katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

第2回公認心理師試験 合格発表直前

「公認心理師」国家試験の合格発表がついにあさってになりました!

 

心理系の唯一の国家資格である「公認心理師」は制度ができたばかり。

厚生労働省と文部科学省がダブルネームで認定登録を行います。

また、「心理師」は名称独占資格で、公認心理師でないものが「心理師」を名乗ることはできません。

 

昨年、第1回の試験と登録が始まり、今年は2019年8月4日に第2回の国家試験が行われました。

 

そしてあさって9月13日が合格発表です。

 

今までは民間資格しかなかったのですが、最も信頼されている「臨床心理士」になるには大学、大学院を経てようやく受験資格を得る事ができ、その試験も学科だけでなく面接もあります。

 

多くの臨床心理士の方々は昨年の公認心理師試験を受験し、両方の資格をもって活躍されているようです。

 

一方、「公認心理師」は昨年2018年から2022年までの5年間の暫定措置として、平成29年度以前の5年間の実務経験と現任者講習会の受講をもって受験可能となるGルートというルートが用意されています。心理系の大学院を卒業していなくても国家試験を受験する事ができるというわけです。

 

で、私もそのルートで受験した大勢の中の1人でした。

 

準備期間はたったの半年ほど。

 

時間がないので、必死に問題集をやりまくり、関連する本も読みまくり、覚えては忘れまくる自分の頭を叩きまくり、いろんなことをまくりまくった半年でした。

受験のための勉強とはいえ、実は楽しい勉強でもありました。

 

 

試験というものは終わってしまえば、それまで。

いくら「もっと〜〜してたら〜〜だったのに…」とタラレバ調に嘆こうがあとの祭りです。

試験が終わった途端に色々なところから解答速報が出てます。

 

さっそく自己採点をする事ができるのですが、試験直後はとってもそんな気になるものではありませんでした。

私が自己採点する気になったのは3〜4日経ってから。

 

そして驚いたのが、解答速報の答えが各社で割れまくっているという事でした。

ということは、

 

割れまくるほど「解答が微妙な問題」がたくさんあるということです。

ちなみにこんな問題。

 

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皆さん、どれだと思います?

 

私は「腹痛」ということから3を選択しましたが、2という解答速報が多く、1と3と割れていました。

一体何番なのだろうか、明日の心理研修センターから出る正答の公開が楽しみです。

 

3を選択したのは長年の現場経験からです。

実際、腹痛を訴える子は心因的な事が圧倒的に多いのは確かですが、腹痛=心の問題というのは正しくはありません。本当に緊急を要する内科的な疾患だったことも稀にありました。

 

2というのも捨てきれません。ADHDが疑われることから医療の見立ても必要に感じます。2次障害を早急に防ぐ事も大切です。

ただ、この短い文章から、医療に掛かる前に環境調整をどの程度しているのかよくわかりません。本来はまずはそれが先決です。

 

さて、何番なのでしょうか。ちょっと楽しみ。

 

さあ、そして何より合格できるのでしょうか…

これは楽しみではないですよ、不安不安…

 

不安しかない

 

自己採点では何とかなりそうなのなのですが、

 

派手なマークミスや

大幅な採点基準や合格ラインの変更や

私に限ってやらかしそうなよくわからない勘違いが

 

ないとは全くいえないので

 

ひたすら不安なのを紛らわそうと

久々ブログアップした次第でした。

 

あさっていい報告記事を記したい

 

私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八郎潟を訪ね、五能線を見つめて思ったアンビバレンツ

こんにちは

ものすご〜〜く、

久しぶりの記事になってしまいました。

 

8月4日に公認心理師の国家試験があり、その勉強に(一応)勤しんでいたためです。

無事(でもないけど)に終わり、今は9月13日の発表を待つばかりです。

 

試験については後ほど色々つぶやいてみたいと考えていますが…

 

さて、さて、

さて、

酷暑の中、4時間、冷房なし、給水も許されない過酷な国家試験を生き延びたので、8月5日から大好きな東北地方を旅しました。

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秋田竿灯祭りを見たり、青森ねぶた祭り最終日の激派手な花火に拍手喝采したり、わさお君に会ったり、メインメニューもことごとく楽しい旅だったのですが、

 

何が印象に残っていたかと問われると…

思い返すに…

 

「八郎潟」

「五能線」

 

という、聞く人が聞いたら「なんですか〜、それ。」というワードが浮かんでくるのでした。

 

「八郎潟」は、元々日本で琵琶湖に次いで二番目に大きかった湖を戦後まもなく、国家的プロジェクトとして大干拓して農地にしたところ。

思い返すと、私が生まれ育った昭和の時代半ばは、「日本列島改造論」だの「経済的成長」だの、

人間の技術と力で国土を改造するのが「善」で

「豊かな生活」を追求するのが当たり前の時代だったように思います。

だから

八郎潟干拓事業も

「私たち日本人は、すごいことをやってのけた象徴。」

みたいな印象を自分も知らないうちにもっていた気がします。

 

実際に行ってみて、

ひたすら平らな所に静かに広がる水田を見て、

ここに数十年前まで、何千年も豊かな水辺に囲まれた生態系が息づいていたにちがいないと思い

 

強烈な違和感を感じてしまいました。

 

立寄った「干拓記念館」でも、どんなに大変だったか、どんなに素晴らしい技術が駆使されたか、それをやってのけた偉大な事業だったということがメインに展示されていました。

また、戦後の賠償金の支払いを有利にするために、外国の技術を導入し、干拓を進める事が国策であったという内容の説明もあり、複雑な事情が絡んでいたこともわかりました。

 

展示写真の中には、かつて八郎潟に大量に繁殖していた「ヤマトシジミ」が地層になっている部分があることを紹介しているものがありました。

自然の力でそうなったのではなく、干拓という人為的なもので「ヤマトシジミ」が閉じ込められているその様子はまるでポンペイの遺跡を見るようで、とても辛い気持ちになってしまいました。

もちろん「ヤマトシジミ」だけではなく大きな湖で暮らしていた生き物は全滅、そこで何百年も漁業を営んでいた人々もいなくなりました。

 

八郎潟の工事が進むうちに、日本の農業の状況も変わっていき、コメの増産どころか、減反に…

農家の次男三男の働き口の保証から、農業後継者不足に…

 

見渡す限りの広い広い水田に夏の風が吹いている平和な風景と

その成り立ちのストーリーのアンビバレンツ

 

そんなことを感じたドライブでした。

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八郎潟を通り過ぎ、日本海側へ

 

そこで、不意に

「五能線」

に出会いました。

 

これは鉄道好きな人には、たまらない路線に違いありません。

青森県の五所川原と秋田県の能代を結ぶので「五能線」なのですね。

 

あまり鉄道に詳しくない私は

五能線と並行する国道101号をドライブしていて、突然2両編成の汽車が走っているのを見て

「鉄道があったんだ!」

とびっくりしました。

こんなにあまり人が住んでいるとは思い難い所に鉄道があるなんて。

 

それから気をつけてみていると、海岸線ギリギリの所に線路があったり、崖を結んで鉄橋があったり、

やれ、赤字がどうの、維持管理にお金がかかるのでどうのこうの言われがちな鉄道が

 

ちゃっかり、いやいやこうも堂々と風光明媚なところを走っているのをみて

なんだかワクワクしてしまいました。

 

車窓からの眺めは最高だろうなぁ〜〜

いつか乗ってみたいな〜〜

 

そして赤字だの何だの言われないで、いつまでも走り続けて欲しいと思いました。

 

 

「八郎潟」と「五能線」

 

着工された当時の事情と現在の状況が大きく異なる、この2つ。

 

なのに私が抱いた印象の大きな違いもまた

とても

アンビバレンツでした。

 

 

 

いきなり猛暑!学校はどうして水筒を持ってくることを許さないのか②

北海道、暑い日が続いています。

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昨日一昨日、5月なのに猛暑日なんて、長いこと北海道に住んでいる私たちは本当にびっくりの2日間でした。

 

昨日は月曜日、S市の多くの小学校ではこの週末に運動会を予定しています。

 

それに向けて、運動会の練習が予定されていましたが、暑さのため、外での活動を全て中止にした学校もあると聞きました。

本来なら練習の稼ぎ時のような晴天なはず。

 

熱中症への予防対策でしょう。

 

なるほどな…

 

と思う反面、

「暑い中での屋外の活動をどう行うか。」

 

を考える必要もあるのではないかな、ともちょっと思いました。

 

猛暑だったり、酷寒だったり、大雨や猛吹雪。気象条件の元々厳しい北海道。

当然、活動を控えるという判断も重要です。

 

とともに、遭遇した時に

どう身を守るか、も大切なのではないかと思ったりします。

 

そんな時、思うのが学校の常識。

ちょっと柔軟にはできないものでしょうか。

 

例えば時間。

1時間45分やり通さなくても、子どもたちの様子を見ながら早めに切り上げるとか。

 

例えば持ちもの。

タオルや水筒をグラウンドに持参させて、身体を冷やしたり、こまめに水分を補給するとか。

 

とは思うものの、なかなかそうはならないものです。

学校の側から考えると

 

「なるほど」

 

と思える事情もあるにはあるようです。

 

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水筒の持参一つをとっても、クリアする問題がたくさん。

にしても、

 

「何でもみんな一緒。」

「すべて学校の責任。」

「少しでもリスクがあると 回避。」

 

を超えて、

子どもが自分たちのことをもっと自分で決められる、

ということを議論するのも必要なのかもしれません。

 

もちろん、リスクを甘く見るという意味ではありません。

 

最近、

高学年の子どもたちと話していて思ういこと。

 

子どもたちには、教師が思うより

新鮮な発想で色々考えていて、

健全だし、とっても頼もしい!

 

 

鎮魂の旅を終えて

今年のGWは10連休。

 

この休みを利用して東北地方に出掛けました。仙台から山形、福島そして宮城と巡りました。

 

前半は土砂降りの雨に当たったり、寒さに震えたり、山道で霧の中、道を間違えたりしました。

しかし、この低温のおかげでか、遅咲きの桜があちこちで美しく咲き、旅の楽しみを倍増させてくれました。

山形の「山寺」の桜は、山全体を包み込む深い森林の香りに包まれながら優しく咲き、心を癒してくれました。また、会津若松の鶴ヶ城の城内の桜は風に無数の花びらを踊らせて、道に淡いピンクの絨毯を敷き詰めて出迎えてくれました。

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観光地を巡る中で、車窓から眺める景色は、もうすぐ始まる田植えや色々な作物の作付けの準備をする人達を見かけました。

桜の花々はこれから本格的に始まる生産の季節を応援するかの様に咲いているようでした。

 

こうやって春になり、夏になり、秋になり、1年がまた巡って来るのだ、

 

そうやって、何十年も何百年もここの地方の人たちは暦を手繰って生活してきたのだな。

と、人々の暮らしの息吹を感じることができました。

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しかしながら

 

その「当たり前の1年」が今から8年前の3月のあの日に、

突然失われた事を嫌が応にも色々な場所で目の当たりにせざるを得ませんでした。

 

太平洋側の海岸線の道沿いは、其処彼処で防潮堤に覆われていて、今だに工事中の所が数多く見られました。

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海辺を走っているのに海が見えない。

磯の香りも、波の音さえも聞こえない、不思議な光景が続きました。

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そして

石巻から女川町へ北上、再び石巻市に入り、海から5キロ上流の北上川に架かる大きな薄緑色の鉄橋の手前。

 

そこで私は

一生忘れられない、

忘れてはいけない

震災遺構に出くわしました。

 

その遺構が目に入った時、その遺構がもつあまりにも大きな意味を受け止めきれず、

あまりにも辛すぎて、胸が苦しくなり

 

ただその場でハラハラと泣くことしかできず、立ち尽くしていました。

 

これを記述している今も

涙がこぼれます。

 

その震災遺構の名は

 

旧石巻市立大川小学校跡地です。

 

予定のルート上にこの遺構がある事をドライブの途中で知りました。

立ち寄る事をためらいましたが、行くべきではないかとも思いました。

 

しかし、

遺構が目に入った瞬間の衝撃は大きく、未だに気持ちの整理がつきません。

光景は目に焼き付いていますが、それを文章で描写することは

辛すぎて

今は出来ません。

 

ここであの日、起きたとこ、その瞬間まで

いつもと同じ日、

いつもと同じ時間が流れていた事。

 

子供達の明るい声が響いていた校庭、その周りに築かれていた塀に描かれた子供のカラフルな壁画。

ユニークな形の玄関ホール。

何十年も続くはずだった未来。

 

目の前に広がった「遺構」となってしまった学校。

その事実の果てしない重さ。

 

ここから何を学ぶべきかとか、どうすれば良かったのかとか

教訓めいたことや、たやすく命の尊さとかを語る言葉は、全く何も私には見つかりません。

 

 

遺構に手を合わせ、帰る道すがら。

北上川沿いを内陸に走る沿道には、遅咲きの桜が美しく咲いていました。

 

繰り返し繰り返し、季節を告げる桜の花と

時間が止まったままの風景を心に刻みながら

 

鎮魂の旅となった今回の記憶をいつまでも忘れずにいなくてはいけない

と思いました。

 

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今更ですが「心理学」の勉強を始めました①

久しぶりの更新です。

 

実は今、夏に行われる心理の資格試験の勉強に勤しんでいるのです。

受験勉強なので、ひたすら

「知識を詰めこむ」

日々にせねばならないところではあるものの…

 

なかなか進まず焦っています…

 

なぜ今更「心理」の勉強など、と周りの人から言われます。

その理由はかくかくしかじかあるのですが、

 

それはさておき、

 

今更始めたこの勉強が

ことの外

「おもしろい!」のです。

 

学生時代に教わった発達心理学。

フロイト、ユング、スキナーにソーンダイク。

ピアジェにエリクソン。

パブロフの犬やクレッチマーの性格診断。

エスやリビドーだの夢判断だの…

 

「懐かしいなあ。」

と思うと同時に

「これらの事が実際の現場での経験にどう生かされてきたのだろう。」という事を考えてみたりします。

実際、一昔前までの授業研究には

「スモールステップ」や「プログラム学習」など、行動主義の学派の人々の説を、当たり前として位置づけていたし、

クラスでよく取り組んでいた

「決まりを守れたら、シールを貰えて、ゴールまで行ったら賞状を貰える。」などというシステムは

オペラント条件付けに基づく、トークン・エコノミー法という技法だったんだ。

 

などということが改めて(しかも今頃)知ったりすることも面白かったりします。

 

でも、

教育現場での日々の出来事にとってはそれはそれ、これはこれ。

「心理学」という学問の世界の説は、大まかな傾向ではあるのだろうけど、

 

「今ここ」の課題に常に直面している現場では、万事通用するわけでは全然ないではないか。

 

と思っていると、

きちんとそういう理論を展開している学説もちゃんとたくさん存在していて、どんどん面白くなってくるのです。

 

更に、その時代その時代で「常識!」だ、とされている理論に対しても

「批判」や「論争」があり、常に更新されているということも興味深いのです。

 

「へー、そうだったんだ、おもしろいなあ。」

と思い始めてしまうと、そこで「知識を流し込む」勉強はストップ。

ハマってしまいそうになり、受験のための勉強が進みません…

 

やれやれ、今も昔も変わらない私です。

 

昨日は

アメリカの心理学者 ユーリ・ブロンフェンブレンナーの「生態学的システム論」というのにちょっとハマりました。1960年代にアメリカではこれに基づいて行政のシステムが変容したとのこと。

何で、大学時代になんで教わらなかったのかな(教わったけど覚えてなかったのかな。)

 

今朝は

ノーム・チョムスキーの生成文法の話にハマりかけてしまいました。今まで、テキストや本で学んだ発達心理学の話と全然違うだろう、どうしてなんだ???と思ってしまいます。

 

こんな壮大なものに引っかかっていてはこの先の受験勉強、大変な事になってしまいます。何百年経っても試験に合格できない〜〜!

 

適当なところでストップ!

 

といいながら、思うことは

 

この年まで生きてきて、

「なんて知らない事だらけなんだろう!」

 

こんなに膨大な知識の世界をがあり、ほんのちょっとだけ踏み込むと

それがさらに倍増して、自分がどんどん小さくなって、それらに飲み込まれてしまいそう!

 

という事です。

 

そしてそれは、決してマイナスな思いではありません。

受験のために始めた勉強ではあるけれど、

 

始めて本当に良かったf:id:katoreen101:20190323074555j:image

 

と思えるのです。

 

(こんな事を呟いている間に、勉強しろ!笑)

 

 

教育の中のマイノリティーを語る 〜札幌市民交流プラザ・札幌市図書・情報館にて前川喜平を読む〜

札幌市市民交流プラザ札幌市図書・情報館に遅ればせながら、

 

初めて来ました。

 

ここの図書は貸し出しはできないのですが、カフェの様な素敵な雰囲気の館内でじっくりと読むことができるのです。

 

www.sapporo-community-plaza.jp

 

 

最近始めた心理の資格試験の勉強と思って訪れたのですが、手に取ったのはやっぱり教育関係。

 

前からずっと気になっていた前文科事務次官、前川喜平氏の

「教育の中のマイノリティーを語る」

をピックアップ。

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まずは、

前書きで、すでに感激!

 

そこからいくつかの文を引用します。

 

◯憲法には「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(第26条)と書かれています。

能力というと、つい、あるないと捉えられがちですが、ここはさまざまな能力に応じてと解釈すべきだと思います。能力とは今回の5つの対談の中で話してきた様に(前川氏はこの本の中で5人と対談している。そこでそれぞれ「高校中退」「夜間中学」「外国につながる子ども」「LGBT」「沖縄の歴史教育」をテーマにしている。)

単一の尺度で測れるものではなく、一人ひとりがそれぞれ多種多様な能力を持っています。むしろ能力という言葉よりも個性という方がいいのかもしれません。

それぞれの個性に応じてひとしく、

 

このひとしくということばは「もれなく」という意味で、誰もが同じ内容・形式の教育を受けるという意味ではありません。

 

誰もがそれぞれの個性に応じて教育を受ける権利を持っているはずですが、現実にはそれが実現されていません。

とくにそれが実現していないケースが多いのはマイノリティの人たちに対してと言えるでしょう。

均質な人材を大量に育成しようという近代的な政治・経済の要請に従った教育政策のなかで置き去りにされた人たちがたくさんいました。

 

 

◯日本の教育政策が目指すものは、戦前であればいい兵隊、戦後は経済成長に役立つ人間づくりでしょう。経済成長に役立つ人間をいかに育てるか、生産要素としての人間という見方です。いかに生産性の高い労働力にするか、そういう教育が続いてきました。

そういうなかで制度からはじき出された人たちがたくさん出てきました。教育の中のマイノリティはそうした画一的な人材養成の仕組みから落ちこぼれたともいえます。

 

いまの文科省は相当な部分で内閣官房に牛耳られています。とくに大学政策が顕著です。

 

とにかく経済成長に役に立つ人間をつくれという。たとえば、マイノリティの研究のような非生産的な研究に金は使うな、いわんや反日的、自虐的な歴史研究などは絶対にやめさせろという。

 

◯私が学生の時に勉強した憲法のテキストは宮澤俊義さんが書いたものでした。宮澤さんは、思想の自由市場のような言い方をしていました。色々な思想が自由に表現される。そのなかでまっとうな思想が生き残ると考えていました。ところが、まっとうな思想が、レッセフェールで放っておいて生き残れるのか。

 

いまの状況を見ていると、まっとうではないほうがはびこっているのではないか。

 

 

◯これからの教育を考えるときに、

 

学習権というものを根本において考えるべきでしょう。

 

私は仮に憲法を改正するということでれば、学習権をきちんと書き込むべきだと思いますが、もちろん、いまの憲法のなかでも13条の包括的人権規定や23条の学問の自由を合わせて読めば導き出せるものです。その根っこには個人の尊厳というものがあって、

 

一人ひとりが学ぶことによって自分の尊厳を保ち、それを発揮し、実現することができる。学ぶ権利は根っこの権利として確立すべきものです。

 

 

◯これからの教育、教育行政は、これまでのように国のための経済成長を貢献することをよしとするようなモデルから、

 

学習権を基礎に一人ひとりの尊厳が生かされ、学ぶことによって個人が人格を完成させていくようなモデルに組みかえていくべきです。

 

 

前川氏は

「憲法の理想を実現することが行政の仕事だと思っていました。しかしマイノリティの子どもたちの教育の機会を保障することが文科省の仕事の中でもできなかったという気持ちをずっともちつつ、十分できなかったまま退官してしまいました。」(実際には政治の圧力で辞めさせられたというのが本当だと思いますが。)

とも書いています。

 

教育行政のトップにいた方がこんなにもまっとうな考えをもっていたこと、

そしてそのために、不当な政治の圧力にあがない、職を解かれたという事実。

 

怖いですよね。

 

私が所属する、「北海道学びのネットワーク」では教室の中にいながらも学習権を保障されていない子どもたちの学びをどうつくっていくかを研究しています。

教室の中での一斉指導がつくりだす「マイノリティ」の問題に立ち向かおうという

気持ちを、前川氏の言葉が勇気づけてくれたように思いました。

 

 

 

風と砂山の記憶8 〜風で遊ぶ・つくることと学ぶこと〜

前回は吹雪の話でほぼ終わってしまいました。

記述している間に色々思い出し、話が止まらなくなってしまいました。

 

そんな、北海道の厳しい自然の中。 

 

今、学校の統廃合が進み、僻地の学校が急速に数を減らしています。

風と砂山の記憶シリーズの舞台になっている学校も来年度で川向こうの学校に統合され、廃校になると聞きました。

あの特徴的な円形校舎もかなり年数が経っているはず。取り壊しになるのかと思うと寂しい思いは否めません。

統廃合は大都市のS市でも進んでいて、今年度で小学校は2校閉校するとのこと。

昭和50年代の新設校ラッシュからほんの4〜50年での大きな変化を見てきた身としてはつくづく時代は変わったんだな、と考えさせられます。

 

ある研究会に出席した時にこんな事を言っていた先生がいました。

 

都市部はともかく、そうでない所の少子化は本当すざましい。

本当に一握りになってしまった子供達。この子たちを1人残らず、どうやって大切に育むか、誰も落ちこぼさず、全ての子供の学びを保証する事から目を背けては未来はままならない。」

 

どんなにたくさん子どもがいたって、全ての子供の学びを保証する事は実は当たり前のことではあります。

 

しかしなんとなく、勉強についていけない子どもは一定数必ずいるという漫然とした思いが教師の中にもあるのです。

子供が少なくなって

「これではまずい。」

と言う声は、他の教師たちの共感を呼んでいました。

学びを保証することは当たり前だし、その学びの質も本当に大切です。

 

しかし

これだけ子供が少なくなっても、ひとクラス40人。

一斉の教え込み授業は全く減っていません。

 

皆の前で手を挙げて発表できる一部の子と、黙って黒板に書かれていることをノートに写す事を勉強だと思っている多数の子を育てています。

 

教員定数も増やさず、非正規雇用で定数を満たしていたものの、今その非正規の教師の数が全く足りない。

 

S市の小学校のほとんどは基準の教員定数を満たしていないのが現状です

 

子どもが少なってきたのなら、時代の移り変わりに応じた資質能力を育むための条件整備をしていかなくては、と思うのですが、制度も意識も移り変わらない。

子どもが少なくなったのなら、統廃合して効率をよくしてしまおう。という

「いかにお金を掛けないか。」

という根拠が透けて見えています。

 

行政は統廃合のメリットばかりを言いますが、

小規模校での一人一人の子どもにとって、それがどんな影響があるのか、遠距離の通学を含めてしっかり見とるべきだと思います。

 

さて、さて

海辺の学校で子どもたちと過ごした日々のエピソード。

ある子がつぶやいた

「先生、風ってみえるんだね…」という事をきっかけに

 

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 「風」を素材にした題材を考えました。

 

「風」は子どもたちにとって自然に生活にとけ込んでいました。

地元の少年野球チームはまちの学校と試合するとき、なぜか風の弱い日は負けてしまいます。

しかし強風の日は常勝でした。

「町の奴らは風が強いとフライが取れないからね。」と野球チームの子たちがドヤ顔で話していました。

このチームはほぼ毎日強風の中で練習しているので、風を味方にゲームを進めることが得意なのです。

 

私のクラスには、低学年にもかかわらず天気予報が得意な子が多くいました。

指をペロッと舐め、空を指さします。

指先の感覚に集中して

「先生、もうすぐ晴れるよ、浜風吹いてるから。」

などと、いうのです。

 

 「浜風」とか「 陸風」とか「凪」とか

およそ子供らしくない風を表す言葉のバリエーションをもっているのには感心させられました。

天気に敏感でなければ、あっという間に荒天に巻き込まれるので小さいうちから観察力が付いているのでしょう。

 

そんな中取り組んだのが

 

 「ひらひらぱたぱた・わたしのふきながし」

という題材です。

 

当時の資料を引用します。

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地元の教育研究会の中に自ら立ち上げた、図工造形遊び研究小委員会で作成した実践資料集の中に残っていた記録です。

文字の部分が読みずらいのですが、

 

・鯉のぼりを例にとって筒状の基本形の作り方を説明したこと。

・基本形ができたら、自由に飾り付けをして竹竿に糸で縛り付けたこと。

・自分の身体より大きい吹き流しが風を受けて、悠々と青空を泳ぐのがとても心踊る ものだったこと。

 

等などと書かれています。

 

青空を背景にし、色とりどりの吹き流しが舞う光景は大変きれいで、カラー写真が見つからないのがとても惜しいです。

 

当時、「造形遊び」研究小委員会というグループを作り、たった4人で「造形遊び」について実践を通して考察していました。

 

実施されて間もない生活科と造形遊びとの関わりなどを議論していた記憶があります。

 

その辺の事をまた次回ふり返って書いてみたいと思います。