時には1時間かかっても下書きが完成しない子どももいます。

伝えたいことがあっても文章にしてしまうと、なんか伝わっていないような…

違う風に伝わってしまうような…

 

ま、とにかく悩ましいのです。

 

同時に自分は一人一人の子どものことをどこまで理解しているのかと問い直すこともあります。

学校で子どもが見せる姿は、概ね「頑張っている姿」

中にはヘトヘトになるまで「頑張りすぎている姿」なのだろうと思います。

多くの子は先生が期待する姿を

「がんばって」明るく努めています。

 

通知表の

「がんばろう」という評価をもらいたくないし、いつも「がんばってね!」と声かけられるし、「がんばったね!」と褒められるし。

 

がんばれる子は
とても生きやすいのです。

が、

がんばれない子

それも

がんばりたくてもがんばれない子も

実は大勢います。

 

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そういう子をイメージして授業研究する

という取組はあまりメジャーではないけれど

私は「大事だなことだなあ」と思っています。

 

そんなことを考えさせられたエピソードを書いてみます。

 

私の働いているS小学校での話です。

 

T先生は毎朝、玄関で子どもたちの登校を出迎えます。

T先生は、いろいろなクラスに学習支援に入っているので、どの子も親しみを抱いています。

「おはよう」と明るく声を掛けられると子どもたちは安心してその日の学校生活に入っていけることでしょう。

 

そんな、いつもの朝のこと。

赤い車がすーっと校門前に横付けされました。

 

黒いランドセルを背負った男の子が、お母さんらしき女の人に襟首をつかまれんばかりにひょいっと車から降ろされてました。

男の子が呆然とする中、車はさーっと走り去ってしまいました。

 

R君です。

所在無く、メソメソ泣いているのをT先生が見つけて寄り添いました。

なかなか動き出さないR君。

蚊の泣くような声で

「具合悪い…うちに帰りたい。具合悪かったら帰ってもいいってお母さんが言った。帰りたいよ。」

T先生は

「せっかくここまで来たんだから、まず保健室に行こうね。そこでお話聞かせてね。」と何とか校内に連れて行きました。

 

家に帰ったって一人ぽっちになってしまうことは間違いありません。学校にいた方が安心だし安全なのです。

 

T先生は30分くらいR君とお話をしました。

 

 T先生はそのR君の様子をこんな風に話してくれました。

 

「玄関にいたらね、R君がポイッと車から降ろされて泣いてるんですよ。きっとお母さんも仕事で急いでたんだろうな。子どもの様子をみる感じじゃなかったし…

それでしばらくR君の話を聞いてたんだけど…

どこがどういう風に具合悪いのとか、

家で何かあったのって何を聞いても

『わかんない〜、わかんない〜…』ってメソメソしてるんですよ。

 

言いたいけど、言えないんだろうな。

家ではどんな毎日なんだろうな…

朝ごはんも食べていないようだし。

かわいそうだなあ、お腹すかしてるし、寒いのに上着も着ていないし…

でも、

小さい兄弟もいるし、仕事も忙しいし、お母さんもなかなかRに構ってあげられないんでしょうね。」

 

そしてT先生は、R君のために、羽織るものと少し温めた牛乳をもっていきました。

 

 

私はその話を聞いて、

数日前の算数の授業の中での出来事を思い出しました。

学校を休みがちなR君は学習でも遅れが目立ちます。

授業中も個別に関わっていないと理解の難しい場面がほとんどです。

 

気にはかかるけど、なかなか手の回らない状況の中で、R君の隣のC君は誰よりR君を気にかけていました。

 

「先生、Rはしばらく休んでたからこの前習った、通分と約分がわからないよ。俺、今日は(Rが登校したから)頑張らなきゃな。」と話に来ました。

なんとも頼もしい!

私の少人数指導の授業は一斉の場面はあまりなく、考える時間や子ども同士が学び合える時間を多く取るようにしています。

理解力のあるC君は問題をさっと解いて、すぐにR君に声を掛けました。

R君はC君が来てくれることを静かに待っていました。

 

長い時間を掛けて、C君は自分で理解したことをR君に身を重ねるように教えています。

「う〜んと、まずね、ここをこうして。」

「うん、うん。」

「あ、そうそう。いや、そこ違うよ。」

「あ、そうか、わかった!」

 

そんな二人のやりとりが続き授業が終わりました。

 

私はC君がR君を最後まで見捨てないことに本当に感心していました。

 

下手をすると、R君は誰にも気に留めてもらえないような子です。

クラスの学習のリーダー的存在のC君が

そんなR君を決して見捨てない。

このクラスがもつ、人を思いやる風土をみた思いでした。

 

子どもたちの優しさに頭がさがる想いでした。

 

そして驚いたのはそれだけではありません。

 授業が終わり子どもたちが教室に戻る時、最後まで一人残っていたR君が私にこう言ったのです。

「今日は勉強が楽しかったよ。C君に教えてもらってとてもわかったの!

でもね、ぼく、九九が言えない段があるんだよね。言えるようになりたいから

今日は家で勉強してくるよ。」

 

宿題すらほとんでやってこない(やってこれない)R君。

家庭学習などほとんど取り組めたことがないはずです。その彼が自分で課題を見出して意欲をもったことに、私はほとんど感動してしまいました。

 

実はその後、R君はまたしばらく学校を休んでしまい、家庭学習に取り組めたのかどうかは極めて怪しいところです。

彼の困難は学校だけの力で解決することは難しい問題です。

 

ただ、この授業の中で、学び合える仲間に恵まれ、

「今日学んだことが楽しかった。もっとできるようになりたい。」と言ったことは事実です。

また、泣きじゃくっていた彼をT先生が受け止めてくれて、「話すことのできない困難」について

想像力をもって接したこともまた事実です。

 

学校の中で、授業の中で

R君が生き生きする姿をうみだすこと。

それができる学び合う仲間の支え合い、他者をケアすること。

そのことが積み重なること。

 

 

これは学校のできる、とても大きなことではないだろうかと

またも

子どもたちから学んだ

 

私でした。

 

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暗い雲が覆いかぶさっても、その上には優しい月の光や星が必ず輝いています。