katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びの風景⑤ 〜最北端の街、稚内に再訪して〜

11月に入りました。

6月に訪問した稚内の小学校に再び訪れる機会をいただきました。

 

稚内=きっと超寒い!

と思い込み、覚悟を決めて行ったのですが、思いの外、とても良い天気に恵まれてちょっとした行楽気分でした。

 

学校ではT校長先生が笑顔で出迎えてくれてました。

たった2度目の訪問なのに「ただいま」と言いたくなるのは、私がかつて似たような海辺の学校に勤務していたからなのか、この学校の醸し出す空気が優しくて柔らかいからなのでしょうか。

とにかく、居心地がすこぶるいいのです。

 

この日は、地域の中学校区の学校の先生たちが集まっての授業研究会でした。

隣の小学校の先生たちと子どもたちが進学する中学校の先生たちが一堂に会し、授業を参観し検討会を開きます。また、先生たちだけではなく、地域の人々にも広く参加を呼びかけている、まさに地域皆んなで子どもを育てるという考え方に立った授業研究会でした。

 

T校長先生の下、学校をあげて「対話的で主体的な深い学び」に先生たちが熱心に取り組んでいる授業はどこも見所満載ですが、私は6月に引き続き3年生の教室を参観しました。

 

あの地図記号に夢中になっていた子どもたちです。

 

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3年生の6人の子どもたちはペアで算数の問題に取り組んでいました。2つほど問題を解いたあと、先生は難問を出しました。

 

 それぞれ同じ重さの赤いボールと青いボールがあります。赤いボール5個と青いボー ル3個の重さをはかったら2Kg750gです。

赤いボール3個と青いボール5個の重さをはかったら2kg450gありました。

赤いボールと青いボールそれぞれの重さは何gですか。

 

…いわゆる「つるかめ算」というやつです。3年生にはかなりの難問です。

どうなるだろうと思いきや、一人の男の子が

「これは難しいよ。皆んなで力を合わせなきゃ。皆んなでやろう!」と提案。

「そうだね!」と早速6人が頭を付き合わせて問題をホワイトボードに図解したり、式を書いたりしはじめました。

 

正に頭を突き合せる、という言葉がぴったりです。

「でも!」「あ!だから…」「え、そうか!」という言葉が飛び交ったかと思えば、「えーと…」と、じーっと黙り込んで図を見つめたり。

 

参観していた先生たちも固唾を飲んで子どもたちの言葉を真剣に聞いていました。

 

問題が難問なため、なかなか良いところまでいくのですが答えに簡単にはたどり着きません。でも子どもたちは粘り強く追究をやめようとはしませんでした。

 

この中で私は次の2人に注目していました。

一人は算数があまり得意でないように見受けられたZ君、

もう一人は担任のM先生です。

 

Z君は一人で進めるのは難しいよう思えました。

みんなで考えるといっても、一人だけ置いていかれるのではないだろうか、考えるのをやめて外れてしまうのではないだろうか。そう心配になって様子を観ていました。

 

Z君は、友達が熱心に話していることの中にはわからないことも少なからずあるように見受けられました。

でも、考える輪の中からは決して外れることはなく、自分ができることがないかずっと皆の話を聞いています。そして時折「ぼく、その筆算やる!」などと言いながら参加し続けていました。

学ぶ意欲を持ち続けていました。

 

 

「ぼくだけわからない。」にではなく「みんなもわからない。」こと、

そして、自分も「皆んなで考える一員である」という相互の承認が子どもたちの関係に根付いていること

それがZ君をこの場で学び続けた大きな理由だったのではないかと思いました。

 

ところで、この難問を小学3年生の子どもたちが答えにたどり着くことができたと思いますか。

 

最後の最後まで「もう少しでたどり着く」ラインを行ったり来たり、

結末はM先生が子どもの声を上手くつなげて見事に解くことができました!

 

子どもたちの歓喜の声、参観していた先生たちも思わず拍手しそうになるほどの大盛り上がりで終わった授業でした。

 

授業後の話し合いの中でM先生は

「授業が終わったあとも、子どもたちの興奮がなかなか醒めませんでした!」

と話していました。

 

さて、M先生です。

M先生は6月に見たときのように実に絶妙な子どもとの距離感を保っていました。

子どもたちが頭を付き合わせて熱心に議論しているときは、結構離れた場所から笑顔で見つめているだけ。

やがて子どもたちの話していることを黒板に図で整理したり、

それを指して「これはなんだっけ」とか、

「それで?」とか

子どもの声を聴きながらつないでいくだけで、言葉数も極めて少なめです。

 

子どもたちを信じて委ねて待っている姿。

「教師は教える」「子どもは先生のもっている正解を取りに行く」のではなく、子どもが主体的に学ぶために、課題を選び、子ども同士をつないでいく。

さすがM先生!、私自身今回も多くのことを学べたと感じました。

 

しかし、

実はM先生は、大変に悩み、自問自答を繰り返しながら、このような授業実践を進めてきた、

ということを授業後の話し合いの中で知ることができました。

 

授業というものは

課題をしっかり板書し、ノートに書かせ把握させる。

見通しをもたせ、自力解決させる。

自分の考えを発表させ、全体で交流させる。(これが学び合い)

最後はまとめと振り返りをノートに書かせる。

というものでなくてはならない。

と長年信じていた。

 

しかし、この日の授業はそれらのどれもなくて

でも子どもは深く学んでいた。

 

「今、自分たちが目指すのはこのような姿でいいのだろうか。」

 

ということを自分に再び問い直していたのです。

 

そのあまりにも謙虚で思慮深い問いのおかげで、さらに授業後の話し合いが深まったのはいうまでもありません。

 

絶えず「問い直す」というたゆまぬ姿勢に

またまた深く学ぶことができた最北の街での1日でした。

 

美味しい食べ物

美しい景色

 

これから始める過酷な厳しい冬の暮らし。

そして学び続ける子どもと教師たち。

 

稚内で私も「主体的で対話的な学び」ができました。

T校長先生をはじめ、関係の皆様に深く感謝いたします。

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絶海に浮かぶ秀峰利尻富士はまもなく人を寄せ付けない真っ白い山となります

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シーグラスを探しに北の海へ

こんにちは

もうすぐそこまで冬が来ている北海道。

明日あたりは峠で雪の予報も出ています。

春から一度行ってみたかった

シーグラス探し

 

寒くなる前に、エイっと

行ってまいりました。石狩方面の某砂浜へ、エイっと…

波に洗われて

ま〜あるくて、マットになった割れガラスたち。

 

綺麗ですよ。

ぼんやり見ているとタダの砂と小石。

その中から、一度は人が手にしたビンやグラスの破片たち。

 

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青い仲間たち。シー陶器も「いつの時代の物なんだろう」と考えちゃいます。

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丸っこいグラスたち。よく波に磨かれていますね。

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ちびっこいグラスたち。ピアスにしたいな

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赤と茶色いグラスたち。赤はレアものなんだそうな…オレンジはさらにレアで、19世紀以前のものもあるそうです。

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ちょっといびつなグラスたち

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ついでに拾ったシー貝殻くんたちです。

 

時間と自然と、人の造形物とのコラボ。

見つけようとしなければ見いだすことのできないって所にも魅力を感じます。

 

波の音を聞きながら、ひたすら浜を歩くっていうのも

浮世から浮いてる感じがして、

ストレス溜まってもうやだ〜

って思っている現代人にもオススメのシーグラス拾い。

一緒に行きましょう。拾える場所、教えますよ!

 

もうすぐ、人が近づくことができなくなる石狩の嶺泊というところの

だあれもこない浜で拾った

 

シーグラスたちでした!

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景④ 〜子ども理解と授業研究〜

 

こんにちは。

今日の北海道は朝から冷え込み、私の住むS市の最低気温がとうとう一桁になりました。

あと1ヶ月もしないうちに初雪の便りがきかれると思うと、ちょっと物悲しい気分になります。

 

今年度も半分を終えました

9月の末はS市のほとんどの小学校で通知表が配付されます。今年は地震の影響で遅れているところもあるようですが、半年の出来事を、ご家庭では親子で振り返っている時期かな、と思います。

 

通知表に記載されている「所見」欄にどんなことを書こうか、担任の先生たちは夏休みから頭を悩ませ、下書きに励みます。

 

これが、なかなか悩ましい。

一人一人を思い浮かべ、どんな姿を保護者に伝えようか、時には1時間かかっても下書きが完成しない子どももいます。

伝えたいことがあっても文章にしてしまうと、なんか伝わっていないような…

違う風に伝わってしまうような…

 

ま、とにかく悩ましいのです。

 

同時に自分は一人一人の子どものことをどこまで理解しているのかと問い直すこともあります。

学校で子どもが見せる姿は、概ね「頑張っている姿」

中にはヘトヘトになるまで「頑張りすぎている姿」なのだろうと思います。

多くの子は先生が期待する姿を

「がんばって」明るく努めています。

 

通知表の

「がんばろう」という評価をもらいたくないし、いつも「がんばってね!」と声かけられるし、「がんばったね!」と褒められるし。

 

がんばれる子は
とても生きやすいのです。

が、

がんばれない子

それも

がんばりたくてもがんばれない子も

実は大勢います。

 

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そういう子をイメージして授業研究する

という取組はあまりメジャーではないけれど

私は「大事だなことだなあ」と思っています。

 

そんなことを考えさせられたエピソードを書いてみます。

 

私の働いているS小学校での話です。

 

T先生は毎朝、玄関で子どもたちの登校を出迎えます。

T先生は、いろいろなクラスに学習支援に入っているので、どの子も親しみを抱いています。

「おはよう」と明るく声を掛けられると子どもたちは安心してその日の学校生活に入っていけることでしょう。

 

そんな、いつもの朝のこと。

赤い車がすーっと校門前に横付けされました。

 

黒いランドセルを背負った男の子が、お母さんらしき女の人に襟首をつかまれんばかりにひょいっと車から降ろされてました。

男の子が呆然とする中、車はさーっと走り去ってしまいました。

 

R君です。

所在無く、メソメソ泣いているのをT先生が見つけて寄り添いました。

なかなか動き出さないR君。

蚊の泣くような声で

「具合悪い…うちに帰りたい。具合悪かったら帰ってもいいってお母さんが言った。帰りたいよ。」

T先生は

「せっかくここまで来たんだから、まず保健室に行こうね。そこでお話聞かせてね。」と何とか校内に連れて行きました。

 

家に帰ったって一人ぽっちになってしまうことは間違いありません。学校にいた方が安心だし安全なのです。

 

T先生は30分くらいR君とお話をしました。

 

 T先生はそのR君の様子をこんな風に話してくれました。

 

「玄関にいたらね、R君がポイッと車から降ろされて泣いてるんですよ。きっとお母さんも仕事で急いでたんだろうな。子どもの様子をみる感じじゃなかったし…

それでしばらくR君の話を聞いてたんだけど…

どこがどういう風に具合悪いのとか、

家で何かあったのって何を聞いても

『わかんない〜、わかんない〜…』ってメソメソしてるんですよ。

 

言いたいけど、言えないんだろうな。

家ではどんな毎日なんだろうな…

朝ごはんも食べていないようだし。

かわいそうだなあ、お腹すかしてるし、寒いのに上着も着ていないし…

でも、

小さい兄弟もいるし、仕事も忙しいし、お母さんもなかなかRに構ってあげられないんでしょうね。」

 

そしてT先生は、R君のために、羽織るものと少し温めた牛乳をもっていきました。

 

 

私はその話を聞いて、

数日前の算数の授業の中での出来事を思い出しました。

学校を休みがちなR君は学習でも遅れが目立ちます。

授業中も個別に関わっていないと理解の難しい場面がほとんどです。

 

気にはかかるけど、なかなか手の回らない状況の中で、R君の隣のC君は誰よりR君を気にかけていました。

 

「先生、Rはしばらく休んでたからこの前習った、通分と約分がわからないよ。俺、今日は(Rが登校したから)頑張らなきゃな。」と話に来ました。

なんとも頼もしい!

私の少人数指導の授業は一斉の場面はあまりなく、考える時間や子ども同士が学び合える時間を多く取るようにしています。

理解力のあるC君は問題をさっと解いて、すぐにR君に声を掛けました。

R君はC君が来てくれることを静かに待っていました。

 

長い時間を掛けて、C君は自分で理解したことをR君に身を重ねるように教えています。

「う〜んと、まずね、ここをこうして。」

「うん、うん。」

「あ、そうそう。いや、そこ違うよ。」

「あ、そうか、わかった!」

 

そんな二人のやりとりが続き授業が終わりました。

 

私はC君がR君を最後まで見捨てないことに本当に感心していました。

 

下手をすると、R君は誰にも気に留めてもらえないような子です。

クラスの学習のリーダー的存在のC君が

そんなR君を決して見捨てない。

このクラスがもつ、人を思いやる風土をみた思いでした。

 

子どもたちの優しさに頭がさがる想いでした。

 

そして驚いたのはそれだけではありません。

 授業が終わり子どもたちが教室に戻る時、最後まで一人残っていたR君が私にこう言ったのです。

「今日は勉強が楽しかったよ。C君に教えてもらってとてもわかったの!

でもね、ぼく、九九が言えない段があるんだよね。言えるようになりたいから

今日は家で勉強してくるよ。」

 

宿題すらほとんでやってこない(やってこれない)R君。

家庭学習などほとんど取り組めたことがないはずです。その彼が自分で課題を見出して意欲をもったことに、私はほとんど感動してしまいました。

 

実はその後、R君はまたしばらく学校を休んでしまい、家庭学習に取り組めたのかどうかは極めて怪しいところです。

彼の困難は学校だけの力で解決することは難しい問題です。

 

ただ、この授業の中で、学び合える仲間に恵まれ、

「今日学んだことが楽しかった。もっとできるようになりたい。」と言ったことは事実です。

また、泣きじゃくっていた彼をT先生が受け止めてくれて、「話すことのできない困難」について

想像力をもって接したこともまた事実です。

 

学校の中で、授業の中で

R君が生き生きする姿をうみだすこと。

それができる学び合う仲間の支え合い、他者をケアすること。

そのことが積み重なること。

 

 

これは学校のできる、とても大きなことではないだろうかと

またも

子どもたちから学んだ

 

私でした。

 

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暗い雲が覆いかぶさっても、その上には優しい月の光や星が必ず輝いています。



 

 

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景④ 〜学びを深めていると思う時〜

こんにちは

地震から3週間以上がたち、落ち着きを取り戻しつつある北海道ですが、週末から週明け月曜日にかけて台風24号が近づいているとの事…

3週間前の台風21号からの北海道胆振東部地震の記憶も新しい中、またまたなんだか不安です。

 

私の勤務している学校では地震で延期になった宿泊行事も週明けから予定されているのに心配です。子供達もそわそわしているだろうなぁ…

 

 

さて、今年度、授業実践を自分で実際に行うようになってから約半年が過ぎます。

 

以前授業観察者として子どもの学びを見取っていた時と違って、自分で授業を進めていると「進める」というところに力が使われてしまい、

肝心の「子どもの学び」の事実を、なかなか見取る事が出来ない

ということが課題でした。

 

そんな中ではありますが、繰り返し子どもの姿を見ているうちに

少しずつ見えてくる事

があります。

いくつかのエピソードをあげてみたいと思います。

 

 

静かなアクティブラーナーU君のエピソード

U君は物静かな子です。

生真面目で教師が何か指示を出すと淡々とやり遂げる子です。

なので成績もそこそこ良く、教師からみると、「可もなく不可もない」ごく普通にできるおとなしい子。

これといったエピソードはあまり思い起こせないタイプです。

 

実際担任の先生も

「U君ですか?ちょっと固くて、おとなしいんですよねー。もっと発表出来るようになるといいのですけどね。」

と評価していました。

確かに、U君は理解していても手を挙げて進んで発表する事はありません。いつも早々と指示を終え、じっと次の指示を待っています。

 

そんなU君が学び合いの授業で変わってきたのは、

隣のKさんが「ここ分かんない、U君教えて!」としばしば尋ねるようになってからでした。

Kさんはあまり算数が得意ではないのですが、人と関わる事に屈託がありません。

 

しかも私の少人数教室では「友達の力を借りてでも分かるようになろう!」と推奨されているのでKさんにとって

隣のU君は頼もしいパートナー

です。

 

皆の前で発表するのは苦手なU君ですが、気心の知れたKさんには気軽に説明できます。

 

「…だから、こうなって、こうすれば答えが出るよ。」

「へー、なるほど!わかったわかった!」

「でもさ、ここは分かるけど、ここな何でこうなるの?」

 

とU君とKさんはいつも問題をめぐって議論するようになりました。

 

そうこうしているうちに、はじめは教えるばかりだったU君が

「えっ…どうしてだろう??」

 

と窮することもあるようになりました。

 

2人で

「ん〜〜…」と考えたり

時にはKさんが

「わかった、わかった、だからさあ、ね!」とU君に逆に教える場面も見られるようになってきました。

 

時には席の前後の子や他のグループの子も巻き込んで楽しそうに学び合う姿が見られるようになってきました。

U君はKさんだけでなく、いろいろな子たちに考えを伝える事が出来るようになってきました。

 

そんな授業時間を何時間か過ごしているうちに、U君は表情が格段に明るくなり、

始業前誰よりも早く少人数教室にやってきて、

 

「先生、今日は何やるの?難しい問題出してください!」

「算数、すっごい楽しいです!」

 

と笑顔で話しかけてくるようになりました。

シャイなU君の笑顔はとても素敵でした。

 

H小学校での少人数教室は単元ごとに子どもが入れ替わります。

単元がいくつか終了し、

しばらくぶりにU君がまた私の教室で授業を受ける事になりました。

 

U君からは、はじめの頃の固い表情は姿を消し、リラックスして学んでいます。

 

自分の課題が済むとすぐに周りへの気遣いをさりげなくはじめます。

 

彼が特に気にかけているのはB君です。

B君には学習の遅れがあり算数ではかけ算九九も覚えていないのでTTの先生が作ってくれた九九表を見ながら計算に取り組んでいます。

計算がややこしくなると、パニックになって投げ出してしまうこともあります。

 

この時の単元は

「整数の性質」でした。

子どもたちは、「倍数」「約数」や「最小公倍数」「最大公約数」、さらに「素数」などこれからの算数や数学の基礎となる整数の性質を学習します。

 

子どもたちのもつ素朴な生活の概念から離れ、メタ認知していかなくてはならない部分も多く、苦手な子にとっては

「何が何だかわからない。」

単元でもあります。

U君はさっさと自分の課題を終えるとK君に寄り添いました。

 

B君は行き詰まるとU君に尋ねながら進められるので落ち着いて取り組むことができました。

B君がやり始めると、U君はまた自分で問題をやり直したり、他の子に教えたりしていました。

授業も終盤になり、ノートの丸つけをしたり直しをしたりしていた私のところにB君がノートをもってきました。

 

筆圧の強い独特な字ですが、今日の課題の問題数の分だけ、しっかり答えが書いてありました。

見上げると

「できた!」と言うB君のドヤ顔があるではありませんか。笑

 

U君の関わりでやり方が分かったB君には、

この授業で大きな学びがあったようです。

 

一方、教える側に回わることが多かったU君の学びはどうだったのでしょうか。

 

彼のノートは課題をしっかりやり遂げた跡が残っています。

しかし彼にとってもう

「わかりきったこと。」をなぞっただけの授業であれば

彼にとっての「学びはなかった。」

 

授業だったことになってしまいます。

 

しかし

そうでなかったことが、彼が書いた単元のまとめの振り返りの記述からわかりました。

 

彼の振り返りにはこう書いてありました。

 

わかったことは、こんなにも数と数が共通しているということです。

「素数」を見つけることに興味をもちました

もっとやってみたいです。

 

 この単元は「倍数」「約数」や「最小公倍数」「最大公約数」、さらに「素数」などこれからの算数や数学の基礎となる「整数の性質」を学びます。

 

 彼らがはじめて見るその言葉と意味。

それをただ教えるに必死だった自分。

 

そんな中で

しかし、U君は

こんなにも数と数が共通している」ことに驚き

「素数」を見つける、深い深いテーマに興味を抱

 

という数学の世界に開かれている学びを深めていたことに

私は感動してしまいました。

 

「深い学び」とは何か

という議論があちらこちらでなされています。

 

「学習規律」を整え、理解を促す

「集団での練り合い」の中で皆で深まる

という授業研究が巷では盛んなようです。

 

しかし、私は

一人一人の子が、課題に向き合い、

それについて他者と話したり、書き記したりということを数多くこなし、また課題に戻り自己の中でまた新たな気付きを生むことを繰り返す中で起きること

のではないか、

ということを

U君のような

 

静かなアクティブラーナーから

また、学ぶことができた

 

気がします。

 

 静かなアクティブラーナーの他のエピソードを合わせてご覧ください。

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普段の学びの風景。

頭を付き合わせ一緒に考えたり、一人で考えたりいろいろです。

 

 

主体的で対話的な深い学びの風景③ 〜学習規律と学力について考える〜

 こんにちは

北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。

スーパーの品揃えもかなり元通りになり、日常が帰ってきたように思います。

今日ようやく納豆が買えた

ことで少し笑顔になった軽トラでした。

 

しかし、観光の人たちが激減してしまっていたり、停電の影響でいろいろな産業で大きな損失が出ていたり、経済への影響が表面化してくるのは、むしろこれからなのかもしれません。

 

 学校で見る子ども達の様子は、どの子も元のように明るいのですが、中には

「普通に見えるけど、実はとても頑張って過ごしている子」

も多くいるはず。

今後、大人達が抱く生活や経済への不安感が少なからず影を落としてくる気がします。

 

 

 さて、さて、

 エピソードをひとつ…

先週、地震後初めて子ども達が登校した日のことです。

  その日は午前授業となったので、いつもの少人数の授業を取りやめ、教室に学習支援に入ることにしました。

授業が始まり、子ども達と前時の学習の確かめをしていた時、突然担任教師が

「激怒」

し怒鳴り始めました。

 

何を怒っているのか私にはよくわからなかったのですが、どうやら、ある子が後ろを向いて他の子と話をしていたことを叱責したようです。

当然教室の中は緊張が走り、凍りついたようになりました。

 

なんだかよくわからない、

「学習規律ルール」

があるようです。

後ろを向いて他のこと話をするなど言語道断、皆の前で激しく叱責されるべき行為だったようです。

久々にそのクラスの授業に入り、その恐ろしげな「学習規律ルール」に私自身が違反してしまいそうです。

 

そして、そのせいで子どもがまた酷く叱られるのもいやなので、担任教師に

「すいませんがルールがよくわからない。私は何をすればいいのですか?」

とちょっとイラっとしながら(いやいや結構むっとしながら)尋ねました。

すると担任は

ちょっとイラッとしながら(いやいや結構むっとしながら)

「(勉強が)わからない子は手を挙げて自分からわからないと言う決まりになっているので、手を挙げた子の所にだけ行って教えてください。」

と答えました。

子ども達の前でのやりとりですから、

そのトゲトゲしさも十分子どもに伝わってしまいました。

こんな状況の中で、「わからない」というマイナスの事を、皆の前で手を挙げてカミングアウトできる子は果たしているなだろうかと思いましたが、何人かの子が

「先生、わからないので教えてください。」と声を掛けてくれました。

教師に子どもが気を遣ってくれているのです。

 

この緊張感の中、事が穏便に運ぶように子ども達は頑張っているのでした。

 

さて、このエピソードについて、皆さんはどう思うでしょうか。

 

もちろん、私の語りで綴っていますので、偏って描かれているかとは思います。

担任の教諭からしてみると、こんな話になるでしょう。

 

「学級をまとめていくには規律やルールを徹底させる事が大事です。小さな事でも許してはならない。教師が話している時に勝手に話をするのを許したら規律が乱れ、統制が利かなくなる。授業が成り立たなくなったら子ども達にとって学ぶ権利が奪われる。だから、ルールを破る子には毅然とした態度で接しなくてはなりません。私は子ども達のためにエネルギーを傾けて頑張っているのです。」

 

この教師の心の中には

「なめられてたまるか!」

という声がこだましているに違いありません。

「統制が取れた教室」

 

いついかなる時もそれしか考えないのでしょうか。

この教師は

その先に何を見ているのでしょうか。

前回に引き続きまた考えさせられてしまいました。 

 

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  私がいた教室はそういう数多の教室の一つに過ぎないと思うし、こう考えるのは当然と多くの教師たちは信じているのだと思います。

 

たまたま、私が体験したエピソード。この担任教師個人に意見するというわけではなく、多くの同じ考え方の教師に向けて話しているつもりです。

それらに対して

 

次の点から異論を呈したいと思います。

 

1、大きな地震の後、はじめて登校した日。子どもの心に寄り添うべきではないか

  どの学校でも、子ども達は多少ハイテンションになるなど影響が出ていたという声が挙げられていました。S市においても各学校にスクールカウンセラーのスーパーバイザーから、教師が気をつけていなければならない点について文書で通知が来ていました。

その中には「大声で怒鳴ったりする事は慎むべき」という内容の記述もありました。

 

べつにスクールカウンセラーに言われなくても、担任だったらいつもと違うあのような状況なのですから、子どもの心に敏感でいるべきでしょう。

 

子どもを「受け止められる」気持との余裕。必要ですよね。

 

いつもと違う状況であるならば

自分の目の前の子どもにとって「今」なにが必要なのかということが日常のルールより大切ですよね。

 

2 学習規律が徹底され、統制されなければ子どもは学ばないのか

 

1で意見した事は多くの方々の同意を得られるような気がします。

でも、この点についてはおそらくほとんどの教師は

「あたりまえだ。学習規律は何より大事。学級担任がすべき仕事の基本だ。」

と胸を張って言うと思います。

 

「学習規律は大切だ」という点について、

もちろん、私もそう思います。

 

問題はその

「中身」と

「誰のための規律なのか。」

という点ではないかと思います。

 

学習規律を重点にしているある学校と

学習規律が先にありきということに否定的な考え方を持っている方の意見

を比較してみたいと思います。

 

 ⚪️学習規律の重要性を重点にしている学校

「学習規律」を重要視している道内のある小学校の研究発表の一部を紹介します。

子ども達は、学習するにあたって次のような約束をしなくてはなりません。

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 さらに、全校を挙げての「具体的な取り組みの重点」として

「姿勢」と「字の書き方」

を挙げ、すべての教室の黒板の上に「立腰」と書かれた紙を掲示して徹底を図っているとのこと。

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 また、保護者や児童のアンケートを基にした課題について、学校便り掲載記事からということで次のような文を発表しています。

課題1:姿勢

依然として、大きな課題となっている項目が「姿勢」です。(中略)引き続き重点的な指導が必要となります。これまでにも全学級に『立腰』という目標を提示し、指導の重点として発達の段階に応じた取組を進めてまいりましたが、今後も的確な指示や興味関心を高める授業改善などを進め、より一層定着するよう努めます。

 

課題2:字を丁寧に書く

 新たな課題として、「文字を丁寧に書く」があがりました。(中略)本校ではこれまでも「書く活動(ノート指導)の徹底」を重視しており、全学級に配置してある、実物投影機を有効に活用する授業を進めてまいりました。ノート指導は「後で振り返った時に学習の筋道がわかる」「書くことへの抵抗感の解消」など、とても大切な学習技能(スキル)として押さえ、系統的な指導に努めてきました。各学年の到達目標を明確化した取組を進めるなど、指導の徹底に努めます。

 

 この他に、全国学テや教研式学力テストの平均点が+2ポイントほど上がったことや体力の向上のための「チェックシート」、校長が全部の学級の公開授業を参観して学校の方針通りに行っているかを評価する実践報告を作成していることなどが発表されていました。

「学習規律」、中でも「立腰」という姿勢を保持することが学力向上に繋がる根拠については特に触れられてはいません。

他にも、問題の「解き直し、学び直し指導の徹底」や家庭での「学習習慣の確立」にも取り組んでいるとのことなので、やはり、姿勢と学力の相関はよくわかりません。

 

 ⚪️学習規律は何のため?という考え方

  映画「みんなの学校」の舞台となった大阪市立大空小学校の初代校長の木村泰子先生による雑誌に載っていた文章の一部を紹介します。

 

〜今、全国各地を回る中で、どの地域に行っても学校に行くことができない子どもの出会います。(中略)

これらの負の連鎖の空気が教室に充満する原因は、全てと言っていいくらい「学習規律」を守らせようとする教師の指導がきっかけになっています。

ここで少し立ち止まって自分の考えを持ってみませんか。

「学習規律」は何のためですか?

「学習規律」を守らせようとする前に、その「学習規律」は目の前にいる全ての子どもが守ることができる規律なのかどうかを考えてみましょう。守りたくても守れない子どもがいるのではないでしょうか。

ある学校では教室に椅子に座る姿勢の絵が貼られていて「足の裏はつけて背中はピンと伸ばし、机はお腹と握りこぶし一つ」と指導されていました。

この規律の目的は何でしょうか。いい姿勢を作ることですよね。でも例えば、教師であるあなたが45分間、このいい姿勢で椅子に座ることを強要されて、豊かな学びは生まれてきますか?

自分の考えをもったり、友達の考えを聞いたりすることが目的にはなりませんよね。こんな授業の中で、学びは楽しいと感じますか?学びの目的は「主体的で対話的な深い学び」です。

たとえ、床に寝っ転がっていてもみんなと学び合っている事実の方が大切なことはわかっているはずです。

 

 私の授業の中でも、考えることに夢中になってホワイトボードを抱えて黒板の下に座り込んで没頭したり、床に車座になって学び合う子どもの姿がしばしば見られます。

 規律がないと学ばない、ということはないと感じています。

 

というか、学ぶことに夢中になると教室の中の空気は一定の秩序に包まれます。

いつも、というわけではないのですが、そういうことは実際によくあります。

 

それを経験している教師はたくさんいるに違いありません。

 

上の2つのやり方考え方について、皆さんはどう考えるでしょうか。

 

私は

両者の決定的な違いは

 

子どもは一人一人みんな違い、一人一人みんなかけがえのない尊厳をもった存在。

できる限り、オーダーメイドできる学校がよりよい学校なのだ

という哲学があるかないか

 

ではないか感じます。

 

多様な人々が集まる学校。

規律は必要なのですが、その「中身」を

「誰の何のためのものか」

をもっと考えることで、教師自身も生きやすくなるのでかないでしょうか。

 

ご意見いただければと思います。

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秋分の日が来たらもうすぐ初雪の便り、北海道はあっという間に冬…

 

 

 

 

 

北海道胆振東部地震と大停電のその後 〜不安がデマに踊らされる〜

こんにちは

 

地震と大停電から復興中の軽トラです。

揺れで破損した温水器も設備屋さんの迅速な対応で直りました!

感謝です!

 

地震明けの月曜から札幌市内の小中学校の半数以上が学校を再開。

長〜い一週間を終え、週末を迎えています。

ようやく余震も気持ちも落ち着いてきたようです。

今日、コンビニで豆パンを見つけて思わず買ってしまいました。

美味しかった!

豆パン

 

 地震でカチンコチンになっていた飼い猫さんたちもだいぶ元気になってきましたが、余震に怯えて今でもキョロキョロand匍匐前進で日々前進です。

疲れるだろうな…

 

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先週は6日ぶりに授業も行いました。

子ども達は普通に過ごしているけれど、どこか不安を抱えているに違いありません。

 

「不安」だと、心が隙間だらけ

 

 

自分は騙されないぞ、と思っていた「デマ」に

ちょっとだけ「本当にそうかもしれない」

と、いとも簡単に騙されてしまいました。

 

これについて振り返ってみたいです。

 

1 「もうすぐ全戸で断水になる」という不確かな情報

 我が家は蓄熱式温水器が破損し、元栓を切っていたので、温水器経由の台所や洗面所、風呂場などはすでに蛇口から水が出ていませんでした。なので、外の水道などから水を汲んで台所や風呂場にたっぷり溜めておきました。

 そんな時にツイッターや友人のラインで断水関連の情報がざわざわし出しました。

実はそんな事実はなく、水道局もツイッターで断水になる、という情報は誤っていると流していました。

すでに水を溜め込んでいたのであまり気に留めていませんでしたが、これには惑わされた人たちが大勢いたようです。

ある町内では、町内会の役員さんが

「もうすぐ断水になる。水を貯めておきなさい!」

と戸別に訪問して言って回ったそうです。

 

スーパーの買い物の行列に並んでいた知り合いの方は、列の誰かが「断水の情報が入っている!」と言い出し、その場で列がざわつき出し、ほとんどの人が自宅などに

「もうすぐ断水になる。水を貯めておいて!」

電話やラインなどで伝えていたとのことです。

もうそうなると、確かな情報なのかどうかをチェックしようという気持ちはもう働かなくなるのは想像がつきます。

 

2 大地震が再びやってくる!という不確かな情報

「今、厚真の方で地鳴りが起きている。5、6時間後に大地震が来る。自衛隊からの確かな情報だ。自衛隊や消防がそのために現地に今招集されている!」

という情報が、ラインなどでほとんどの人も所に、複数の知り合いから送られていたようです。

中には送り手が硬くその情報を信じて送ってくるので、

一人でも多くの人に、その情報を伝えることが国民としての義務だ

的な勢いで拡散希望してくるものもあったと聞きました。

 

私は半信半疑でしたが、確実に「不安」になり、一応息子にラインを送りました…

 

するとこんな返信が…

 

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おいおい、

ちゃんと調べて行動しないとダメだよ、まじで

と窘められ、

少し冷静になることができました。

 

でも、後から聞いた所によると、この情報が流れた晩は

不安でぐっすり眠ることができなかった

という人が大勢いたようです。

 

今回の地震と大停電の影響がじわじわ広がりつつある北海道。産業への影響がとても心配です。

経済的なことだけでなく

 

人の心に「不安」と、

そこからくる

 

「不確かな何か」にコントロールされてしまう

気持ちの揺らぎという影響を与えているということを

 

考えさせられた今日この頃の軽トラなのであります。

 

 

 

北海道胆振東部地震と大停電が変えた風景

大停電は非日常をつくっています。

スーパーでは…

まるで、ひまわり畑のようです!
セブンイレブンさん、ありがとうございます!#むかわ町 #北海道胆振地方中東部地震 #むかわ町生活情報 pic.twitter.com/l71a1dlZQ1

— むかわ町災害情報 by地元有志 (@mukawasaigai_ai) September 10, 2018

 

 さらに、コンビニでは…