katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びの風景② 〜追い詰められた教師の心を考えてみた(後半)〜

前回の続き、

後半です。

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前半はこちら

www.katoreen.com

 

  最初に断っておきますが、前回引き合いに出した先生の事を、私はこき下ろそうと思っていません。

話の成り行きで、批判的なニュアンスだったかも知れませんが、特別にひどい先生だとは思いません。きっとそんなに独善的ではないのだと思います。

こういう先生は実際、たくさんいて、ちゃんと日本の教育を担ってます。

その多くは真面目で、頭も良く、子ども思いだったりします。

本人は本当に子どものためを思って

良かれと思って

「ピンクの太陽」を描かせないのです。

その理由を考えてみたいと思います。

 

◽️そういうマインドセットの中で生き続けている

マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。 

マインドセットという言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ている。

 多くの先生は「私の言うことを聞くこと」が

子どもにとって自身の評価を良くし、社会でよりよく生きて行けると思っているのです。

「ピンクの太陽」を描くような風変わりな子ではなく、正しい太陽、みんなと同じ太陽(どんな太陽かよくわからないけど)を描ける子に成長させようとやっきなのです。

「ピンクの太陽」はちょっと極端な例かもしれませんが、教師が正しいと思った事と違うことは、ちゃんと潰しておかないと子どもが将来困る、と信じています。

自分もそう生きてきて、社会で安定したそこそこの地位を得る事ができた。

その方が生きやすい世の中だと信じているし、そうではないと誰も否定する事は出来ません。

否定を受け入れる余地はありません。

そういうマインドセットの中で生き続けている以上、そこから抜け出すことは今までの自分を捨てることと同じになり、容易なことではありません。

子どもたちは学校で

・自分の目標をもち、それを達成すべく、毎日生き生きとしていなくてはならない!

・相手の目を見て大きな声で挨拶できなくてはならない!

・集団生活のきまりはしっかり守らなくてはならない!

・授業中は手はお膝、お口チャック、正しい姿勢で!

などなど、

「できなければならないこと」がたくさんあります。

 

多くの教師は、どれもできるようになってほしいと迷いなく願い、こういうことができる子が社会でうまく生きていかれると信じられていて、疑われることはほとんどありません。

 ただ、これが行きすぎて、教師個人のおかしなこだわりまで徹底しようとしたり、やろうとしてもできない子さえも追い込んでしまったりする場合が時々にあり、それはさすがに「論外」と言われるのでしょう。

 

 

それとはまた別の側面もあります。

 

◽️教師としての自分の評価に不安がある

 自分の評価は子どもだけでなく、大人にとっても大問題です。

 

 教師たるもの、絶対に子どもになめられてはいけません。

今現場は若い教師が増えています。そういう教師に先輩教師たちは

「最初が肝心!」

「厳しく、手を抜かないで!」

「甘やかしてはダメ!」

とアドバイスします。

朝の会から帰りの会まで怒りっぱなし、なんて日ばかりはよくある話。

子どもの側からすると

怒られっぱなし

です。

指先一つで子どもが指示通りに動く、右といえば右、左といえば左。ベテランの「指導力のある」先生が子どもを動かしているのを見て憧れを持ちます。

あんな風にならなければ、周りに認めてもらえないと焦ってしまう。

頑張ってもできないのは、うまくいかないのは子どものせいだから、

いくら言っても言うことをきかないのはなめられてるからだ

とばかりに

怒鳴り叫び、威嚇し続ける!

学習規律が整った授業をしなくては、他の教師や保護者に授業を見られた時に何を言われるかわかったものではありません。

手の挙げ方、

発言の仕方、

話の聞き方、

ノートの取り方、立ち方、座り方、

全部決めて徹底

します。

決まりごとが多いと、こぼれる子も多くなり、教師が不機嫌になる時間も増大します。

「⚪️⚪️君さえいなければ…」

「△△さんはどうしてできないんだ…」

「あなたたちのせいで私が非難される!」

 

…怖い教室の風景ですね

こういう教室も実は結構あるのです。

 

こうなると

子どもは概ね次の3種類

に育っていきます。

⚪️教師の気に入られるような振る舞いを覚えて順応する=とりまき組
⚪️自分を出さずに、怒る教師の前では仮面をかぶる=気配消し組

⚪️指示されたことがうまくできず、(理解納得できず)標的になることが多い=不満分子組

そして全体の雰囲気は殺伐としていて、子ども同士のつながりが希薄になり、周りの子の気持ちに無関心になり「チクチク言葉」の応酬になります。

 

なんのことはない、教師の真似

をしているだけなのです。

 

学級崩壊の多くは、学習規律が行き届かずに起こるというよりも、そのような状況で不満分子組が中心となって起こることが多くあります。

 

学習規律は必要

です。

素晴らしいアクティブラーナーの子供たちは概ね謙虚で友達思い、礼儀を知っています。

学び合う仲間に対しての敬意は必須だし、決まった時間の中で、集団で活動している以上、お互いうまくいくようにきまりを作った方がスムーズなことあるでしょう。

 

でもそれは、

「相互にとっての利益を相互に承認」

してこそ有効です。

教師の都合では子どもだって納得できません。

 

私の学習室に来ていた子がこんな話をしていたことがありました。

 

私は勉強が楽しくない。

先生は自分で考えろというけど、何を考えていいかわからない。

先生はわからないなら質問しなさいというけど、そもそも何を聞かれてるかわからないから、質問なんてできない。

友達に聞こうとしたら

「しゃべるな!」

と怒られる。

仕方ないので、ぼーっとしていたら、先生がやってきて

「何してるの、真面目にやりなさい!」

と怒られる。

ムカついて下を向いたら

「誰のために授業やってるんだ!」

と怒鳴られる。

 

 この子は「誰のためにやってるんだ。」という教師の言葉にとても傷ついていました。

そのまま、この先生に問い返したいですよね。この言葉、

誰のための授業なんだ!

 

 「ピンクの太陽」に端を発して

 何故こんなことが起きるのか

 何が「教師の心を追い詰めているのか」考えてみました。

 

 一つ目の「マインドセット」の問題は追い詰められているという自覚は教師にないので、

正しくは

「実は知らず知らずに子どもを追い詰めている教師の姿」

というべきかもしれませんね。

 

皆さんのご意見をお待ちしています。

 


 

主体的で対話的な深い学びの風景② 〜追い詰められた教師の心を考えてみた(前半)〜

 今日は

軽トラです。

北海道はうろこ雲の日が多くなってきて、朝晩の涼しさに秋の訪れを感じる今日この頃です。

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さて、今日同僚の先生からこんな話を聞きました。

その先生の親戚の小学校2年生の女の子の話です。

 

その子は絵を描くのが大好きで、図工の時間に前の日に見た夕焼けをピンクのクレヨンを使って描いたそうです。すると担任のK先生が

「太陽がピンクなんておかしい。もう1枚画用紙をあげるから描き直しなさい。」

と言ったそうです。

描き直せと言われても、描きたかったのはピンク色の太陽だったので何を描いていいのかわからなくなってしまった女の子。

「図工の時間は先生がいいというものを描かなければならない。でも、何を描いたら先生がいいというのかわからない。」と思い悩み、苦痛になってしまった…

という話です。

 

皆さん、この話を聞いてどうお考えでしょうか。

もちろん、子どもから聞いた話で、実際の場面でどんなやりとりがあったのか正確にはわからないのですが、仮にこの話の通りだったとしたら、

「とんでもない話、論外!」ですよね。

 

学習指導要領の図画工作科の目標にはこのように書いてあります。

第1 目標

 表現及び鑑賞の活動を通して,感性を働かせながら,つくりだす喜びを味わうようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う。

第2章 各教科 第7節 図画工作:文部科学省

 

 

この先生にはこれが、

「表現及び鑑賞の活動を通して、感性やつくりだす喜びはさておき、先生が正解と思う造形活動を行い、先生を満足させるためにどうしたらいいか忖度する感性を養う。」

 

…もう笑うしかないですよね。

でも、こんな笑い事が大真面目に、子どもたちの心をコントロールしているのです。

だから、笑い事では全然済まされません。

この学級の子どもたちにとっては、大変に大きな問題をはらんでいます。

 

この先生の頭の中は

どのように子どもたちを成長させようか

ではなく

どのように自分の思い通りにコントロールしようか

でいっぱいになり、そのための、あの手この手が堂々巡りしているのでしょう。

 

実は、こういう先生は結構いるのです。

 

子どもの育ちではなく、

教師としての自分が他の人(保護者や同僚や管理職から)どう思われるか

が大切なのです。

だから、子どもを信用できず、子どもが描きたい絵ではなく、他の人に「上手い」と思わせる絵を描かせる事が指導と考えています。

そういう先生に習う子どもたちは、

学ぶ喜びではなく

自分が先生にどう思われるか、先生に気に入られる喜びを求める子になってしまいます。

そして学年が上がるといろいろわかってきて、

「どうせ…」

「別に…」

と教師を信用しない子にすくすく成長して行ってしまいます。

と、ここまではよく語られるお話ですよね。

 

で、ちょっとその先、そのような先生の「心の中」を考えてみたいと思います。

この話、今日はもう時間がないので前後半にしたいと思います。

続きは「後半」で!

 

主体的で対話的な深い学びの風景① 〜子どもから学んでいること〜

こんにちは

冬に引き続き、夏も夏太りの軽トラです。

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さても…さてさて、

軽トラの住む北国の小学校はもう2学期が始まりました。

今年度から多くの学校で始業式から給食アンド午後も授業になりました。

2学期が始まって急に暑さが戻り、子どもたちも夏太り軽トラもフーフー言いながら久々の教室で勉強頑張っています。

 

暑いとやはりこんなことも気になります。

uub.jp

これを見ると、全国でもずいぶんばらつきがあるのだな、と思いました。

東北や北海道はやはり低い設置率。

その分、冬はガンガン暖房が必要なので、エアコンは我慢は仕方ないかな。

本音を言えば欲しい所ですが…

近隣の県でも違いがあるのにちょっと驚きました。

同じ四国でも香川県はほぼ100%に近いのに、愛媛県は10%にも満たないとか、

首都圏でも東京神奈川でほぼ100%なのに千葉では40%台、神奈川のお隣の静岡県は10%以下など、県によって様々です。

今後増えていくことでしょうが、エアコンに限らず

施設設備の地域格差は気になる所

ですね。

 

さて、話は変わります。

8月18日に

私の所属する教育研究団体

北海道学びのネットワークの第4回セミナー

が行われました。

回を追うごとに参加者が増え、嬉しい限りです。その様子が団体のHPで紹介されていますので是非覗いてみてください。

 

https://m.facebook.com/HokkaidoMN


この会の中で、私はこんな趣旨の話を少しだけしました。

 

「授業の中で、本当にいい学び合いをしている子どもは、決して目立つ子どもではなく、謙虚でどちらかというとおずおずとしている。そういう子が困っている子の様子を察してそっと近づき、優しく丁寧に最後までとことん関わる。」

 

これは自分が授業実践したり、授業観察したりする中で、子どもから受けた大きな気付きです。

 

会の中では詳しく話す時間がなかったのですが、そんな

学びの風景の一つ

を記述してみたいと思います。

 

W君とNさんのエピソードから

 Nさんは発達障害をもっていて、理解力はあるものの学習の場面ではしばしばパニックを起こしてしまう事があります。意欲的に取組み始めるのですが、ちょっとしたつまずきや失敗(本人が失敗と感じたこと)があると固まってしまったり、プリントをくしゃくしゃにしたりしてしまいます。

なので、授業中はできるだけ教師や支援員が付き添い、本人の気持ちがくじけないように一緒に学習を進める事が多くありました。

 算数の割り算の筆算に取り組んでいた時の事です。割り算の筆算は割る数、割られる数の桁数が多くなればなるほど、子どもにとっては大変な作業になります。

立てる、かける、引く、下ろす、を何度も繰り返し行い、その中で一度でも計算ミスをしてしまうと正解にたどり着けず、もう一度やり直しです。

なんだか、苦労が一瞬で水の泡になりそうで、はっきり言って「苦行」。

Nさんのような子にとってはパニックの導火線にすぐ点火しそうな学習です。

実際、何度も起こしかけ危険な状態だったので、先生が多く時間を割いて寄り添っていました。しかし、他にも手のかかる子がいたのでずっとついてもいられません。

近くの席のW君は、早々と問題を終えていました。

そこで先生はW君に困っている人がいたら教えてあげて、と促しました。

W君はしばらく周りを観察していましたが、Nさんがイライラしている様子を感じ取ったのでしょうか、さっと隣に座りました。

教えるというよりは見守るような感じでNさんのペースに合わせて時々つぶやいていました。Nさんはもともと計算力がない方ではないので自分の力で進められるのです。

それを見ながらW君は、Nさんの

「これでいいのかなぁ。これで大丈夫?」

という言葉に呼応して

「うん、そう。」「そう、そこ。」

と、ほとんど周りからは聞き取れない声でぼそぼそ言っています。たまにNさんから

「ここはどうするんだっけ?」

と質問があったときだけ

「あのね…」

とこれまた小さな声で教えるのです。これが淡々と続きました。やがてチャイムが鳴り、他の子達が離席しても、「もうちょっとだね。」と全問やりきる事を目指して同じペースを保ちながらやりきりました。終わった時、学習室には2人きりでした。

Nさんは「W君にわからないところ教えてもらったよ。」と爽やかな笑顔です。W君も嬉しそうです。

Nさんの穏やかな様子は教師にとっても驚きでした。

Nさんは教師がいくら熱心に優しく個別指導しても、いつも張り詰めているような表情を崩さない子だったからです。

W君も変わってきました。

大人しくて授業中に声を張って発表することは依然としてあまりありませんが、表情が自信が現れ、学習に向かう姿勢が前にも増して意欲的になりました。

 子どものもつ力、元々もっている力は「相手に真に寄り添う」ことで本当に磨かれるのだと改めて感じさせられました。 

  

 NさんやW君のような子はどのクラスにも普通に在籍します。 Nさんのようなタイプの子はなかなか子ども同士では支えきれない事も多い中、目立たないタイプのW君が最後まで寄り添う事ができたことは小さな奇跡に感じました。

 

「学び合う」ことと「人が人を支える」ことは同じこと

なのだな、と思いました。

 W君のような

「静かなアクティブラーナー」がたくさんいる集団

はきっと最高な学びの集団になるのではないか、と感じています。

こんなエピソードをたくさん拾っていきたいです!

(文中のエピソードは幾つかの事実を組合せたフィクションで登場人物は架空の人物です。)

 

 

「LGBTに生産性なし」発言への消えないザワザワ感

もうすっかり涼しくなって秋の気配さえ感じる北国今日この頃です。

昔からお盆過ぎたら海に入るな!と言われてましたが、そもそも寒くて入りたくても入れないまだ8月半ばの北海道です。

 

さて、

「LGBTに生産性なし」発言

について、忘れっぽいネットニュースにさえ、未だにいろいろの人からの批判の声が上がってきています。

その中で気になった記事がいくつか。

toyokeizai.net

ほとんどの人たちが感じることを言ってくれている記事だと感じました。

杉田氏は「全文」読んで欲しいと言っているということなので全文書き起こした記事から引用します。

全文引用

  

新潮45 2018年08月号
新潮社
2018-07-18



 に収録されている。杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』57-60.『新潮45』2018年8月号。

以下杉田氏記事全文

この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

 

 

たくさんの有識者といわれる人たちがこの文のものすごく捻じ曲がった理論をしっかりと指摘し批判しているのでそれを繰り返すつもりもありません。

 

私が読んでも、全文「やたら弁の立つおばさんが私情で持論を捲し立てている、どうでもいい文章」

と思うのですが、問題は前にも言った通り、この人は国の政治家だということですよね。

冒頭で紹介した古川准教授のいう

20年来の自民党の根本思想がリピートされたにすぎない

 

ということにつながっていくと、本当に空恐ろしい話に発展します。

こんな持論を責任ある立場の政治家が言い放っておいて、党の幹事長は擁護していることは本当に驚きですよね。

www.asahi.com

 

これらの問題を通じて消え無いザワザワ感の正体

は何かを考えてきました。

全くの私の狭い素朴な感情で語るのもなんなのですが、

前回書いた記事で思ったことと根底で繋がっているように思えてなら無いのです。

 

www.katoreen.com

 

この杉田氏という人はこんなことを発言したら世間では大炎上になるということをわかっていた上で売名でやっているという論調もありました。

 

でも私は、この人は

この人の中での世界である「自民党」という組織の中で、こういう

「とんがったことを言い放つ」ことで株があがること

を知っていて、

組織の中で「よくやった」といってもらいたくて

行っているだけでは無いかと感じるのです。

 

この人はきっとこれからも「自民党」という世界の中でのさばるのでしょうね。

 

しかし、

問題は「自民党」はこの国の政権与党であり、東京医大だの日本ボクシング協会だのといった組織とは全く違う強大な権力組織であることです。

狭い世界の中で人事と金を支配し

一歩外の世界に出ると全く荒唐無稽な

とことん「古臭い」

考え方。

ただ、この「古臭い」考え方はごく一部の考え方ではなく、

私たちの身の回りのありとあらゆる所に染みついているのだと思います。

 

政治となると「古臭い」が「危険」に置き換わります。

そして、杉田氏の言う

「常識や普通であること」

ということというロジックに

あっという間にがんじがらめにされてしまいそうです。

本当に

そら

…恐ろしいです。

この件については、みなさんどうぞご意見ください。

 

 

 

 

 

東京医大「男女差別」と山根会長の「男として…」という発言

こんにちは。

 

軽トラの住んでいる北国はここ数日、爽やかな過ごしやすい日々が続いています。ãéãéãæµ·ã¨æ³¢æã¡ééãéãæµ·ã¨æ³¢æã¡éãã®ããªã¼åçç´ æãæ¡å¤§

こういう日が続くと、道産子たちは

「夏はもう終わったのかね〜。ちょっと寂しいね。」

などと、

ついこの前まで

「あつ〜あつ〜、30度超えたら耐えられん。」

と言っていた事を忘れてしまったかのように、行く夏を惜しむのです。

 

猛暑に苦しむ南の方々には申し訳ない話だとは思うのですが、つい先日は、北海道の東の方ではなんと最低気温3.6度!ストーブつけなきゃ!

というニュースを聞くにつけ、忍び寄る秋の足音にビクついてしまう道産子たちなのです。

ãéç­ç«ã¦ã¨ãã¼ãéç­ç«ã¦ã¨ãã¼ããã®ããªã¼åçç´ æãæ¡å¤§

 さて、それはさておき…

 

東京医大の「差別入試」の続編がいろいろ報じられています。

その中で目を引いたのが

海外からのは反響

です。

www.asahi.com

この記事を読むと、アメリカのニューヨークタイムス、イギリスのBBC(それぞれ電子版)で驚きをもって伝えられているようです。

 

また、フランスやフィンランドの大使館はツイッターで

次のようにつぶやいたとの事。

在日フランス大使館は2日、ツイッターで、フランスでの大学医学部に占める女子学生の割合が、2000年の57・7%から、16年には64・1%に伸びたことを紹介。21年には医師が男女同数になる見込みだとして、日本の若者に「皆さん、是非フランスに留学に来てください」と呼びかけた。在日フィンランド大使館も2日、自国では女性医師の割合が57%を占めるとツイッターに投稿。ワーク・ライフ・バランスが重視されている同国の暮らしぶりを紹介した。」

(以上、記事抜き書き)

 

フランスやフィンランドだけでなく、35歳未満でのデータを見ると、OECD関連国の大半(26/32か国)で女性医師が5割を超えているのだそうです。

それに対して日本は20%程度でどの年代においても

OECD関連国の中で最下位

から下から3番目くらいに止まっています。

labcoat.jp

OECD関連国の中で最下位というと私たち教育関係者はすぐ

「教育への公的支出」日本は最低

というカテゴリを思い出してしまいます。

実際、「OECD関連国 最下位」で検索すると

「教育支出」「教育の公的負担」がずらーっと出てきます。

中には「絶望の国 日本」などというのも出てきてちょっと悲しくなってしまいます。

 

また、女性医師の少なさは女性の社会進出とも大きな関係があるようです。

jbpress.ismedia.jp

教育に金をかけない国は女性の社会進出も進んでいない

という図式が浮かんでしまうのです。

もっとデータをしっかり分析しなくてはそう言い切る事はできないとは思いますが、無関係ではないように思われます。

子どもの教育にかかる金は自己負担、女は家庭で家事や育児、男は外で長時間労働という現状が我が国では依然根強いということを改めて考えさせられます。

 

教育の現場ではどの子にも平等に未来への可能性を保証すべき

です。

男の子だろうが、女の子だろうが、経済的に恵まれていない家庭の子だろうが、どんな子にも平等にチャンスが与えられる社会の方が、そうでない社会より良い社会だと誰もが思うはずです。

 

だから

今回の東京医大の入学試験における「差別」は社会的に本当に大きな問題だと腹立たしくニュースを見ていたら…

 

最近やたらと…

サングラスをかけた、強面の年配の男性が出てくるではありませんか。

日本ボクシング協会の山根明終身会長

という方だそうです。

(終身ってなんだ?笑)

 

報道を見る限りでは、

団体の中で、

金の配分と人事を一人で握るとこんな風になってしまうんだなあ

という見本のような話がいくらでも出てきます。

この方の話は一般社会の中では、どれもこれもがむちゃくちゃで滑稽ですらあるのですが、本人の生きている世界ではどうやら立派に筋が通っているようですね。

 

東京医大の「差別」もきっと、

狭い会議室の中でだけ筋が通っていたことがまかり通っていた論理

なのでしょう。

教育やスポーツはどうあるべきなのか、その中で育つ子どもたちや学生、選手たちにとってどういう世界を築いて行くのが正しいのかという視点を全くもっていないという共通点が感じられます。

 

そんな中で

強面老人も大威張りで言っていましたよね。

「男としてケジメをつける!」

って。

www.sankei.com

 すいませんが、男でも女でもつける時はみんなケジメを付けるのです。

正しくは「人としてケジメをつける。」

ですよね。

 

この方に感じる不快感、東京医大に通じるものがありませんか。

 

狭い世界の中で人事と金を支配し

一歩外の世界に出ると全く荒唐無稽な

とことん「古臭い」

考え方。

ただ、この「古臭い」考え方はごく一部の考え方ではなく、

私たちの身の回りのありとあらゆる所に染みついているのだと思います。

 

そしてそれが

教育に金をかけない国

女性の社会進出が進んでいない国

である日本の社会を変えにくくしているような気がします。

 

「古臭い」考え方の一部の人たちが、

金の配分と人事を多くを、ぎゅーっと握りしめて離さないでいる

のでしょうね。

そして、この問題は氷山の一角に過ぎないのだと思います。

 

 

ともあれ、この問題が表沙汰になったおかげで、多くの生徒や選手たちが救われることを願うばかりです。

 

と、今この記事を書いていたら、渦中の会長さん、TVのインタビューで涙ながらに語っていました。

会長を辞任したのは、28歳年下の奥様から

「あなたは日本一の男だ、男の花道を飾って欲しい。私が終身会長として最後まで面倒を見るから楽になってほしい。」と言われたからだと。

えっ?

…組織のトップとしての責任は?

…社会的な影響への配慮は?

 

ん?何言ってんだ?この方。

 

まるで

…「裸の王様」実写版!

真っ裸!

とここまでいくと

なんだか逆に哀れですねー

 

…余談ですが。

 

東京医大、女子受験者を一律減点に唖然!

おはようございます。

 

夏が快適なのが売りの北海道なのに、

ここのところの暑さでエアコン、回しっぱなし…

今月の電気代が心配が心配な軽トラです。

 

でも、 つけないと息苦しい日がここのところ続いています。

息苦しいのは暑さだけではありません。

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なんと、

教育の場での差別のニュース

です。

www.nikkei.com

「東京医大」という大学はつい最近「裏口入学」で有名になったところですよね。

しかも、裏口で息子を入学させる見返りに文科省の局長が大学に便宜を図ったという、息苦しい、やるせない出来事でした。

文科の局長なんて、地方の校長や課長職などから見たら、上の上のずっーと、ずーっと上の立場のお方。

 

そういう人がそういう事をやり取りした大学。

 

そしてまたまた、今度は

点数までを操作してのあからさまな「性差別」

男女差別という根の深い差別が、最も配慮の必要な教育の世界で普通に行われていたということに息苦しいを通り越して、「息が止まってしまう」くらい腹の立つ思いです。

 

女子の入学者を制限したのは女性が医師になっても、出産や子育てを理由に辞めてしまったり、短時間しか働かなくなったりするリスクがあるため、とのことのようです。

 

確かに、医師の仕事は超激務、職場によっては月に1日も休みが取れるかどうかだという話も聞いたことがあります。

子育てや家事でキャリアを諦めざるを得ない女性医師も少なくないそうです。

 

でも、

女性の医師は絶対に必要

です。

 

「医者は大変だから男しかなれない。男しかさせないようにしよう。」という社会をほとんどの人は望んでいないはずですよね。

 

だから、女性医師(男性医師も)の働き方改革をみんなが協力して進めなくてはいけないのに、

 

「医者は大変だから男しか教育しない。」

医師を育成する大学が、教育の場が逆行したら

 

社会もきっと

あっという間に、逆行してしまいます。

 

 

だから、

教育機関はそういう「差別」に特に特に、敏感でなくてはならない

と思うのです。

 

そして、最高学府である大学は、目先のことだけで学校の方針をやすやすとねじ曲げるのではなくて、

「どんな社会をつくっていくべきか、地域・社会にどう貢献すべきか」という理念に基づいたところであるべきな気がします。

 

東京医大というところはどうなのでしょうか。

と思ってホームページを見てみたところ、

東京医科大学のミッションは、建学の精神と校是に基づき、思いやりの心と深い教養に裏付けられた最高水準の技能を持った医療人を育成するとともに、臨床を支える高度な研究を推進し、地域そして世界の健康と福祉に貢献することです

 

って、書いてあるではないですか!

 

www.tokyo-med.ac.jp

 

でも、やっぱりたくさんの人たちが怒っていて、こんなニュースもありました。

差別の問題についてはこれからも考えて発言していきたいと思います。

www.bengo4.com

 

 

国会議員 杉田水脈(みお)議員「LGBTに生産性なし」発言で大炎上の波紋 にどうしても黙れなかった!

軽トラはずーっと学校に勤めていて、

今も勤めています。

 

学校にはいろいろな子どもがいます。         ããã«ãã«ã®ä¸å¹´çãã«ãã«ã®ä¸å¹´çãï¼»ã¢ãã«ï¼ãããï¼½ã®ããªã¼åçç´ æãæ¡å¤§

 

この前知り合いの先生とメールのやり取りをしました。

その時のその先生の言葉。

学校は子どもが学ぶ場所。どんな子どもも。

算数が得意な子もそうでない子も、体育が得意な子もそうでない子も、障害のある子もない子も、外国籍の子も。みんなが学ぶ場

 

 

学校はどんな子どももみんなで学ぶ場

この先生の言葉に心の底からその通りだと思いました。

 

 

実際、現場にはいろいろな困難があります。

でも、それを何とかして、どうにかならないかってことを一生懸命考えて、

今すぐどうにもならなくても、がんばって

ぎゅーっと知恵を絞り続けるのが大事だと思います。

 

施設設備とか人員確保の困難とか、お金がかかることは厄介です。

 

それでも、みんなが頭付き合わせて考えるとアイデアが湧き、ちょっと前に進む事もできたりします。

 

でも、

一番厄介なのは「差別」という考え方

です。

「差別」を持ち込む大人たちです。

(学校で起きる厄介や困難のほとんどは大人がつくり出します。)

 

この「差別」という大厄介には

徹底して「ちがう!」と言い続けなくては

 

絶対ダメと思います。

 

そんなことを考えていると、こんなニュースに目が止まりました。

 

軽トラは政治の話とか、ブログではしたくないのだけれど、「差別」は絶対ダメだと思っているので、

このニュースに怒り

をおぼえました。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

…ツイッターの記事はすでに削除されているとの事でしたが、

 

同じ自民党の議員の中にも「間違った事は言ってない」と応援する人もいるとの事。

 

これには

 

反論がいっぱい、いっぱい湧き出てきます。

それを言おう、と思った時にこのツイートに目が留まりました。

 

 

…そうか、注目を集めておいて、周りが大騒ぎになって、そしてほんの一握りのヘイトスピーカーが元気づくってことか。

 

ならば、感情的に反応せず、

こういう人が国の代表になることについて、投票する人たちが「NO!」という選択を

する事を願うだけにしておこう

と思いました。

   

biz-journal.jp

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