こんにちは
ものすご〜〜く、
久しぶりの記事になってしまいました。
8月4日に公認心理師の国家試験があり、その勉強に(一応)勤しんでいたためです。
無事(でもないけど)に終わり、今は9月13日の発表を待つばかりです。
試験については後ほど色々つぶやいてみたいと考えていますが…
さて、さて、
さて、
酷暑の中、4時間、冷房なし、給水も許されない過酷な国家試験を生き延びたので、8月5日から大好きな東北地方を旅しました。
秋田竿灯祭りを見たり、青森ねぶた祭り最終日の激派手な花火に拍手喝采したり、わさお君に会ったり、メインメニューもことごとく楽しい旅だったのですが、
何が印象に残っていたかと問われると…
思い返すに…
「八郎潟」
と
「五能線」
という、聞く人が聞いたら「なんですか〜、それ。」というワードが浮かんでくるのでした。
「八郎潟」は、元々日本で琵琶湖に次いで二番目に大きかった湖を戦後まもなく、国家的プロジェクトとして大干拓して農地にしたところ。
思い返すと、私が生まれ育った昭和の時代半ばは、「日本列島改造論」だの「経済的成長」だの、
人間の技術と力で国土を改造するのが「善」で
「豊かな生活」を追求するのが当たり前の時代だったように思います。
だから
八郎潟干拓事業も
「私たち日本人は、すごいことをやってのけた象徴。」
みたいな印象を自分も知らないうちにもっていた気がします。
実際に行ってみて、
ひたすら平らな所に静かに広がる水田を見て、
ここに数十年前まで、何千年も豊かな水辺に囲まれた生態系が息づいていたにちがいないと思い
強烈な違和感を感じてしまいました。
立寄った「干拓記念館」でも、どんなに大変だったか、どんなに素晴らしい技術が駆使されたか、それをやってのけた偉大な事業だったということがメインに展示されていました。
また、戦後の賠償金の支払いを有利にするために、外国の技術を導入し、干拓を進める事が国策であったという内容の説明もあり、複雑な事情が絡んでいたこともわかりました。
展示写真の中には、かつて八郎潟に大量に繁殖していた「ヤマトシジミ」が地層になっている部分があることを紹介しているものがありました。
自然の力でそうなったのではなく、干拓という人為的なもので「ヤマトシジミ」が閉じ込められているその様子はまるでポンペイの遺跡を見るようで、とても辛い気持ちになってしまいました。
もちろん「ヤマトシジミ」だけではなく大きな湖で暮らしていた生き物は全滅、そこで何百年も漁業を営んでいた人々もいなくなりました。
八郎潟の工事が進むうちに、日本の農業の状況も変わっていき、コメの増産どころか、減反に…
農家の次男三男の働き口の保証から、農業後継者不足に…
見渡す限りの広い広い水田に夏の風が吹いている平和な風景と
その成り立ちのストーリーのアンビバレンツ
そんなことを感じたドライブでした。
八郎潟を通り過ぎ、日本海側へ
そこで、不意に
「五能線」
に出会いました。
これは鉄道好きな人には、たまらない路線に違いありません。
青森県の五所川原と秋田県の能代を結ぶので「五能線」なのですね。
あまり鉄道に詳しくない私は
五能線と並行する国道101号をドライブしていて、突然2両編成の汽車が走っているのを見て
「鉄道があったんだ!」
とびっくりしました。
こんなにあまり人が住んでいるとは思い難い所に鉄道があるなんて。
それから気をつけてみていると、海岸線ギリギリの所に線路があったり、崖を結んで鉄橋があったり、
やれ、赤字がどうの、維持管理にお金がかかるのでどうのこうの言われがちな鉄道が
ちゃっかり、いやいやこうも堂々と風光明媚なところを走っているのをみて
なんだかワクワクしてしまいました。
車窓からの眺めは最高だろうなぁ〜〜
いつか乗ってみたいな〜〜
そして赤字だの何だの言われないで、いつまでも走り続けて欲しいと思いました。
「八郎潟」と「五能線」
着工された当時の事情と現在の状況が大きく異なる、この2つ。
なのに私が抱いた印象の大きな違いもまた
とても
アンビバレンツでした。