katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

教育の中のマイノリティーを語る 〜札幌市民交流プラザ・札幌市図書・情報館にて前川喜平を読む〜

札幌市市民交流プラザ札幌市図書・情報館に遅ればせながら、

 

初めて来ました。

 

ここの図書は貸し出しはできないのですが、カフェの様な素敵な雰囲気の館内でじっくりと読むことができるのです。

 

www.sapporo-community-plaza.jp

 

 

最近始めた心理の資格試験の勉強と思って訪れたのですが、手に取ったのはやっぱり教育関係。

 

前からずっと気になっていた前文科事務次官、前川喜平氏の

「教育の中のマイノリティーを語る」

をピックアップ。

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まずは、

前書きで、すでに感激!

 

そこからいくつかの文を引用します。

 

◯憲法には「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(第26条)と書かれています。

能力というと、つい、あるないと捉えられがちですが、ここはさまざまな能力に応じてと解釈すべきだと思います。能力とは今回の5つの対談の中で話してきた様に(前川氏はこの本の中で5人と対談している。そこでそれぞれ「高校中退」「夜間中学」「外国につながる子ども」「LGBT」「沖縄の歴史教育」をテーマにしている。)

単一の尺度で測れるものではなく、一人ひとりがそれぞれ多種多様な能力を持っています。むしろ能力という言葉よりも個性という方がいいのかもしれません。

それぞれの個性に応じてひとしく、

 

このひとしくということばは「もれなく」という意味で、誰もが同じ内容・形式の教育を受けるという意味ではありません。

 

誰もがそれぞれの個性に応じて教育を受ける権利を持っているはずですが、現実にはそれが実現されていません。

とくにそれが実現していないケースが多いのはマイノリティの人たちに対してと言えるでしょう。

均質な人材を大量に育成しようという近代的な政治・経済の要請に従った教育政策のなかで置き去りにされた人たちがたくさんいました。

 

 

◯日本の教育政策が目指すものは、戦前であればいい兵隊、戦後は経済成長に役立つ人間づくりでしょう。経済成長に役立つ人間をいかに育てるか、生産要素としての人間という見方です。いかに生産性の高い労働力にするか、そういう教育が続いてきました。

そういうなかで制度からはじき出された人たちがたくさん出てきました。教育の中のマイノリティはそうした画一的な人材養成の仕組みから落ちこぼれたともいえます。

 

いまの文科省は相当な部分で内閣官房に牛耳られています。とくに大学政策が顕著です。

 

とにかく経済成長に役に立つ人間をつくれという。たとえば、マイノリティの研究のような非生産的な研究に金は使うな、いわんや反日的、自虐的な歴史研究などは絶対にやめさせろという。

 

◯私が学生の時に勉強した憲法のテキストは宮澤俊義さんが書いたものでした。宮澤さんは、思想の自由市場のような言い方をしていました。色々な思想が自由に表現される。そのなかでまっとうな思想が生き残ると考えていました。ところが、まっとうな思想が、レッセフェールで放っておいて生き残れるのか。

 

いまの状況を見ていると、まっとうではないほうがはびこっているのではないか。

 

 

◯これからの教育を考えるときに、

 

学習権というものを根本において考えるべきでしょう。

 

私は仮に憲法を改正するということでれば、学習権をきちんと書き込むべきだと思いますが、もちろん、いまの憲法のなかでも13条の包括的人権規定や23条の学問の自由を合わせて読めば導き出せるものです。その根っこには個人の尊厳というものがあって、

 

一人ひとりが学ぶことによって自分の尊厳を保ち、それを発揮し、実現することができる。学ぶ権利は根っこの権利として確立すべきものです。

 

 

◯これからの教育、教育行政は、これまでのように国のための経済成長を貢献することをよしとするようなモデルから、

 

学習権を基礎に一人ひとりの尊厳が生かされ、学ぶことによって個人が人格を完成させていくようなモデルに組みかえていくべきです。

 

 

前川氏は

「憲法の理想を実現することが行政の仕事だと思っていました。しかしマイノリティの子どもたちの教育の機会を保障することが文科省の仕事の中でもできなかったという気持ちをずっともちつつ、十分できなかったまま退官してしまいました。」(実際には政治の圧力で辞めさせられたというのが本当だと思いますが。)

とも書いています。

 

教育行政のトップにいた方がこんなにもまっとうな考えをもっていたこと、

そしてそのために、不当な政治の圧力にあがない、職を解かれたという事実。

 

怖いですよね。

 

私が所属する、「北海道学びのネットワーク」では教室の中にいながらも学習権を保障されていない子どもたちの学びをどうつくっていくかを研究しています。

教室の中での一斉指導がつくりだす「マイノリティ」の問題に立ち向かおうという

気持ちを、前川氏の言葉が勇気づけてくれたように思いました。

 

 

 

風と砂山の記憶8 〜風で遊ぶ・つくることと学ぶこと〜

前回は吹雪の話でほぼ終わってしまいました。

記述している間に色々思い出し、話が止まらなくなってしまいました。

 

そんな、北海道の厳しい自然の中。 

 

今、学校の統廃合が進み、僻地の学校が急速に数を減らしています。

風と砂山の記憶シリーズの舞台になっている学校も来年度で川向こうの学校に統合され、廃校になると聞きました。

あの特徴的な円形校舎もかなり年数が経っているはず。取り壊しになるのかと思うと寂しい思いは否めません。

統廃合は大都市のS市でも進んでいて、今年度で小学校は2校閉校するとのこと。

昭和50年代の新設校ラッシュからほんの4〜50年での大きな変化を見てきた身としてはつくづく時代は変わったんだな、と考えさせられます。

 

ある研究会に出席した時にこんな事を言っていた先生がいました。

 

都市部はともかく、そうでない所の少子化は本当すざましい。

本当に一握りになってしまった子供達。この子たちを1人残らず、どうやって大切に育むか、誰も落ちこぼさず、全ての子供の学びを保証する事から目を背けては未来はままならない。」

 

どんなにたくさん子どもがいたって、全ての子供の学びを保証する事は実は当たり前のことではあります。

 

しかしなんとなく、勉強についていけない子どもは一定数必ずいるという漫然とした思いが教師の中にもあるのです。

子供が少なくなって

「これではまずい。」

と言う声は、他の教師たちの共感を呼んでいました。

学びを保証することは当たり前だし、その学びの質も本当に大切です。

 

しかし

これだけ子供が少なくなっても、ひとクラス40人。

一斉の教え込み授業は全く減っていません。

 

皆の前で手を挙げて発表できる一部の子と、黙って黒板に書かれていることをノートに写す事を勉強だと思っている多数の子を育てています。

 

教員定数も増やさず、非正規雇用で定数を満たしていたものの、今その非正規の教師の数が全く足りない。

 

S市の小学校のほとんどは基準の教員定数を満たしていないのが現状です

 

子どもが少なってきたのなら、時代の移り変わりに応じた資質能力を育むための条件整備をしていかなくては、と思うのですが、制度も意識も移り変わらない。

子どもが少なくなったのなら、統廃合して効率をよくしてしまおう。という

「いかにお金を掛けないか。」

という根拠が透けて見えています。

 

行政は統廃合のメリットばかりを言いますが、

小規模校での一人一人の子どもにとって、それがどんな影響があるのか、遠距離の通学を含めてしっかり見とるべきだと思います。

 

さて、さて

海辺の学校で子どもたちと過ごした日々のエピソード。

ある子がつぶやいた

「先生、風ってみえるんだね…」という事をきっかけに

 

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 「風」を素材にした題材を考えました。

 

「風」は子どもたちにとって自然に生活にとけ込んでいました。

地元の少年野球チームはまちの学校と試合するとき、なぜか風の弱い日は負けてしまいます。

しかし強風の日は常勝でした。

「町の奴らは風が強いとフライが取れないからね。」と野球チームの子たちがドヤ顔で話していました。

このチームはほぼ毎日強風の中で練習しているので、風を味方にゲームを進めることが得意なのです。

 

私のクラスには、低学年にもかかわらず天気予報が得意な子が多くいました。

指をペロッと舐め、空を指さします。

指先の感覚に集中して

「先生、もうすぐ晴れるよ、浜風吹いてるから。」

などと、いうのです。

 

 「浜風」とか「 陸風」とか「凪」とか

およそ子供らしくない風を表す言葉のバリエーションをもっているのには感心させられました。

天気に敏感でなければ、あっという間に荒天に巻き込まれるので小さいうちから観察力が付いているのでしょう。

 

そんな中取り組んだのが

 

 「ひらひらぱたぱた・わたしのふきながし」

という題材です。

 

当時の資料を引用します。

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地元の教育研究会の中に自ら立ち上げた、図工造形遊び研究小委員会で作成した実践資料集の中に残っていた記録です。

文字の部分が読みずらいのですが、

 

・鯉のぼりを例にとって筒状の基本形の作り方を説明したこと。

・基本形ができたら、自由に飾り付けをして竹竿に糸で縛り付けたこと。

・自分の身体より大きい吹き流しが風を受けて、悠々と青空を泳ぐのがとても心踊る ものだったこと。

 

等などと書かれています。

 

青空を背景にし、色とりどりの吹き流しが舞う光景は大変きれいで、カラー写真が見つからないのがとても惜しいです。

 

当時、「造形遊び」研究小委員会というグループを作り、たった4人で「造形遊び」について実践を通して考察していました。

 

実施されて間もない生活科と造形遊びとの関わりなどを議論していた記憶があります。

 

その辺の事をまた次回ふり返って書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

風と砂山の記憶7 〜吹雪の日〜

今、北国は一年で一番厳しい季節をむかえています。

 

石狩湾から入り込む強い西風が吹くと、降り積もった粉雪が舞い上がり、辺り一面真っ白。視界が効かない中車で前に進むとあっという間に吹き溜まりにはまり込んで身動きができなくなるなんてよくあること。

でもでも、

ホントにひどい吹雪はこの頃少なくなってきたなぁと感じています。

 

海辺の学校にいた頃は、S市から15キロの道のりを車で通勤していました。

 

夏は速度違反に気を付けて毎日快適ドライブなのですが、冬の通勤はなかなか辛いものがありました。

何せ、

雪が降るのは上からではなく横から

積もる雪はサラサラ粉雪なので降ってなくても風が吹くと舞い上がり視界が妨げられます。

冬はほぼ毎日西からの強い風か吹いているのでほぼ毎日視界不良。

つまり雪が舞っている中を走るのが当たり前の日々でした。

 

問題はその度合いです。

進行方向の道の端や道路脇のポールが見えるうちは全然大丈夫なのです。このぐらいだと対向車も見えるので、スピードさえ控えれば何とかなります。

さらに風が強まると一瞬全く見えなくなることがあります。見えなくなるたびにブレーキを踏むと後ろから突っ込まれる事もあるのでむやみにかける事も危険。そういう事態に備え、前方の景色を目に焼き付けておき、見えなくてもスピードを緩めず進んでいく技術が必要でした。

そうしていても吹き溜まりに突っ込んでしまう事もあるので気は抜けません。

が、この程度でも、目的地にはちゃんとたどり着けるので耐えられないことはありません。

 

もっともっと酷くなると、

 

一瞬ではなく、ずっと全く見えなくなるのです。

右も左も上も下もわからない、とにかく全て真っ白。

まるで

「牛乳の中」

にいるような感じになることもありました。

見えないからといって停まると埋まってしまったり、後続の車に追突されたりするかもしれないのでノロノロでも進み続けるしかありません。

フロントガラスも凍りつきワイパーもデフロスターも最大に稼働させても、ほとんど前が見えないので決死の覚悟。

ゴーグルを着用し、運転席側の窓を開けて顔を出して前方確認しながら進んでいくしかありません。

左右は高い雪の山になっているのでまっすぐ進んでいるつもりでも、

いつの間にやらどちらかに偏り、雪の壁にぶつかってしまいます。

右にぶつかっては左にハンドルを切り、左の壁にぶつかっては右にを繰り返し、進んでいくのです。

対向車が来てもわからないので運を天に任せて進むしかありませんでした。

道はやがて国道との交差点に出るはずなのですがその目印となる信号機が全く見えません。

普段大型トラックがよく通る道だけにその交差点に闇雲に突っ込んでしまうのは大事故につながってしまうので本当に怖かったことを覚えています。

 

まあ、そんな道を6年間よく通勤していたものだと今更ながらに思います。

 

そんな中を子どもたちは通学して来るのです。

臨時休校になった記憶もあまりありません。

吹雪で臨時休校にしては休んでばっかりになってしまうからだったのでしょうか。

朝は近くの子と一緒に、保護者に送ってきてもらったりしていましたが、帰りが集団下校になることもよくありました。

 

この集団下校も大変でした。

 

行きは、ひとかたまりになって歩くし、子どもを引率しているという緊張感もあり、なんとか達成するのですが、帰りは教師1人になるため本当に過酷。

道の端の雪の壁を伝いながら手探りで前に進みます。学校からRV車を持っている同僚が迎えに来てくれるのですが、すれ違っても気がつかないほど視界がないことがしばしばでした。

やっとの思いで学校にたどり着くと、ようやく帰還した同僚たちが玄関で倒れ込んでいます。

みんな髪の毛が凍りつき眉毛も真っ白。お互いの顔を見てホッとして雪男、雪女みたいになっている顔を指さして大笑いしたものでした。

 

そんな日は放課後に予定していた会議なども

「もう疲れたからやめよう。プリント読んでおけば何とかなるさ。」

「そうだね〜。」

などと言ってやめてしまうのでした。

 

吹雪のことを思い出しているうちに、ずいぶん文章が長くなってしまいました。

子どもの学びの様子を書くはずなのに、

自分が大変だったことばかり、一体何を言いたかったのでしょうか〜〜(ごめんなさい!)

 

まあでも、僻地に勤務していたことのある人たちなら、私と同じような体験をきっとしているはずです。

共感を得られたら嬉しいです。

 

そして、そんな厳しい気候の地域が北国には今でもあり、そこにある学校に通ってくる、逞しい子どもたちがたくさんいるはず。

 

子どもの学びを考える時、

 

どんなバックグラウンドがあるのかという事も大切です。

僻地に行くと厳しい気候はもちろん、

その地に根ざした大人たちの人間関係なども影響があります。

小さな地域では保護者の経済的な状況は周知の事なので、子ども同士の関係の中にも自然と染み出ている事もあります。

 

教室での学びはその中だけのことではなく

地域の自然や社会的な状況や何となく流れている、その地域独特の空気のようなものも含まれているのだ、という事も

 

海辺の学校で学んだことの一つだった気がします。

 

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この学校では1年生からスキー場に行きました。初めてスキー場に行った次の日にある子が描いた絵です。駐車場にたくさんバスが停まっていた事、先生や仲良しの友達とハラハラドキドキしながら滑った事。リフトが高いところを動いていた事等など、たくさんのお話が聞こえてくる私の大好きな絵です!

 

風と砂山の記憶6 〜「風を観る」子どもたち〜

海べの町の小さな小学校にいた時のことを綴っています。

今日もその時の忘れられないエピソードの中の一つを紹介します。

 

いつもの教室の風景

中休みやお昼休みを終えて教室に子どもたちが戻ってきます。

「さあ、遊びの時間は終わりですよ。気持ちを切り替えて!勉強はじめます。」

と言われてもそれは大人の都合。

ある子はもう少しでできそうだった縄跳びの技のことで頭がいっぱいだし、別のある子は、仲良しの子とナイショで砂山に埋めた木の実のことが気になって仕方ありません。

 

子どもの時間はつながっていて、一人一人は自分のストーリーの中を生き続けています。

 

授業時間も同じ。

図工の時間に考えた自分のキャラクターを算数や国語のノートにも書き込む子、スキー場に行った次の日、スキー場での楽しかったことを鼻歌を歌いながら理科のテストの裏いっぱいに描いている子。

小学校の担任教師は、ほぼ一日中クラスの子供達と一緒にいるので、そのストーリーを共有できるのです。

理科しか教えていない教師がみたら、テストの裏のいたずら描きに眉をひそめるでしょう。しかし、一緒にスキー場に行った担任ならその絵を見て微笑まずにはいられないでしょう。

学級担任制はいいことばかりではないのですが、中学校からきた私にはとても新鮮でした。

何曜日の何時間目という切り取られた授業時間をこなす作業をしていて、生徒の態度がいいとか悪いとか、一人一人にその子なりの、その日のその時間の心の持ちようがあるという当たり前のことを全く考えずにいました。

当然のことといえば当然なのですが、小学校に来て、朝から子供を見ていて初めて気が付いたのです。

そして思いました。

このストーリーに沿って学んでいったら、子どもたちは学校が楽しくなるのに違いないと。

しかし、国語や算数、その他の教科はそれぞれほとんど何の関連性もなく、つながっている子どもの時間に関係なくタテ割りで進んでいきます。

 

進度というノルマに追いかけられて、どんどん進めていかなくてはなりません。

やらなくてはならないことはやらない訳にはいきません。

 

自分だけ勝手なことをするわけにもいかないじゃないの、と言いながら

ちょっとだけ、(実は結構)勝手なことをしていました。

 

勝手というと少し乱暴な感じがしてしまいます。

言い換えると、時間割やカリキュラムをその時の子どもの状態に応じて弾力的に行なっていた、と言う方がいいかもしれません。

 

自然の豊かな学校だったので、教室に閉じこもっているより、外に出てワイワイと色々なことに気付いては絵に描いたり、文に書いたり、そんな活動を伴う時間がどうしても多くなってしまいました。

 

そんなある日のこと。

 

その日は朝から激しい雨風。

さすがに外に出ることはできずに教室で漢字の書き取りなどをやっていました。

轟々と言う大きな音を立てて雨粒が教室の窓を叩きつけます。

 

ふと見ると、漢字の練習を終えたNちゃんが目を見開いてじっと外を観ています。

何をそんなに真剣に観ているのだろうと思い、彼女の視線の先を追いました。

 

激しい雨風が、学校の前の舗装されたグレーの地面を打ち付けています。

雨粒はしぶきを上げて弾け飛び、銀色に光っています。

しぶきは霧になり、窓の向こうの風景を霞ませています。

 

うわー、思ったよりひどい天気になったものだ、子どもたちの下校も厳しいなあ〜、Nちゃんも強い雨風に驚いて観ているのだなと思った時

Nちゃんがこうつぶやいたのです。

 

「先生、風って観えるんだね…‼︎」

 

風が観える??

どういうことなのだろう、と思い彼女が観ている風景を改めて見てみると…

大きく揺れる草木や跳ね飛ぶ雨水、窓ガラスの表面を斜めに流れる雫。

 

大人の私にとっては単なる激しい雨だなあ、としか見えなかった風景をNちゃんの柔らかな感性を通した目には

「風が観えた」のでした。

 

色も形もない風。

その風が周りの風景を変えるというやり方で姿を現わすのだ

 

というとてつもない大発見に

Nちゃんは目を見開いていたのだ

 

ということを知った私は深く感動し

「子どもたちには到底かなわない。」

と心の底から思わずにいられませんでした。

 

そして、漢字の書き取りはまた今度、

「みんな、窓から外を見てみよう。いつもと違う景色が見えるよ。」

と早速、今しかできない体験を皆ですることにしました。

 

地域素材を探し回り、子どもがワクワクするような題材を仕組む、ということを覚え

主に図工や生活科などの題材開発を進めていた当時の私でしたが、

 

こんな感動させられるエピソードに度々出くわし、

 

結局はこっちがワクワクさせられる

のでした。

 

子どもには大人のもたない(もてない)文化があり、それは大人になる前の未熟で未発達なものという訳でなく、そのままで私たち教師が学ぶべきものなのだ

 

という思いは、今も心の底で変わっていない気がします。

 

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風と砂山の記憶5 〜「王国建設」の話〜

おはようございます。

 

昨日今日はセンター試験。

この時期の北海道の気候は日々変わりやすく厳しいものがあります。

今年はどうやら2日間ともまずまずのお天気で試験に支障がないようですが

試験前日に当たる一昨日はなかなかの吹雪でした。

交通機関にも支障が出ていたようです。

1日違いでよくなって良かったな〜

と思う反面、毎年思うこの疑問…

何でわざわざ1年で一番厳しい気候の時に行うんだろう??

と思うのは私だけでしょうか。

 

一昨日、吹雪の中、ちょっとだけ車で外出し、早速雪溜まりに突っ込んでしまった私。

 

吹雪になると

いつも

海辺の学校のことを思い出します。

そこは

冬は、ほぼ毎日吹雪

夏は、ほぼ毎日強い風が吹き荒れ

時折、底抜けに青い空にそよ風と小鳥のさえずりの声がきこえる

 

といったところでした。

 

そこで毎日砂だらけになって子どもたちと過ごした日々のエピソードを今日も書いてみたいと思います。

 

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当時、低学年を担任していた私は、図工や生活科などの授業のほとんどの時間教科書などは使っていませんでした。というか、使う暇などないほど、やることがいっぱいありました。

もっというと、

授業中も、遊びなのか図工なのか生活科なのかわからないような、

子どもたちの学びと生活が弾んでいるような時間でした。

 

そのひとつ、

子どもたちが大好きだった遊びに

「王国建設」

というのがありました。

学校の周りは砂地だったので穴を堀り放題でした。

休み時間になると、

グラウンドの端に水道の蛇口のある周りで何人かの子どもたちが砂を掘って山や川にみたてて遊び始めました。

水を流すと川になりとっても楽しいのです。

 

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穴を掘りながらいつも何かを探して何かを見つけるのです!

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水を流すと川の形がどんどん変わって楽しいのなんの!!


だんだん参加する子の数も増え、大がかりになっていきました。

気がつくと、子どもだけの力で半身がすっぽり入ってしまうような穴まで掘られています。

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「王国建設」はだんだん学校中に広まって、高学年の子どもたちや先生たちまでわいわいがやがや、みんなの楽しみになっていきました。

スポーツ万能な若手のH先生は特に熱心に一緒に遊んでいて、子どもたちから「王者」と呼ばれ、王国作りはやがて「王者建設」と名称変更されたりしました。

 

遊びは遊びなのですが、

この活動には

図工や生活科、理科の学習事項も実はふんだんにありました。

どこまでが遊びで、どこまでが勉強なのかと言われても、子どもにとって活動そのものは、すべてつながっているので区別はつきません。

というか、

そもそも区別はなく、活動の中に教科での学びがそこ此処に

「埋め込まれている」

ようなものでした。

そして

教師が「埋め込まれているものをピックアップ」

して

「どうしてかな?」とか

「他の子たちの王国も見てみたら?」

などと問いかけることが学びにつながるということに気がついていきました。

 

さて、「王国建設」はあまりにも大工事になってしまい、危険かも…ということになりしばらくしてやめさせることになり、あえなく消滅してしまいました。

 

すると今度は砂山の茂みで基地作りが始まったことを覚えています。

 

とにかく、自然の中で遊ぶことにおいて子どもたちは飽きることなく

いつも新鮮な驚きや発見を繰り返し、目を輝かせていたように思います。

 

それは私も同じでした。


 

風と砂山の記憶4 〜「お魚」続編

皆さま

あけましておめでとうとございます。

良いお年をお迎えでしょうか。

 

私の住む北国のS市はここ数年の例にもれず、雪の少ない新年を迎えています。

昔はもっともっと雪の量も吹雪の回数も多かったように思うのは気のせいでしょうか。

 

 

さて、年末書類の山を整理していて、

昔の実践記録

を見つけました。

 

中でも、風と砂山の記憶の時代のものはとても懐かしく、片付けの手を止めてしばらく見入ってしまいました。

この頃はもうワープロなど出回っていた時期なのでしょうが、手書きの物が出てきてびっくり、

おそらく写真の取り込みなどややこしかったのでいっそ手書きにしていたのでしょう。

でも、今見ると味わい深い感じがします。

 

前回書いた写生会の記録もありました!

 

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前回の記事は記憶を基に書いたのですが、記録を見てさらに色々思い出しました。

中には記憶違いの部分も結構あったので、前回の話を追記してみたいと思います。

(だいたい、アカハラとウグイは同じ魚だし…笑)

 

はじめは、子どもたちが自ら繰り広げる自然の中での学びの面白さを後追いしていた私でしたが、次第に

「こうすれば、子どもたちは目を輝かせてやるのではないだろうか!」

「この素材は何かの学習に使えるのではないか。」

ということを考え始めました。

きっかけが起きるのを待つばかりではなく、

そうなる状況を意図的に作っていく

ことも大切だということにすでに気がついたのです。

つまり

仕掛ける

ということを始めていたのです。

 

この写生会の取組も実は単に思い付きと言う訳でもなく、私なりの意図をもって取り組んでいた、という事が当時の資料を見てわかりました。

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当時の資料。手書きです。

 

実践記録をそのまま引用します。

 

 「おさかなをかこう」〜全校写生会1年生〜

⚪️試みとして…

教師となって11年目にして初めてもった1年生。しかも中学校から小学校へ来た私にしてみると、彼らは全く宇宙人。言葉が子どもに伝わらず、反応のなさにとまどうことが少なくありませんでした。図工の時間も、長い事、作品主義のはしくれだった私はすっかりこまらせられてしまいました。一方的な技法指導は完全に肩透かしをくらいます。彼らを観察していくうちに次のような事に気が付き始めました。 

・子どもたちにとって、作品はそれをつくる動機や、つくる過程が重要であり、出来栄えをみる友達や先生の目を気にする事がない。 

・題材が身近ものであったり、自分の経験(それもできるだけ最近もので、新鮮なもの)に即したものである必要がある。

 

ものの本を読むと以上のような事は書いてるのですが、それは子どもをまのあたりにして私が体得したことでありました。

全校写生会で、ぜひそれらの条件を満たす題材を、と思って考えたのが「おさかなをかこう」です。

 

⚪️何故、お魚なの?

この地域は古くは漁場として栄えたところ。今ではすっかり漁家は少なくなったものの、学校の近くの古い家並みの中には昔ながらの「魚屋さん」が数軒あり、その中でも老舗の一軒は、我クラスの大ちゃんのお家なのです。

大きな生け簀に生きた魚を泳がせている魚屋さんは子供達をワクワクさせるに違いありません。そこでキラキラのお魚を学校に持ち帰って描こうということになりました。

 

⚪️いざ出発!!

「さあ、今日は、大ちゃんのお魚屋さんに出かけていって、お魚を買ってみんなで描こう!」

「やった〜!」

「おもしろそう。」

「僕の好きな魚買ってくれる?」など…

養護教諭の宇佐美先生も事務生の梅津さんも「おもしろそう」とご一緒することになり、ぞろぞろみんなで出発です。

 

⚪️魚屋に着いて

「ごめんくださーい!」大声を張り上げる子供達が商売の邪魔になりはしないかと、終始オロオロする私のことを知ってかしらずか大はしゃぎの子供達。

「イカもいいねえ。」

「ほんとだ茶色だ。」

「これ買って帰ろ。」

茶色のイカは鮮度がいいのでお刺身用です。当然高いのです。むむっ…大ちゃんのお母さんに協力してもらって

「イカ」

「アカハラ」

「シャケ」(なんと子持ち!)

を持ち帰ることにしました。

 

⚪️学校について 〜さわってみよう〜

教室の隣の「プレールーム」で床に新聞紙やブルーシートを広げその上にお魚を並べました。お魚の周りでわいわいがやがや

「目玉がギロリとこっちを見たよ。」

「イカの足、10本ある。」

イタズラっ子のかず君が、こっそりアカハラの赤い腹をさわっています。私がその様子を見ていることに気づき、パッと手を引っ込めました。てっきり私が注意するとみんながこっちを見たとき、

私はニヤッと笑ってこういいました。

「さわれ、さわれ、どんどんさわれ。」

 

⚪️さあ描こう!〜意欲の高まりを待って〜

さわっていいよと言われたので、さあ大変。

「ヌルヌルだあ。」

「ウロコザラザラ。」

大騒ぎです。みんな楽しそう。そのうち絵を描くのが大好きなワタル君が

「先生、早く描きたいよ、描こう、描こう。」

この言葉で

「それじゃ、描きましょう!」

スタートです。

「やったー!」

先ほどの大騒ぎが嘘のように、子供達は熱心に描き始めました。しばし静寂…私はニコニコ笑っているだけでしたが、内心、部屋のあまりの生臭さに気絶しそう。「外でやればよかったかな。」ともかく、画用紙の上には、生き生きとお魚たちが描かれていきました。

 

 ⚪️どっちが強そう?〜子どもの疑問に答える〜

数名の子どもの集中力はそう長くは続きません。

やがてそわそわし始めます。ヤマト君は、隣で一心不乱に描いているたけし君の絵と自分のを見比べて首を傾げています。たけし君は画用紙いっぱいにシャケを力強く描いています。

それに比べ、シャケもアカハラもウニもあるだけちょこちょこ描いている自分の絵がなんだか変だなあと思ったのです。

こういう時こそ私の出番。

すかざず2人の絵を借りて「二つの絵を比べてみよう。」と問いました。子供達からは早速反応がでます。

「たけし君のは大きくて強そう。」

「そうだね。大きく描くと強そうで格好いいね。」

「ぼくももっと大きく描こうかな。」

起動修正を始める子も数名いました。ヤマト君も何となく納得した様子で、裏にもう一回といってやり直していました。しかし、多くの子はそんな投げかけはお構いなしで、自分のいいように描いています。それはそれでいいのです。

 

 ⚪️イクラが出てきた!

シャケを熱心に撫でていたゆうや君が

「先生、大変だ、お腹からイクラが出てきたよ。」

と大急ぎで教えてくれました。お腹をあんまり押し付けたのではみ出したのでしょう。これでまた大騒ぎ。多くの子の絵にイクラが登場するのです。このように子どもは驚いたこと、見たことをすぐに絵に表すのです。 

 

⚪️作品ができて

途中、たっぷりの休み時間や楽しいお弁当の時間を経て、作品が出来上がりました。最後ははじめて絵の具を使って背景を塗りました。

帰りの会で「今日は楽しかったですか。」

という問いかけに全員が

「とても楽しかった!」と答えていました。 

この年代の子どもは見たものではなく、知っていることを描くといいます。それは確かに当てはまるということが子どもの作品からもわかりますが、中には

「見て描こう」

とする意欲の芽が湧き出ている作品があることも見逃してはならない、と思いました。

また、触りたい、という欲求を満足させたせいか、普段投げやりで乱雑担ってしまいがちだった子の中に、大変力のこもったものが出てきたのも成果でした。使った魚は料理して子どもたちに食べさせられたらよかったのですが、時間的に無理がありできなかったので残念でした。 

 

(当時の実践記録から)f:id:katoreen101:20190107105700j:plainf:id:katoreen101:20190107105336p:plain

 

20年数年前の自分の文を懐かしく思いました。

「楽しかったですか?」なんて聞いたら「楽しかった。」って答えるに決まっているだろ〜と当時の自分につっこみを入れながら、苦笑して読み返しました。

 

まだ自分自身が「対象を大きく描かせたい。」という思いを払拭できていないようでもありました。

 

絵の中に、子どもの思いや、描かれたストーリーの豊かさがどれだけ溢れ出ているか、そんな尺度で子どもの作品を観るということに、当時も気づいてはいたと思うのですが、

まだ自信をもって記述するに至っていなかったということがうかがえます。

 

…それにしても、散々触ったお魚を料理して食べてしまおうなどと考えていたのことにビックリ!

今なら論外、当時だって、自分が校長だったら冷や汗ものです!

 

とにもかくにも、 自由な時代、

自由な私、

そしてそれを暖かく見守ってくれた同僚たちには改めて

 

感謝です。

 

 

風と砂山の記憶3 〜「お魚」を描いた写生会のこと〜

こんばんは。

 

今日も海辺の小さな学校での話です。

ラデッシュの話の少し後の事だったと記憶しています。

 

www.katoreen.com

 

 最近はほとんど見なくなった学校の取り組みの一つに

「写生会」

というのがありました。

 

かつてはどこの学校でも取り組んでいて、

私が在籍していた平成の初めの頃はこの学校でも全学年で取り組んでいました。

 

低学年は「灯台」、

中学年は「八幡神社」、

そして高学年は「廃船」

と描くものがずっと決められていました。

 

どれもこの地域ならではの独特なモチーフです。

 

特に、石狩川の河口にうち捨てられたような「廃船」は見上げるような大きなものが何隻もあり迫力満点、様々な画家の題材にもなっていて有名なスポットでした。

 

低学年の担任だった私は

「灯台」もいいけれど同じような絵になるし、

 

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何か他のものはないか思案

していました。

 

子どもたちにとって、写生会の日は描くだけではありません。

学校から灯台のあるところまでの結構な道のりの砂の上を歩いたり転がったり、

ハマナスの実をつまんでぶつけ合ったり、

潮風に向かって大きな声で歌ったり。

絵はそのついでに描いちゃおうというような1日です。

その行き帰りや描いている最中の遊びの方が楽しいのです。

今考えると、実にのどかなものでした。

 

ものを観て描くのもいいけれど、せっかくだったら、何かを体験し、それをまるごと描く対象にするのも面白いのではないかと考えました。

 

地域にどんなものがあるか考えているうちに、

クラスのAちゃんの家が鮮魚店であることを思い出しました!

 

そこで、色々な魚を見せてもらい、魚を描くのも海辺の学校らしくていいのでは、と単純に思い付いたのです。

 

さっそくAちゃんのおうちに子どもたちと出向いてもいいかを相談し、

快諾を得て写生会をすることになりました。

 

Aちゃんのおうちの鮮魚店には大きな生け簀があり、近くの漁港で上がったばかりの魚が泳いでいます。

 

陳列台にはいろいろな魚がギョロリと目をむいて並んでいます。

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「うあ、こっちを見てるよ!」

「おおっきな口、食べられちゃいそう~!」

「ふっくらおなかが黄色くてかわいいのもいるよ。」

 

子どもたちは大はしゃぎです。

 

「触っちゃダメだよ!見るだけだよ。」

何せ売り物だし、はしゃぐ子どもたちを落ち着かせるのも大変です。

 

町の魚屋に来るだけでも、

みんなで来るとこんなに楽しいのだなと思いました。

 

近海で捕れる、特に珍しくはない魚ですが、

みんなで観ているといろいろな発見があるようです。

 

店先で描くというのも落ち着かず、

店主のAちゃんのお父さんが

「これ持って帰りな!」

といって、店では売り物にはならないらしい

「あかはら」や「うぐい」、少し傷のある「いか」等を分けてくれました。

そこで、みんなで手分けして学校に持ち帰り、教室のブルーシートの上に並べて描こうということになりました。

 

学校に着くとするとまたも大騒ぎ。

店先では

「触っちゃダメ!」

と言われていた魚も

学校に戻ると触り放題!

 

「あー、海の中だ!お魚泳いでる~~!」とシートの上でお魚と遊び始める子どもたち。

手づかみでシートの上を滑らせたり、ヌルヌルしているのも気にせずに、持ち上げて見上げたり、もうてんやわんやです。

 

鱗もはがれてブルーシートの上もギラギラギトギト…

 

あ〜〜、もう…もう…

 

端で見ていた私はあまりの生臭さに

すでに「持って帰らなければよかった…」

とひどく後悔しました。

 

そんなことには一切構わずに、ころころと遊んでいる子どもたちを見て、はらはらながら

「よし、写生会だからお魚たち、描こうか…」

というのが精一杯でした。

 

「うん!描きたい!!」

と子どもたちは屈託無く楽しそうにお魚たちを描き始めます。

 

弾むように隊列を組んだウグイたち。

向かい合って言い争っているようなアカハラ。

たくさんの足を前後左右に振ってダンスしているイカ。

実際にはない岩や海藻を描いている子もいます。

一緒に泳いでいる自分を描く子もいます。

 

ブルーシートの海は子どもたちの想像の中で、自分たちとお魚たちのファンタジーの世界になり、思い思いの姿に描かれていきました。

 

子どもたちは自分たちの体験と想像を織り交ぜながら描いていきました。

 

すべての子が、自分らしい作品を描いていきました。

どれも傑作でした。

生臭いのも忘れ、私も楽しくなって、絵を見ながら子どもと色々な話をしました。

 

中には

「先生、イカはすごいんだよ、かっこいいよ!足がね、なんと10本もあるの。足に付いているぶつぶつはこんなにいっぱい。耳の形はね…」

と言いながら、とても低学年とは思えないほど写実的に描いている子もいました。

その子は、

何度も何度もイカを触りながら実に深く観察していました。

教師が

「いいですか、よく観て描くんですよ。」

などと言わなくても、

そうしたくなる状況次第で、「観る」し、「描く」のだ、ということは本当なのだと思いました。

 

それまで私は、

巷で言われるように

子どもには発達段階があり、ステップを踏みながら発達していくという考え方に知らず知らずに縛られていました。

 

しかしその日

 

それまで幼い頭足人を描いていた子が、

いきなり大ジャンプ、大人顔負けの写実的な絵画を描いてしまう事にあっけにとられてしまいました。

見つけた事を見つけた通りに描きたい、と願った時に

自らの願いを叶えようと、

それまでの自分をヒョイと越えていってしまう事があるのだ

 

という事実を知りました。

 

 

正直、楽しかった事を生き生きと描ければいいなくらいに思っていた私。

そんな、子どもを見くびった私の予想をあっさり越えていったパワフルな一枚一枚の作品。

 

教室に立ち込める生臭さをしばし忘れ、

その日、またも起きた事、見た事をどう考えたらいいのだろうと考えていました。

 

それまでの固定観念を覆し

心から

教師は子どもの力を信じて、

委ねて、支える

存在であるべき

と自信をもって言えるまでには、それからそんなに時間は掛からなかったと記憶しています。

 

 

夕方、魚まみれの教室の真ん中で呆然としていた私を同僚が心配して、一緒に魚を片付けてくれました。

 

あとで

「あんなに臭い教室の中で、にやにや笑って絵を観ているぞ、いよいよこいつ、おかしくなったのか?と思ったよ。」

と大笑いされました。

 

私のほんの少し型破り?な取り組みを

「面白い奴が、面白い事をやっているぞ。」と

いつも支えてくれた同僚たちがいてくれた事は

実はとても大きな事でした。

 

今思い返しても

支え合えた同僚に恵まれた事は、一番大事な事だったかもしれません。

 

風と砂山しかない殺風景な学校。

 

それはやがて私にとって

素朴な子どもたちと心優しい同僚たちから、たくさんの宝を見つけ出す喜びに満ちた

 

学びの原風景となっていきました。