実は、②-その1を書いた直後、オープンダイアローグジャパンのセミナーに足を運びました。
私にとっては大変学びになったセミナーでした!
そこでの話や感じた事は、また後に述べるとして、一点、追記したいことがあります。
「オープンダイアローグ」自体は精神医療や臨床心理の領域の話です。
私がこのタイトルの中で書いている事は、あくまでも「オープンダイアローグに学ぶ」取組の一例に過ぎません。
セミナーの話の中には
「セオリー通り、全てやってはじめてオープンダイアローグと言える」
という事務局側の意見もあったのですが、そこのところはご容赦頂きたいと思います。
さて、さて、前回の続きです。
S先生は低学年の担任をしていて、クラスの子どもたちを私は知りません。
しかし、子どもの描いた絵があれば、子どもを語り合えるという事を私たちは知っていました。
今回鑑賞した絵は「ひみつのたまご」といいます。
自由にたまごを描き、それを割ったら広がる想像の世界を描くという、とても夢のある題材です。
S先生は今年度からもった子どもたちやクラスの様子を話しながら、教室に案内してくれました。
廊下の掲示板に子どもたちの絵が貼ってある。色とりどりの卵からはじけた不思議な世界。
それらの前に立っただけで心が弾みます。
画用紙からはみ出すような大きなたまご。
水玉や花柄があったかと思うと、真っ青に塗りつぶされていたり。
そこから生まれてきたものたちの世界も吹っ飛んでる!
魔法使いや猫や恐竜、それらと遊んでいる自分や家族、友達。
馬の背中に乗って宇宙に行ったり、ジャングルやサバンナに駆け回ったり。
おもしろいなあ、たまごから地下鉄が生まれるなんて。そう言えばLくん、お父さんと地下鉄に乗ったって言ってたんですよ。きっと楽しかったんですね。
Kちゃんのこの絵、よく観たらこの牛、耳が3つありますよ、あ、真ん中のは耳じゃなくてツノ?あ、牛じゃなくてユニコーン?ファンタジーの世界で遊びまわってますね。
この絵、迫力がありますね、ほんと、動物に興味があるDちゃん、さすが。この頃何でも自信がついてきたみたい。このライオンも堂々としていますよね。
絵を語ることはその子を語ることです。
しっかり描き込まれている絵からはたくさんの声が聞こえてきます。
一方で
そうではない、気になる絵にもどうしても目が行きます。
そんな私の視線を見て、S先生の語りが始まりました。
この学年の子どもたちは、今まで出会ったことのないような、手のかかる子が多くて年度当初は手を焼いたんですよ。
話を落ち着いて聞けない、
作業も最後まで続かない、
集団で行動する時にはみ出してしまう、
授業中に離席してしまう事もしばしば。
学ぶことへの興味をどう持たせるか、日々悩んだんです。
私たちの目に留まるのも、そういった子どもたちが描いた作品でした。
たどたどしい線だったり、広すぎる余白だったり、
描かれているものがあまりにも細やかなサイズだったりしている作品です。
いわゆる造形的な技能という面では、とてもじゃないけど、いい評価はもらえないような絵です。
Fくんは進級した当初、全く落ち着きがなく、何かに集中できなかったんです。
この絵も何を描いたらいいかわからなかったようで、取りあえず、しま縞模様に順番に色を塗ったんですよ。
でも、よく見ると枠からはみ出さないよう、色も順番に変えて、気を付けたんだなあ、
ここは没頭してできたみたいですね。
がんばったんだなあって、思います。
Rくんはひときは幼い印象の子で、1年生の時は先生に注意される事も多かったようです。
私も、出会いの時はあまりのテンションの高さに…あぜん…
でも、面白い子で、たくさん笑わされましたよ。
悩んでいると言いながらも、子供との日常を基本ハッピーに過ごしているS先生は笑顔で話す。そう言いながらも、Rくんとの関わりは葛藤が多かったことに違いない。
気に入らない事があれば授業中でも大声を出したり、立ち歩いたり、友達に乱暴な事をするのもしばしば。言って聞かせても同じ事の繰り返し。やってみせたり、褒めたり叱ったり。
そんな中でも、一緒に遊んだり、笑ったりしてきた。
ほんとに、ほんっとに、面白い子なんです。是非あって欲しい、きっと好きになりますよ。
Rくんを語るS先生の顔は生き生きしていて、しかも優しいのです。
Rくんは、絵を描くのが嫌いだったんです。描きたくないって投げ出していた。みんなが自由に書いているのをみてちょっとずつやるようになってね、
この絵も卵にとてもこだわっていて。割れた卵から出て来るものを一つ、また一つと描いていくうちに結局、こんなにたくさん描いたんです。
やっぱり、描きたいものを描いてもいいって、大事なんですよね。
上手とか、そういう事でなく、こうやって着々と描いたこと、そうしてそれが作品として残ること、これって大事なことなんだと思います。
こうした経験が、絵を描くということだけじゃなくていろんな事を成長させていくんじゃないかって感じます。
S先生の語りは続きます。
子どもの作品を横並びで眺めて、よくできたとかできていないとか、そんなことはいくらでも言えるけども、一人一人の子の世界を感じるためにはそんな事は全く関係ない。
絵の上手い下手ではなく、きちんと、ちゃんと描けたかどうかでもない。
子ども自身が着々と
子どもの表現を丸ごと受け取り、
普段からどんな作品を見る時にもやるように
自らの気持ちがその作品をくぐり抜けた時に、どんな子どもの内面が見えて来るだろうか。
この対話を終えた夜、S先生から次のようなメールをもらいました。
今日はありがとうございました、作品みて話をしてると、私も癒されました。
頑張ってるんだよな、子どもは!と改めてしんみり。
頑張ってない子なんていないんだよな、ってしんみり
毎日子どもを優しいまなざしで見つめているS先生。
その先生が、子どもたちに対してまた一歩深い想いを抱いたことを、しんみりという言葉で語っていました。
S先生の中で「新たな理解」が生まれていました。
オープンダイアローグは精神医療の治療において、当事者を含めて関係者たちがチームになって対話を重ねます。
それに対して、この話は私とS先生との2人での対話です。
しかし、子どもの作品を真ん中に置いて語る事で、子どもたちの声が賑やかに聞こえてくるのです。
作品を媒介にする事でとても豊かなポリフォニーの世界へと広がっていくのでした。