katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びをガチでやりたい② 〜日本最北端の街、稚内で考えたこと〜

1、「対話的で主体的な深い学び」のある授業ってどんなのなのだ?

「対話的で主体的な深い学び」について色々なことが論じられています。

 それらについての本が本屋に平積みされ、「やり方」を求める教師たちが手に取っています。

 わたしもいくつか読んではみましたが、いつも思うのは、「それって、どういうことなのかなぁ。実際の授業の中で言えばどんな場面のことなのかな。」ということです。

 「論じるよりもやってみて子どもの姿で考えるが易し」

そこで、そんな風に考えるのがいいのではないか、と今は思っています。

実際の授業の様子から、子どもの姿から、今思っていることをこのブログで書いていきたいと思っています。

今回は地元を離れ小さな学校に訪問した体験を綴ります。そしてそれは素晴らしい体験でした。

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2、こんな授業の中に学びを見た

 先日、日本の最北の街、稚内市の小学校を訪問しました。1クラスの人数が10人前後の小規模校です。今の校長のT先生とのつながりで授業を参観させていただいたのです。

 T校長先生は対話的で共同的な学びの実現を目指してじっくりと学校経営に取り組んでいらっしゃいます。子どもの姿を通して一人一人の先生たちと対話して同僚性を育んでいるように見受けられました。

全クラスの授業を見せていただきました。どこも素敵なクラスだったのですが、特に印象的だったあるクラスの学習の様子を紹介します。

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⚪️7人のクラスメートはしっかり共同を組んで学びを進めていた

3年生のクラスです。

その時間は社会科で、板書には「一学期のふく習。友だちとたしかめあって学習をすすめよう。」と書かれているだけでした。

子どもは全部で7人しかいません。二つのグループに分かれて、復習プリントに夢中になって取り組んでいます。地図の問題でした。

「工場は市の南西にあるよね、あれ、でも市役所からみたら南だから南っていうのが答えかな?」

「うんそうだね、え〜?でもさ、Kくんの考えだと南西じゃないかな。」

「うん…Fちゃんどう思う?」

「わたしはさあ…」

3年生の社会科は地図を学びます。方位や地図記号など、初めて覚えることもたくさんあります。

「えー、俺わかんないよ、もう一度、どこどこ?…あ、そっか。」

復習プリントが終わったあとは全員で稚内市の市街地の白地図に色々なことを書き込んでいく共同作業を開始しました。

「あれ?!何だろうこの記号、公園の下の寺に行く道の所!」

「本当だ!見たことない!」

ゼンリンの地図には、習った中にはない記号があって、子どもたちは騒然となりました。それも一つではありません。3つ4つと黒板に書き出しみんなで予想し合います。

「確かにあそこにお地蔵さんあったからさ、地蔵のマークじゃないか?」

「公園にあった水飲み場のこと?」

などと自分たちの体験から予想が次々と出されます。これには私たち参観者も子どもらしい発想に思わず笑み、身を乗り出して一緒に考えてしまいました。

結局、その時間だけではわからず、5時間目にインターネットで調べることになりました。 

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⚪️先生は何故かとても存在感が薄かったのに子どもは学び続けていた

 その間、担任のM先生は時々子どもの様子を見守り、時々子どもの資料をチェックしてぶらぶらしていました。ほとんどしゃべらないため、未だにどんな声の先生だったかわからないくらいです。

 見たことのない地図記号が何かを一緒に予想していましたが、あまり大したことを話しているわけではありませんでした。最後に「それじゃ、5時間目に他の方法で調べようね。」というようなことを言っていたので子どもたちに見通しをもたせることはしていたようです。

 というか、子どもたちの活動がずっと充実していたので教師がどうしろこうしろいう必要が全くない授業でした。

 本当にはじめは誰が担任かわからないほどでした。今まで見た授業の中で一番存在感がありませんでした。しかし間違いなく言えることは、こんなに真剣に共同的に学ぶ子どもたちを育てたのは先生だということです。

 教師の仕事は共同的に学ぶことのできる子どもたちを育て、委ね、支えることなのではないか、ということを改めて考えさせられました。

⚪️全くもって普段の授業だった

 そして、参観者が来るからといって何か特別なことをしようとした授業ではなく、全く普段の授業でした。実際指導案もなく、というか、私たちがその時間に参観に行くということを担任の先生も子どもたちも知らなかったようです。

 そして、ちっとも気にも止めていないようでした。

 だというのに、私はとても「対話的」で「主体的」で、地図を通して自分たちの街を新しい目で見直し、見知らぬ地図記号という新しい課題を見出した一歩「深い」ところに学びが及んだ授業だ、と感じました。

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⚪️これは深い学びなのか

これは私の感じ方で、異論はあるかもしれません。

このようなことを「深い」などと言ってはいけないという意見もあるでしょう。

集団での練り上げを教師が意図的計画的に仕組まなくては「深い学び」は実現しないという考えもあるかもしれません。

しかし私はこんな素朴でささやかな追求の日々がコツコツ積み重なり、深い学びの世界の方向に価値を見出し、やがて向かっていくものなのではないかと思わざるを得ませんでした。

 

この日は授業を見せていただき、屈託のない子どもたちと接し、先生たちと語り合い、海の向こうに晴れた日はサハリンを望めるという静かな風景を眺め、心洗われた一日になりました。

T校長先生をはじめ、先生方子どもたちに感謝します。

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