katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

北海道胆振東部地震と大停電のその後と明日への不安〜台風の暴風は嵐の前の静けさに過ぎなかった!〜

こんばんは

軽トラです。

久しぶりの投稿となってしまいました。

 

正直、ここ数日の経験を記すという気になれないというか、手につかない時間が過ぎていました。

何とか、今日は書いてみようと思います。

 

皆さんご存知のように、私の住む北海道は9月6日の未明、最大震度7の地震に見舞われ、その後、

北海道全土が停電

となってしまいました。

www.asahi.com

 

ずっと札幌に住んでいる私にとっても、私の周りの人たちにとっても

経験したことのない大きな揺れでした。

news.tbs.co.jp

 地震が起きたのが午前3時08分、ほとんどの人がぐっすり寝ている時間帯でした。

揺れというより、ガタガタギシギシという物音で目を覚まし、地震だと気付きました。

 

静まるかと思いきや揺れは一層激しくなり、全く身動きも取れずベッドにしがみつくしかありませんでした。

 

やがてユラユラと静まったかと思いきや、シューという何かが激しく吹き出す異様な音!

我が家の蓄熱式温水器のパイプが断裂したらしく熱湯が吹き出しているではありませんか!なんとか元栓をひねって止めたのですが部屋中が熱湯!

 

食器が散乱、気持ちも頭も混乱!

 

直後は20分間ほど電気が通じていたので、慌ただしく後片付けしながら、テレビで情報収集。

胆振の厚真町が震源であること、私の住む地域は震度5強だったことなどを知りました。

程なく停電。

うわー、きついは〜停電!

これで片付け何もできなくなりました…

その時点ではスマホの充電も十分だったので老父に電話で無事を確認するなど、家族と連絡を取ることができたのは幸いでした。

 

それ以上は夜明けを待つしかありませんでした。

 

実は

地震の前日の5日は、強い勢力を持つ台風21号が未明に北海道を直撃し、被害をもたらしていました。

札幌市内でも広い範囲で停電していて、学校も臨休や繰り下げ登校など、すでにあちこちで混乱していました。

 

その矢先の

まさかの

大地震だったのです。

 

今振り返ると、

台風の暴風は「嵐の前の静けさ」

ですらあった気がします。

 

実は、北海道はそんなに台風が来るところではありません。

来る前にその多くが温帯低気圧という奴になるのです。

 

地震も、過去には十勝沖や釧路沖などの群発地震があるのですが、特に道央圏は長いこと大きな地震は起きておらず、はっきり言って

札幌は「災害の少ない都市」

という思い込みをなんとなく、みんなもっていました。

 

それがたった2日で完全に覆されてしまった

のです。

 

さて、

話は地震後の停電のことでした。

この停電は「長引く」という予感がありました。前日の停電も隣町では丸1日中回復していなかったからです。

 

その日のことは今考えても時系列であまり思い出せません。

 

全市の学校が臨時休校になったこと、

すべての公共交通機関がストップしたこと、

一部の開店しているコンビニやガソリンスタンドに人が殺到していること、

信号がどこも全くついていなかったこと、

停電は全道のすべて290万個以上の大規模なものだということ

やがて全道で断水になるという話はデマだったこと。(一部地域では断水だった。)

 

いつもTVで見ている被災地の風景に今自分がいるのが不思議な思い

でした。

 

とにかく、長引くであろう停電に向けて明るいうちにできることをやらなきゃ、と必死でした。

ラジオの電池の準備

カセットコンロの用意

懐中電灯、ろうそくの用意

できる範囲で情報収集

 

そんな中で、

今度はスマホが機能しなくなって

きました。

機内モードのするなどして節約していたので充電はあったのですが、キャリアのパワーがどんどん低下し、電話もラインもほとんど出来なくなりました。

もう、

イライラライン、ラインイライラ…

 

わずかに、SMS、しかも超短い文しか送信できたりできなかったり

ポータルサイトも開けないから情報も得られない。

 

やがて全く使いものにならなくなってしまいました。

 

そんな中、あって本当に良かったもの

 

1 ラジオ

それも、地元放送局のいろいろな地域の人たちからのメールやメッセージ、街の中の今の様子を等身大で伝えるレポートでした。

NHKの番組はテレビと同じで大きな被害が出ているところの様子を伝えるのが中心で、

「今少し困っていたり情報がなくて不安だったりする、普通の大勢の人」

の話はほとんでありません。

そういう感覚を共有できるラジオは聞いていて、気持ちも楽になりました。

 

2 自転車

信号が付いていない中、公共交通機関が止まっているので、普段より車の交通量が増えていました。私も一人暮らしの老父のところに行きたかったのですが自家用車は少し怖かった。しかもガソリンは貴重。

そんな時、半径10km位なら自転車で行くという手があると考えると、これまた気が楽になりました。もちろん徒歩でも行くことはできるのですが、時間を効率よく使えます。

 

3 ものはないけど開けてくれているコンビニ

みんな開店しているコンビニに殺到していたのでしばらくしてから行ってみました。もう店内はものが少ししかなく、電池やスマホ等の車載充電器などはとっくにありませんが、飲み物や袋菓子など、食品が手に入れることができるという安心感を与えてくれました。パートの店員さんだって被災しているのに、不安なのに頑張ってくれていることもありがたかったです。

 

こう書いてみると、実際に役立ったというよりも、あるおかげで気が楽になった、という事が大きい気がします。

 

今は9月9日

発生から3日経ちました。

昨日は破損したボイラーも仮復旧、今日は外食することもできました。

明日からは仕事も始まり普通の日が再びスタートします。

 

地震からの停電

停電からの流通ストップ

流通ストップからの行列と品不足

品不足からの…

いつ日常が非日常になるかわからない、

明日への不安

 昨日見た夕焼け空

綺麗なはずの夕焼けもなんか怖かった

f:id:katoreen101:20180909212157j:plain

 

まだ余震への恐怖もある中、街はまたいつもの日々に戻りつつあります。

 

停電について地元新聞のこんな記事にも注目

www.hokkaido-np.co.jp

〜この度の地震で命を落とされた方々には、心からご冥福をお祈りいたします。