katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びの風景④ 〜学びを深めていると思う時〜

こんにちは

地震から3週間以上がたち、落ち着きを取り戻しつつある北海道ですが、週末から週明け月曜日にかけて台風24号が近づいているとの事…

3週間前の台風21号からの北海道胆振東部地震の記憶も新しい中、またまたなんだか不安です。

 

私の勤務している学校では地震で延期になった宿泊行事も週明けから予定されているのに心配です。子供達もそわそわしているだろうなぁ…

 

 

さて、今年度、授業実践を自分で実際に行うようになってから約半年が過ぎます。

 

以前授業観察者として子どもの学びを見取っていた時と違って、自分で授業を進めていると「進める」というところに力が使われてしまい、

肝心の「子どもの学び」の事実を、なかなか見取る事が出来ない

ということが課題でした。

 

そんな中ではありますが、繰り返し子どもの姿を見ているうちに

少しずつ見えてくる事

があります。

いくつかのエピソードをあげてみたいと思います。

 

 

静かなアクティブラーナーU君のエピソード

U君は物静かな子です。

生真面目で教師が何か指示を出すと淡々とやり遂げる子です。

なので成績もそこそこ良く、教師からみると、「可もなく不可もない」ごく普通にできるおとなしい子。

これといったエピソードはあまり思い起こせないタイプです。

 

実際担任の先生も

「U君ですか?ちょっと固くて、おとなしいんですよねー。もっと発表出来るようになるといいのですけどね。」

と評価していました。

確かに、U君は理解していても手を挙げて進んで発表する事はありません。いつも早々と指示を終え、じっと次の指示を待っています。

 

そんなU君が学び合いの授業で変わってきたのは、

隣のKさんが「ここ分かんない、U君教えて!」としばしば尋ねるようになってからでした。

Kさんはあまり算数が得意ではないのですが、人と関わる事に屈託がありません。

 

しかも私の少人数教室では「友達の力を借りてでも分かるようになろう!」と推奨されているのでKさんにとって

隣のU君は頼もしいパートナー

です。

 

皆の前で発表するのは苦手なU君ですが、気心の知れたKさんには気軽に説明できます。

 

「…だから、こうなって、こうすれば答えが出るよ。」

「へー、なるほど!わかったわかった!」

「でもさ、ここは分かるけど、ここな何でこうなるの?」

 

とU君とKさんはいつも問題をめぐって議論するようになりました。

 

そうこうしているうちに、はじめは教えるばかりだったU君が

「えっ…どうしてだろう??」

 

と窮することもあるようになりました。

 

2人で

「ん〜〜…」と考えたり

時にはKさんが

「わかった、わかった、だからさあ、ね!」とU君に逆に教える場面も見られるようになってきました。

 

時には席の前後の子や他のグループの子も巻き込んで楽しそうに学び合う姿が見られるようになってきました。

U君はKさんだけでなく、いろいろな子たちに考えを伝える事が出来るようになってきました。

 

そんな授業時間を何時間か過ごしているうちに、U君は表情が格段に明るくなり、

始業前誰よりも早く少人数教室にやってきて、

 

「先生、今日は何やるの?難しい問題出してください!」

「算数、すっごい楽しいです!」

 

と笑顔で話しかけてくるようになりました。

シャイなU君の笑顔はとても素敵でした。

 

H小学校での少人数教室は単元ごとに子どもが入れ替わります。

単元がいくつか終了し、

しばらくぶりにU君がまた私の教室で授業を受ける事になりました。

 

U君からは、はじめの頃の固い表情は姿を消し、リラックスして学んでいます。

 

自分の課題が済むとすぐに周りへの気遣いをさりげなくはじめます。

 

彼が特に気にかけているのはB君です。

B君には学習の遅れがあり算数ではかけ算九九も覚えていないのでTTの先生が作ってくれた九九表を見ながら計算に取り組んでいます。

計算がややこしくなると、パニックになって投げ出してしまうこともあります。

 

この時の単元は

「整数の性質」でした。

子どもたちは、「倍数」「約数」や「最小公倍数」「最大公約数」、さらに「素数」などこれからの算数や数学の基礎となる整数の性質を学習します。

 

子どもたちのもつ素朴な生活の概念から離れ、メタ認知していかなくてはならない部分も多く、苦手な子にとっては

「何が何だかわからない。」

単元でもあります。

U君はさっさと自分の課題を終えるとK君に寄り添いました。

 

B君は行き詰まるとU君に尋ねながら進められるので落ち着いて取り組むことができました。

B君がやり始めると、U君はまた自分で問題をやり直したり、他の子に教えたりしていました。

授業も終盤になり、ノートの丸つけをしたり直しをしたりしていた私のところにB君がノートをもってきました。

 

筆圧の強い独特な字ですが、今日の課題の問題数の分だけ、しっかり答えが書いてありました。

見上げると

「できた!」と言うB君のドヤ顔があるではありませんか。笑

 

U君の関わりでやり方が分かったB君には、

この授業で大きな学びがあったようです。

 

一方、教える側に回わることが多かったU君の学びはどうだったのでしょうか。

 

彼のノートは課題をしっかりやり遂げた跡が残っています。

しかし彼にとってもう

「わかりきったこと。」をなぞっただけの授業であれば

彼にとっての「学びはなかった。」

 

授業だったことになってしまいます。

 

しかし

そうでなかったことが、彼が書いた単元のまとめの振り返りの記述からわかりました。

 

彼の振り返りにはこう書いてありました。

 

わかったことは、こんなにも数と数が共通しているということです。

「素数」を見つけることに興味をもちました

もっとやってみたいです。

 

 この単元は「倍数」「約数」や「最小公倍数」「最大公約数」、さらに「素数」などこれからの算数や数学の基礎となる「整数の性質」を学びます。

 

 彼らがはじめて見るその言葉と意味。

それをただ教えるに必死だった自分。

 

そんな中で

しかし、U君は

こんなにも数と数が共通している」ことに驚き

「素数」を見つける、深い深いテーマに興味を抱

 

という数学の世界に開かれている学びを深めていたことに

私は感動してしまいました。

 

「深い学び」とは何か

という議論があちらこちらでなされています。

 

「学習規律」を整え、理解を促す

「集団での練り合い」の中で皆で深まる

という授業研究が巷では盛んなようです。

 

しかし、私は

一人一人の子が、課題に向き合い、

それについて他者と話したり、書き記したりということを数多くこなし、また課題に戻り自己の中でまた新たな気付きを生むことを繰り返す中で起きること

のではないか、

ということを

U君のような

 

静かなアクティブラーナーから

また、学ぶことができた

 

気がします。

 

 静かなアクティブラーナーの他のエピソードを合わせてご覧ください。

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普段の学びの風景。

頭を付き合わせ一緒に考えたり、一人で考えたりいろいろです。

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景③ 〜学習規律と学力について考える〜

 こんにちは

北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。

スーパーの品揃えもかなり元通りになり、日常が帰ってきたように思います。

今日ようやく納豆が買えた

ことで少し笑顔になった軽トラでした。

 

しかし、観光の人たちが激減してしまっていたり、停電の影響でいろいろな産業で大きな損失が出ていたり、経済への影響が表面化してくるのは、むしろこれからなのかもしれません。

 

 学校で見る子ども達の様子は、どの子も元のように明るいのですが、中には

「普通に見えるけど、実はとても頑張って過ごしている子」

も多くいるはず。

今後、大人達が抱く生活や経済への不安感が少なからず影を落としてくる気がします。

 

 

 さて、さて、

 エピソードをひとつ…

先週、地震後初めて子ども達が登校した日のことです。

  その日は午前授業となったので、いつもの少人数の授業を取りやめ、教室に学習支援に入ることにしました。

授業が始まり、子ども達と前時の学習の確かめをしていた時、突然担任教師が

「激怒」

し怒鳴り始めました。

 

何を怒っているのか私にはよくわからなかったのですが、どうやら、ある子が後ろを向いて他の子と話をしていたことを叱責したようです。

当然教室の中は緊張が走り、凍りついたようになりました。

 

なんだかよくわからない、

「学習規律ルール」

があるようです。

後ろを向いて他のこと話をするなど言語道断、皆の前で激しく叱責されるべき行為だったようです。

久々にそのクラスの授業に入り、その恐ろしげな「学習規律ルール」に私自身が違反してしまいそうです。

 

そして、そのせいで子どもがまた酷く叱られるのもいやなので、担任教師に

「すいませんがルールがよくわからない。私は何をすればいいのですか?」

とちょっとイラっとしながら(いやいや結構むっとしながら)尋ねました。

すると担任は

ちょっとイラッとしながら(いやいや結構むっとしながら)

「(勉強が)わからない子は手を挙げて自分からわからないと言う決まりになっているので、手を挙げた子の所にだけ行って教えてください。」

と答えました。

子ども達の前でのやりとりですから、

そのトゲトゲしさも十分子どもに伝わってしまいました。

こんな状況の中で、「わからない」というマイナスの事を、皆の前で手を挙げてカミングアウトできる子は果たしているなだろうかと思いましたが、何人かの子が

「先生、わからないので教えてください。」と声を掛けてくれました。

教師に子どもが気を遣ってくれているのです。

 

この緊張感の中、事が穏便に運ぶように子ども達は頑張っているのでした。

 

さて、このエピソードについて、皆さんはどう思うでしょうか。

 

もちろん、私の語りで綴っていますので、偏って描かれているかとは思います。

担任の教諭からしてみると、こんな話になるでしょう。

 

「学級をまとめていくには規律やルールを徹底させる事が大事です。小さな事でも許してはならない。教師が話している時に勝手に話をするのを許したら規律が乱れ、統制が利かなくなる。授業が成り立たなくなったら子ども達にとって学ぶ権利が奪われる。だから、ルールを破る子には毅然とした態度で接しなくてはなりません。私は子ども達のためにエネルギーを傾けて頑張っているのです。」

 

この教師の心の中には

「なめられてたまるか!」

という声がこだましているに違いありません。

「統制が取れた教室」

 

いついかなる時もそれしか考えないのでしょうか。

この教師は

その先に何を見ているのでしょうか。

前回に引き続きまた考えさせられてしまいました。 

 

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  私がいた教室はそういう数多の教室の一つに過ぎないと思うし、こう考えるのは当然と多くの教師たちは信じているのだと思います。

 

たまたま、私が体験したエピソード。この担任教師個人に意見するというわけではなく、多くの同じ考え方の教師に向けて話しているつもりです。

それらに対して

 

次の点から異論を呈したいと思います。

 

1、大きな地震の後、はじめて登校した日。子どもの心に寄り添うべきではないか

  どの学校でも、子ども達は多少ハイテンションになるなど影響が出ていたという声が挙げられていました。S市においても各学校にスクールカウンセラーのスーパーバイザーから、教師が気をつけていなければならない点について文書で通知が来ていました。

その中には「大声で怒鳴ったりする事は慎むべき」という内容の記述もありました。

 

べつにスクールカウンセラーに言われなくても、担任だったらいつもと違うあのような状況なのですから、子どもの心に敏感でいるべきでしょう。

 

子どもを「受け止められる」気持との余裕。必要ですよね。

 

いつもと違う状況であるならば

自分の目の前の子どもにとって「今」なにが必要なのかということが日常のルールより大切ですよね。

 

2 学習規律が徹底され、統制されなければ子どもは学ばないのか

 

1で意見した事は多くの方々の同意を得られるような気がします。

でも、この点についてはおそらくほとんどの教師は

「あたりまえだ。学習規律は何より大事。学級担任がすべき仕事の基本だ。」

と胸を張って言うと思います。

 

「学習規律は大切だ」という点について、

もちろん、私もそう思います。

 

問題はその

「中身」と

「誰のための規律なのか。」

という点ではないかと思います。

 

学習規律を重点にしているある学校と

学習規律が先にありきということに否定的な考え方を持っている方の意見

を比較してみたいと思います。

 

 ⚪️学習規律の重要性を重点にしている学校

「学習規律」を重要視している道内のある小学校の研究発表の一部を紹介します。

子ども達は、学習するにあたって次のような約束をしなくてはなりません。

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 さらに、全校を挙げての「具体的な取り組みの重点」として

「姿勢」と「字の書き方」

を挙げ、すべての教室の黒板の上に「立腰」と書かれた紙を掲示して徹底を図っているとのこと。

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 また、保護者や児童のアンケートを基にした課題について、学校便り掲載記事からということで次のような文を発表しています。

課題1:姿勢

依然として、大きな課題となっている項目が「姿勢」です。(中略)引き続き重点的な指導が必要となります。これまでにも全学級に『立腰』という目標を提示し、指導の重点として発達の段階に応じた取組を進めてまいりましたが、今後も的確な指示や興味関心を高める授業改善などを進め、より一層定着するよう努めます。

 

課題2:字を丁寧に書く

 新たな課題として、「文字を丁寧に書く」があがりました。(中略)本校ではこれまでも「書く活動(ノート指導)の徹底」を重視しており、全学級に配置してある、実物投影機を有効に活用する授業を進めてまいりました。ノート指導は「後で振り返った時に学習の筋道がわかる」「書くことへの抵抗感の解消」など、とても大切な学習技能(スキル)として押さえ、系統的な指導に努めてきました。各学年の到達目標を明確化した取組を進めるなど、指導の徹底に努めます。

 

 この他に、全国学テや教研式学力テストの平均点が+2ポイントほど上がったことや体力の向上のための「チェックシート」、校長が全部の学級の公開授業を参観して学校の方針通りに行っているかを評価する実践報告を作成していることなどが発表されていました。

「学習規律」、中でも「立腰」という姿勢を保持することが学力向上に繋がる根拠については特に触れられてはいません。

他にも、問題の「解き直し、学び直し指導の徹底」や家庭での「学習習慣の確立」にも取り組んでいるとのことなので、やはり、姿勢と学力の相関はよくわかりません。

 

 ⚪️学習規律は何のため?という考え方

  映画「みんなの学校」の舞台となった大阪市立大空小学校の初代校長の木村泰子先生による雑誌に載っていた文章の一部を紹介します。

 

〜今、全国各地を回る中で、どの地域に行っても学校に行くことができない子どもの出会います。(中略)

これらの負の連鎖の空気が教室に充満する原因は、全てと言っていいくらい「学習規律」を守らせようとする教師の指導がきっかけになっています。

ここで少し立ち止まって自分の考えを持ってみませんか。

「学習規律」は何のためですか?

「学習規律」を守らせようとする前に、その「学習規律」は目の前にいる全ての子どもが守ることができる規律なのかどうかを考えてみましょう。守りたくても守れない子どもがいるのではないでしょうか。

ある学校では教室に椅子に座る姿勢の絵が貼られていて「足の裏はつけて背中はピンと伸ばし、机はお腹と握りこぶし一つ」と指導されていました。

この規律の目的は何でしょうか。いい姿勢を作ることですよね。でも例えば、教師であるあなたが45分間、このいい姿勢で椅子に座ることを強要されて、豊かな学びは生まれてきますか?

自分の考えをもったり、友達の考えを聞いたりすることが目的にはなりませんよね。こんな授業の中で、学びは楽しいと感じますか?学びの目的は「主体的で対話的な深い学び」です。

たとえ、床に寝っ転がっていてもみんなと学び合っている事実の方が大切なことはわかっているはずです。

 

 私の授業の中でも、考えることに夢中になってホワイトボードを抱えて黒板の下に座り込んで没頭したり、床に車座になって学び合う子どもの姿がしばしば見られます。

 規律がないと学ばない、ということはないと感じています。

 

というか、学ぶことに夢中になると教室の中の空気は一定の秩序に包まれます。

いつも、というわけではないのですが、そういうことは実際によくあります。

 

それを経験している教師はたくさんいるに違いありません。

 

上の2つのやり方考え方について、皆さんはどう考えるでしょうか。

 

私は

両者の決定的な違いは

 

子どもは一人一人みんな違い、一人一人みんなかけがえのない尊厳をもった存在。

できる限り、オーダーメイドできる学校がよりよい学校なのだ

という哲学があるかないか

 

ではないか感じます。

 

多様な人々が集まる学校。

規律は必要なのですが、その「中身」を

「誰の何のためのものか」

をもっと考えることで、教師自身も生きやすくなるのでかないでしょうか。

 

ご意見いただければと思います。

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秋分の日が来たらもうすぐ初雪の便り、北海道はあっという間に冬…

 

 

 

 

 

北海道胆振東部地震と大停電のその後 〜不安がデマに踊らされる〜

こんにちは

 

地震と大停電から復興中の軽トラです。

揺れで破損した温水器も設備屋さんの迅速な対応で直りました!

感謝です!

 

地震明けの月曜から札幌市内の小中学校の半数以上が学校を再開。

長〜い一週間を終え、週末を迎えています。

ようやく余震も気持ちも落ち着いてきたようです。

今日、コンビニで豆パンを見つけて思わず買ってしまいました。

美味しかった!

豆パン

 

 地震でカチンコチンになっていた飼い猫さんたちもだいぶ元気になってきましたが、余震に怯えて今でもキョロキョロand匍匐前進で日々前進です。

疲れるだろうな…

 

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先週は6日ぶりに授業も行いました。

子ども達は普通に過ごしているけれど、どこか不安を抱えているに違いありません。

 

「不安」だと、心が隙間だらけ

 

 

自分は騙されないぞ、と思っていた「デマ」に

ちょっとだけ「本当にそうかもしれない」

と、いとも簡単に騙されてしまいました。

 

これについて振り返ってみたいです。

 

1 「もうすぐ全戸で断水になる」という不確かな情報

 我が家は蓄熱式温水器が破損し、元栓を切っていたので、温水器経由の台所や洗面所、風呂場などはすでに蛇口から水が出ていませんでした。なので、外の水道などから水を汲んで台所や風呂場にたっぷり溜めておきました。

 そんな時にツイッターや友人のラインで断水関連の情報がざわざわし出しました。

実はそんな事実はなく、水道局もツイッターで断水になる、という情報は誤っていると流していました。

すでに水を溜め込んでいたのであまり気に留めていませんでしたが、これには惑わされた人たちが大勢いたようです。

ある町内では、町内会の役員さんが

「もうすぐ断水になる。水を貯めておきなさい!」

と戸別に訪問して言って回ったそうです。

 

スーパーの買い物の行列に並んでいた知り合いの方は、列の誰かが「断水の情報が入っている!」と言い出し、その場で列がざわつき出し、ほとんどの人が自宅などに

「もうすぐ断水になる。水を貯めておいて!」

電話やラインなどで伝えていたとのことです。

もうそうなると、確かな情報なのかどうかをチェックしようという気持ちはもう働かなくなるのは想像がつきます。

 

2 大地震が再びやってくる!という不確かな情報

「今、厚真の方で地鳴りが起きている。5、6時間後に大地震が来る。自衛隊からの確かな情報だ。自衛隊や消防がそのために現地に今招集されている!」

という情報が、ラインなどでほとんどの人も所に、複数の知り合いから送られていたようです。

中には送り手が硬くその情報を信じて送ってくるので、

一人でも多くの人に、その情報を伝えることが国民としての義務だ

的な勢いで拡散希望してくるものもあったと聞きました。

 

私は半信半疑でしたが、確実に「不安」になり、一応息子にラインを送りました…

 

するとこんな返信が…

 

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おいおい、

ちゃんと調べて行動しないとダメだよ、まじで

と窘められ、

少し冷静になることができました。

 

でも、後から聞いた所によると、この情報が流れた晩は

不安でぐっすり眠ることができなかった

という人が大勢いたようです。

 

今回の地震と大停電の影響がじわじわ広がりつつある北海道。産業への影響がとても心配です。

経済的なことだけでなく

 

人の心に「不安」と、

そこからくる

 

「不確かな何か」にコントロールされてしまう

気持ちの揺らぎという影響を与えているということを

 

考えさせられた今日この頃の軽トラなのであります。

 

 

 

北海道胆振東部地震と大停電が変えた風景

大停電は非日常をつくっています。

スーパーでは…

まるで、ひまわり畑のようです!
セブンイレブンさん、ありがとうございます!#むかわ町 #北海道胆振地方中東部地震 #むかわ町生活情報 pic.twitter.com/l71a1dlZQ1

— むかわ町災害情報 by地元有志 (@mukawasaigai_ai) September 10, 2018

 

 さらに、コンビニでは…

 

 

 

北海道胆振東部地震と大停電のその後と明日への不安〜台風の暴風は嵐の前の静けさに過ぎなかった!〜

こんばんは

軽トラです。

久しぶりの投稿となってしまいました。

 

正直、ここ数日の経験を記すという気になれないというか、手につかない時間が過ぎていました。

何とか、今日は書いてみようと思います。

 

皆さんご存知のように、私の住む北海道は9月6日の未明、最大震度7の地震に見舞われ、その後、

北海道全土が停電

となってしまいました。

www.asahi.com

 

ずっと札幌に住んでいる私にとっても、私の周りの人たちにとっても

経験したことのない大きな揺れでした。

news.tbs.co.jp

 地震が起きたのが午前3時08分、ほとんどの人がぐっすり寝ている時間帯でした。

揺れというより、ガタガタギシギシという物音で目を覚まし、地震だと気付きました。

 

静まるかと思いきや揺れは一層激しくなり、全く身動きも取れずベッドにしがみつくしかありませんでした。

 

やがてユラユラと静まったかと思いきや、シューという何かが激しく吹き出す異様な音!

我が家の蓄熱式温水器のパイプが断裂したらしく熱湯が吹き出しているではありませんか!なんとか元栓をひねって止めたのですが部屋中が熱湯!

 

食器が散乱、気持ちも頭も混乱!

 

直後は20分間ほど電気が通じていたので、慌ただしく後片付けしながら、テレビで情報収集。

胆振の厚真町が震源であること、私の住む地域は震度5強だったことなどを知りました。

程なく停電。

うわー、きついは〜停電!

これで片付け何もできなくなりました…

その時点ではスマホの充電も十分だったので老父に電話で無事を確認するなど、家族と連絡を取ることができたのは幸いでした。

 

それ以上は夜明けを待つしかありませんでした。

 

実は

地震の前日の5日は、強い勢力を持つ台風21号が未明に北海道を直撃し、被害をもたらしていました。

札幌市内でも広い範囲で停電していて、学校も臨休や繰り下げ登校など、すでにあちこちで混乱していました。

 

その矢先の

まさかの

大地震だったのです。

 

今振り返ると、

台風の暴風は「嵐の前の静けさ」

ですらあった気がします。

 

実は、北海道はそんなに台風が来るところではありません。

来る前にその多くが温帯低気圧という奴になるのです。

 

地震も、過去には十勝沖や釧路沖などの群発地震があるのですが、特に道央圏は長いこと大きな地震は起きておらず、はっきり言って

札幌は「災害の少ない都市」

という思い込みをなんとなく、みんなもっていました。

 

それがたった2日で完全に覆されてしまった

のです。

 

さて、

話は地震後の停電のことでした。

この停電は「長引く」という予感がありました。前日の停電も隣町では丸1日中回復していなかったからです。

 

その日のことは今考えても時系列であまり思い出せません。

 

全市の学校が臨時休校になったこと、

すべての公共交通機関がストップしたこと、

一部の開店しているコンビニやガソリンスタンドに人が殺到していること、

信号がどこも全くついていなかったこと、

停電は全道のすべて290万個以上の大規模なものだということ

やがて全道で断水になるという話はデマだったこと。(一部地域では断水だった。)

 

いつもTVで見ている被災地の風景に今自分がいるのが不思議な思い

でした。

 

とにかく、長引くであろう停電に向けて明るいうちにできることをやらなきゃ、と必死でした。

ラジオの電池の準備

カセットコンロの用意

懐中電灯、ろうそくの用意

できる範囲で情報収集

 

そんな中で、

今度はスマホが機能しなくなって

きました。

機内モードのするなどして節約していたので充電はあったのですが、キャリアのパワーがどんどん低下し、電話もラインもほとんど出来なくなりました。

もう、

イライラライン、ラインイライラ…

 

わずかに、SMS、しかも超短い文しか送信できたりできなかったり

ポータルサイトも開けないから情報も得られない。

 

やがて全く使いものにならなくなってしまいました。

 

そんな中、あって本当に良かったもの

 

1 ラジオ

それも、地元放送局のいろいろな地域の人たちからのメールやメッセージ、街の中の今の様子を等身大で伝えるレポートでした。

NHKの番組はテレビと同じで大きな被害が出ているところの様子を伝えるのが中心で、

「今少し困っていたり情報がなくて不安だったりする、普通の大勢の人」

の話はほとんでありません。

そういう感覚を共有できるラジオは聞いていて、気持ちも楽になりました。

 

2 自転車

信号が付いていない中、公共交通機関が止まっているので、普段より車の交通量が増えていました。私も一人暮らしの老父のところに行きたかったのですが自家用車は少し怖かった。しかもガソリンは貴重。

そんな時、半径10km位なら自転車で行くという手があると考えると、これまた気が楽になりました。もちろん徒歩でも行くことはできるのですが、時間を効率よく使えます。

 

3 ものはないけど開けてくれているコンビニ

みんな開店しているコンビニに殺到していたのでしばらくしてから行ってみました。もう店内はものが少ししかなく、電池やスマホ等の車載充電器などはとっくにありませんが、飲み物や袋菓子など、食品が手に入れることができるという安心感を与えてくれました。パートの店員さんだって被災しているのに、不安なのに頑張ってくれていることもありがたかったです。

 

こう書いてみると、実際に役立ったというよりも、あるおかげで気が楽になった、という事が大きい気がします。

 

今は9月9日

発生から3日経ちました。

昨日は破損したボイラーも仮復旧、今日は外食することもできました。

明日からは仕事も始まり普通の日が再びスタートします。

 

地震からの停電

停電からの流通ストップ

流通ストップからの行列と品不足

品不足からの…

いつ日常が非日常になるかわからない、

明日への不安

 昨日見た夕焼け空

綺麗なはずの夕焼けもなんか怖かった

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まだ余震への恐怖もある中、街はまたいつもの日々に戻りつつあります。

 

停電について地元新聞のこんな記事にも注目

www.hokkaido-np.co.jp

〜この度の地震で命を落とされた方々には、心からご冥福をお祈りいたします。

 

主体的で対話的な深い学びの風景② 〜追い詰められた教師の心を考えてみた(後半)〜

前回の続き、

後半です。

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前半はこちら

www.katoreen.com

 

  最初に断っておきますが、前回引き合いに出した先生の事を、私はこき下ろそうと思っていません。

話の成り行きで、批判的なニュアンスだったかも知れませんが、特別にひどい先生だとは思いません。きっとそんなに独善的ではないのだと思います。

こういう先生は実際、たくさんいて、ちゃんと日本の教育を担ってます。

その多くは真面目で、頭も良く、子ども思いだったりします。

本人は本当に子どものためを思って

良かれと思って

「ピンクの太陽」を描かせないのです。

その理由を考えてみたいと思います。

 

◽️そういうマインドセットの中で生き続けている

マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。 

マインドセットという言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ている。

 多くの先生は「私の言うことを聞くこと」が

子どもにとって自身の評価を良くし、社会でよりよく生きて行けると思っているのです。

「ピンクの太陽」を描くような風変わりな子ではなく、正しい太陽、みんなと同じ太陽(どんな太陽かよくわからないけど)を描ける子に成長させようとやっきなのです。

「ピンクの太陽」はちょっと極端な例かもしれませんが、教師が正しいと思った事と違うことは、ちゃんと潰しておかないと子どもが将来困る、と信じています。

自分もそう生きてきて、社会で安定したそこそこの地位を得る事ができた。

その方が生きやすい世の中だと信じているし、そうではないと誰も否定する事は出来ません。

否定を受け入れる余地はありません。

そういうマインドセットの中で生き続けている以上、そこから抜け出すことは今までの自分を捨てることと同じになり、容易なことではありません。

子どもたちは学校で

・自分の目標をもち、それを達成すべく、毎日生き生きとしていなくてはならない!

・相手の目を見て大きな声で挨拶できなくてはならない!

・集団生活のきまりはしっかり守らなくてはならない!

・授業中は手はお膝、お口チャック、正しい姿勢で!

などなど、

「できなければならないこと」がたくさんあります。

 

多くの教師は、どれもできるようになってほしいと迷いなく願い、こういうことができる子が社会でうまく生きていかれると信じられていて、疑われることはほとんどありません。

 ただ、これが行きすぎて、教師個人のおかしなこだわりまで徹底しようとしたり、やろうとしてもできない子さえも追い込んでしまったりする場合が時々にあり、それはさすがに「論外」と言われるのでしょう。

 

 

それとはまた別の側面もあります。

 

◽️教師としての自分の評価に不安がある

 自分の評価は子どもだけでなく、大人にとっても大問題です。

 

 教師たるもの、絶対に子どもになめられてはいけません。

今現場は若い教師が増えています。そういう教師に先輩教師たちは

「最初が肝心!」

「厳しく、手を抜かないで!」

「甘やかしてはダメ!」

とアドバイスします。

朝の会から帰りの会まで怒りっぱなし、なんて日ばかりはよくある話。

子どもの側からすると

怒られっぱなし

です。

指先一つで子どもが指示通りに動く、右といえば右、左といえば左。ベテランの「指導力のある」先生が子どもを動かしているのを見て憧れを持ちます。

あんな風にならなければ、周りに認めてもらえないと焦ってしまう。

頑張ってもできないのは、うまくいかないのは子どものせいだから、

いくら言っても言うことをきかないのはなめられてるからだ

とばかりに

怒鳴り叫び、威嚇し続ける!

学習規律が整った授業をしなくては、他の教師や保護者に授業を見られた時に何を言われるかわかったものではありません。

手の挙げ方、

発言の仕方、

話の聞き方、

ノートの取り方、立ち方、座り方、

全部決めて徹底

します。

決まりごとが多いと、こぼれる子も多くなり、教師が不機嫌になる時間も増大します。

「⚪️⚪️君さえいなければ…」

「△△さんはどうしてできないんだ…」

「あなたたちのせいで私が非難される!」

 

…怖い教室の風景ですね

こういう教室も実は結構あるのです。

 

こうなると

子どもは概ね次の3種類

に育っていきます。

⚪️教師の気に入られるような振る舞いを覚えて順応する=とりまき組
⚪️自分を出さずに、怒る教師の前では仮面をかぶる=気配消し組

⚪️指示されたことがうまくできず、(理解納得できず)標的になることが多い=不満分子組

そして全体の雰囲気は殺伐としていて、子ども同士のつながりが希薄になり、周りの子の気持ちに無関心になり「チクチク言葉」の応酬になります。

 

なんのことはない、教師の真似

をしているだけなのです。

 

学級崩壊の多くは、学習規律が行き届かずに起こるというよりも、そのような状況で不満分子組が中心となって起こることが多くあります。

 

学習規律は必要

です。

素晴らしいアクティブラーナーの子供たちは概ね謙虚で友達思い、礼儀を知っています。

学び合う仲間に対しての敬意は必須だし、決まった時間の中で、集団で活動している以上、お互いうまくいくようにきまりを作った方がスムーズなことあるでしょう。

 

でもそれは、

「相互にとっての利益を相互に承認」

してこそ有効です。

教師の都合では子どもだって納得できません。

 

私の学習室に来ていた子がこんな話をしていたことがありました。

 

私は勉強が楽しくない。

先生は自分で考えろというけど、何を考えていいかわからない。

先生はわからないなら質問しなさいというけど、そもそも何を聞かれてるかわからないから、質問なんてできない。

友達に聞こうとしたら

「しゃべるな!」

と怒られる。

仕方ないので、ぼーっとしていたら、先生がやってきて

「何してるの、真面目にやりなさい!」

と怒られる。

ムカついて下を向いたら

「誰のために授業やってるんだ!」

と怒鳴られる。

 

 この子は「誰のためにやってるんだ。」という教師の言葉にとても傷ついていました。

そのまま、この先生に問い返したいですよね。この言葉、

誰のための授業なんだ!

 

 「ピンクの太陽」に端を発して

 何故こんなことが起きるのか

 何が「教師の心を追い詰めているのか」考えてみました。

 

 一つ目の「マインドセット」の問題は追い詰められているという自覚は教師にないので、

正しくは

「実は知らず知らずに子どもを追い詰めている教師の姿」

というべきかもしれませんね。

 

皆さんのご意見をお待ちしています。

 


 

主体的で対話的な深い学びの風景② 〜追い詰められた教師の心を考えてみた(前半)〜

 今日は

軽トラです。

北海道はうろこ雲の日が多くなってきて、朝晩の涼しさに秋の訪れを感じる今日この頃です。

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さて、今日同僚の先生からこんな話を聞きました。

その先生の親戚の小学校2年生の女の子の話です。

 

その子は絵を描くのが大好きで、図工の時間に前の日に見た夕焼けをピンクのクレヨンを使って描いたそうです。すると担任のK先生が

「太陽がピンクなんておかしい。もう1枚画用紙をあげるから描き直しなさい。」

と言ったそうです。

描き直せと言われても、描きたかったのはピンク色の太陽だったので何を描いていいのかわからなくなってしまった女の子。

「図工の時間は先生がいいというものを描かなければならない。でも、何を描いたら先生がいいというのかわからない。」と思い悩み、苦痛になってしまった…

という話です。

 

皆さん、この話を聞いてどうお考えでしょうか。

もちろん、子どもから聞いた話で、実際の場面でどんなやりとりがあったのか正確にはわからないのですが、仮にこの話の通りだったとしたら、

「とんでもない話、論外!」ですよね。

 

学習指導要領の図画工作科の目標にはこのように書いてあります。

第1 目標

 表現及び鑑賞の活動を通して,感性を働かせながら,つくりだす喜びを味わうようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う。

第2章 各教科 第7節 図画工作:文部科学省

 

 

この先生にはこれが、

「表現及び鑑賞の活動を通して、感性やつくりだす喜びはさておき、先生が正解と思う造形活動を行い、先生を満足させるためにどうしたらいいか忖度する感性を養う。」

 

…もう笑うしかないですよね。

でも、こんな笑い事が大真面目に、子どもたちの心をコントロールしているのです。

だから、笑い事では全然済まされません。

この学級の子どもたちにとっては、大変に大きな問題をはらんでいます。

 

この先生の頭の中は

どのように子どもたちを成長させようか

ではなく

どのように自分の思い通りにコントロールしようか

でいっぱいになり、そのための、あの手この手が堂々巡りしているのでしょう。

 

実は、こういう先生は結構いるのです。

 

子どもの育ちではなく、

教師としての自分が他の人(保護者や同僚や管理職から)どう思われるか

が大切なのです。

だから、子どもを信用できず、子どもが描きたい絵ではなく、他の人に「上手い」と思わせる絵を描かせる事が指導と考えています。

そういう先生に習う子どもたちは、

学ぶ喜びではなく

自分が先生にどう思われるか、先生に気に入られる喜びを求める子になってしまいます。

そして学年が上がるといろいろわかってきて、

「どうせ…」

「別に…」

と教師を信用しない子にすくすく成長して行ってしまいます。

と、ここまではよく語られるお話ですよね。

 

で、ちょっとその先、そのような先生の「心の中」を考えてみたいと思います。

この話、今日はもう時間がないので前後半にしたいと思います。

続きは「後半」で!