katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

対話で出会いなおす 〜オープンダイアローグに学ぶ教師のためのツール考察③〜

久しぶりの投稿です。

 

このシリーズ、やめてしまったわけではありません…

全然そうではなく、まだほんの入り口、この奥深い世界にようやく気がついた所です。

 

すいません、ちょっと色々寄り道していました。

 

…海外ドラマにはずいぶん時間を割いてしまいまったのはその通りですが…(ちょっとチェルノブイリには力が入ってしまいました。)

その間にも中井久夫を読んだり、橋本治を読んだり、

 

あと、オープンダイアローグに関わっては

「あなたの心配ごとを話しましょう〜響きあう対話の世界へ〜」(トム・エリーク・アーンキン、エサ・エーリクソン著 日本評論社)

を読みながら、実際の教育の現場での具体的なやりとりを想定したりしていました。

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この本、そんなに厚くもなく、文字も大きく、一見とっても読みやすそうなのですが…

実は私にとってはなかなか厄介でした。

 

1文目と2文目がつながらない、

単語は平易なのですが全体の意味がよくわからない。

他の言い回しを自分なりに考えて置き換えてみないと言いたいことがわからない。

置き換えられるうちはいいのですが、結局わからない部分もあったり。

 

つまりは、

私の頭がすこぶる悪いのか(これは当然否めない。)

訳者の方にはとてもとても申し訳ないのですが

日本語訳が私の頭では、スッキリといかない。

 

 

何か、テレビの「同時通訳」の人の言葉を読んでいるような

Google翻訳の文を読んでいるような

こういう時、原書が読める語学力があると本当にいいのだろうな、とこれまた途方もない、無い物ねだりをしてしまうのでした。

 

結局、読み進むのにかなり時間がかかってしまいました。

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しかし、わからないものはわからないと、そこをスキップして読んでも価値のある内容でした。

いや、本当に。

 

その中から、今日は次の話を紹介したいと思います。

 

 

他人のことが心配で、状況が悪い方向へ行ってしまうのではないかと気がかりなら、そのようなあなたの心配を和らげるために、その人に直接助けを求めてください。つまり、助ける側が助けを求めるのです。

・もし心配ごとがあるなら、もちろん、あなたは状況が悪い方向に行かないように何とかしたいと思います。

・しかし、自分の心配を伝えることをあなたはためらうかもしれません。相手が傷ついてしまうかもこともあり得ます。

・つまり、あなたは助けたいと思いながらも、相手との人間関係も守りたいと思っているのです。

・あなたが心配事を伝えないのなら、状況は悪化しあなたの心配事はさらに大きくなるでしょう。相手との関係も良くなりません。

・では、もし相手を尊重しながら心配ごとについて話し、ダイアローグによる協力ができるように努めたらどうでしょうか。これはあなたの心配ごとが鎮まるように相手に助けを求めるということです。(p11)

 

 

日本の読者に向けてと題して、著者トム・エリーク・アーンキルのプロローグです。

のっけから、発想の大転換。

 

つまり、支援者と被支援者という概念を根底から覆しているのです。

支援するものされるものという上下の関係は問題の解消に遠回りである事はわかっていたものの、

フラットの関係をさらに推し進めて立場が逆転!

 

助ける側が助けを求める

 

私は、この話を読んで、ある場面を思い出しました。

 

私ごとで恥ずかしいのですが、

私の老父と、父を支援していたホームヘルパー主任HさんとケアマネージャーMさんと家族での話し合いの場面でのことです。

 

高齢者にありがちな気難しい父を抱えて、私と弟はイライラしがちでした。特に何だかんだ理由を付けては、食事をきちんと取らずにいることを心配して

「ちゃんと食べなければ駄目じゃないの。」言うと、父は決まって不機嫌になってしまうのです。

 

その日も父がせっかくの話し合いの場で怒り出すのではないかと気が気ではありませんでした。

ところがそれは全くの杞憂に終わりました。

 

話し合いの中で、支援者のHさんは、難聴の父に分かりやすい、よく通るはっきりした口調で

「私の心配ごとはGさん(父)の低体重なんですよ。ちょっと痩せすぎているのが心配なんです。」

と言いました。

するとそれまで仏頂面をしていた父が急に顔を上げて

「そうなんだよな。俺もそれは気になってるんだよ。う〜ん、やっぱりなんとかしないとなあ。う〜ん。」

といつの間にか前のめり。

 

ケアマネージャーのMさんは

「そうなんです、私もそれが本当に心配なので、プランを考えてみました。Gさんに協力してもらえると安心なんです。」

と言いながら、プランの説明を簡潔に話してくれました。

 

父はそのプランの説明に耳を傾けながら

「そうだなあ、できそうだなあ。体重増やさないとなぁ。」

と呟き、プランを受け入れたのです。

 

何を言っても

「俺の勝手だ、ほっとけ。」と言っていた父が、自分の健康に前向きになったことに家族は驚きを隠せませんでした。

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今考えると

 

このやりとりは、正に

トム・エリーク・アーンキルが提案した

 

助ける側が助けを求める

 

そのものでした。

 

 

教育の世界では

「教えるものー教えられるもの」「育てるものー育てられるもの」という役割の中で

その間でやり取りされる言葉は時に「されるもの」たちを抑圧してきました。

「私たちの言うことは正しいことなので、あなたたちがそれに従うことが正しいのです。」

というメッセージは、暗に

しかも無自覚に蔓延しています。

 

しかし、

福祉の世界では

本来「支援するもの」の専門家たちが自然に「支援させるもの」が中心にいることをしっかりと捉えることで

事が円滑に進むことをすでに知っているのだと深く感心させられたのです。

 

助けるものが助けを求める

 

この言葉の中には、教育の世界において

子どもと保護者、教職員やSC等の支援者たちの間にはばかる高い壁を取り去る

大きなヒントがあるように思うのです。

 

参考文献 

「あなたの心配ごとを話しましょう 響きあう対話の世界へ」トム・エーリク・アーンキン、エサ・エーリクソン著

日本評論社 2018年