少子化や過疎化のあおりを受けて北海道でも大変な勢いで学校数が減少しています。
私がこのブログで何篇か記してきた「風と砂山の記憶」の舞台である石狩市立石狩小学校も今年度末で146年の歴史を閉じます。
明治6年 開校なので、北海道開拓と共に開かれた学校でした。
それから150年、開拓者で賑わった街は閑散とした風景に変わり、学校すら消えてしまうことになりました。
もう30年も前にはなるものの、この学校に勤務していた者としてはやるせない気持ちでいっぱいです。
閉校なるのならばと、先日、当時の同僚達と学校を訪問させていただきました。
私たちがこの学校に在職中、ちょうど開校120周年を迎えていて、色々な記念事業を行なっていました。
図工の教材開発に埋没していた私は、これをいい機会と捉えて(何せ少しではあったけれども、予算があったので)、造形作家の方と子どもたちの
コラボで作品づくりに取り組みました。
その当時の作品が30年経った今も校内に残っていました。
企画した私がいうのも何ですが、経年の劣化は多少あるものの
作品のクオリティーの高さはそのままです。
こんな素晴らしいものが、無くなってしまう学校の中にある事を皆さんに知ってほしいです。
これは当時の6年生と作家の方とのコラボレーション。
色とりどりの立体を子どもたちがつくり、それをアーティストが組み合わせて階段の踊り場の壁に設定したものです。
階段に足場を組んでのなかなかの大工事で取り付けてもらいました。
円形校舎の2階水飲み場に取り付けた鏡
です。
低学年の子どもたちが描いた絵をもとにつくられています。左側の作品は円形校舎を模したもの。校舎の中に学習机が並んでいます。教室の中で、円形校舎を想像しながら描いた子どもの気持ちが伝わってきて私の大好きな作品です。校舎の上にはちゃんと雲もありますが、何故かその一つには時計が張り付いていました。
作成した当時はなかったので、その後どなたかが貼り付けるのに丁度いいと思って付けたのでしょう。
学校の上の雲に時計がついていて時間を管理して見下ろしている、
というのも面白いな、とちょっと笑ってしまいました。
円形校舎1階の鏡たち。
同じく低学年の子どもたちの作品をもとにしてつくられています。
右側の塔は何故か茶色の太陽に照らされて身体をそらせています。
同時私のクラスの子供たちは塔の絵を描くことに何故か凝っていたのでそのうちの1枚だったと思います。
この塔も、左側の鳥もなんと力強いことでしょう。
この白いオブジェはモニュメントとかではなく、校門です。
これは子供たちとのコラボではなく、造形作家の平田まどか氏の作品です。
平田さんは札幌市を中心に活動している作家ですが、この周年事業に参加していただき、今まで紹介した作品も子供達と一緒に手掛けてくれました。
校門は左右に対象にあるもの、という常識をくつがえしたこの作品。
除幕式をしたあの日から30年近くたった今も青空に映えていました。
学校が閉校して子供たちがいなくなっても、この校舎は資料館として残されるとのこと。
しかし、やがてそれもなくなれば、これらのアートも一緒に消えてしますのでしょうか。
この作品たちを毎日見上げていた子どもたちのまなざし。
毎日通った学校生活の記憶の中の
空の色だったり、
鳥の声だったり、
海から聞こえて来る波の音だったり、
のように
階段の踊り場のニョロニョロや
水飲み場の不思議な塔や恐竜との出会いが心を耕し続けていたのならば、
これらのアートたちがなくなっても
残っているのだ、それが、アートの力なのだ
と私は強く思っているのです。