9月の半ば、昨年度から訪問させていただいている、最北端の町、稚内市のW小学校に今年も訪問させて頂く機会を得ました。
前日に稚内に入り、夜はW小の先生たちと一緒に、さすが最北端の港町と心底唸らされる海の幸を堪能しました!
居酒屋ルパン最高!太鼓判‼️
さて翌朝。
突然の大雨はあられ模様に。
まだ9月にもかかわらず10度ほどしかない気温、これもさすが最北端!
一年弱ぶりに訪れた校舎から見える海は、ちょっと濃い目の淡墨色をしていました。
時に晴れ間も見えたりするせいか、雲が虹色になる彩雲も観られたり、やっぱりここはファンタジックな世界です。
校長先生をはじめとして、職員も春の異動で結構入れ替わっていたり、児童数の減少で複式学級ができていたり、若干雰囲気は変わっていました。
でも、やっぱり「ただいま」と言いたくなる場所である事は相変わらずでした。
校長のS先生は女性で、ばりばりのスポーツマン、大らかで、とても頼もしい方でした。前任のT先生も包容力満点の素敵な方だったので、なんと上手くバトンリレーがなされたものだと感心しました。
さっそく教室へ。
まずは6年生。
授業が始まっていたのか、まだ朝自習のような朝の活動中なのかわからないのですが、子どもたちはそれぞれのペースで算数の教科書の問題を解いていました。
「比例反比例」の単元です。
こんな問題。
●800mの距離をカメとウサギが競争します。
●カメは分速20m、ウサギは分速 40mで進みます。(当然ウサギが速い!)
●ところが途中でウサギは居眠りしてしまいます。(お約束の行動!)
●ウサギが何分より多く昼寝をしたらカメは勝てるでしょう?
時間=距離÷速さ なので
ウサギが居眠りしなければ
800÷40=20 20分でゴール
しかし
カメは休まず頑張って
800÷20=40 40分かかってしまいます。
なので、ウサギには20分より長く寝ててくれたら勝てる!
この問題をめぐって、3〜4人のグループで何やら、ぶつぶつ呟きながら考えています。
1人の子が
「いや〜〜、わからない、どういう事??」
とため息混じりに声を発しました。
T君です。
「先生は?あれ、いない…?」
確かに教室の中を一見したところ先生の姿は見当たりませんでした。実はいるにはいたのですが、存在感なく端の方で何やら教材をTVに映す準備をしていました。
T君の「わからない。」に反応してグループの子たちは頭を付き合わせて考え出しました。
「だから…」「でも…」
どうも考えが先に進まず堂々巡りしているようです。
その様子を見ていて話に参加したのは、後ろのグループにいたK君たちです。
「20分ってでてるじゃん、いんだよ答えは20分で。」
とK君。うなずきながら見守るK君のグループの子たち。
よく観ると、見守り組(というか、聴き守り組?)の中に、先生の姿もありました。
うんうんと、あごに手をやり頷いていた新卒2年目の小柄な先生は、6年生の中に入ると見分けがつかないくらいです。
しかし、T君は納得しません。
「20分?本当に20分でいいの?21分じゃなくて?…?」
20分でちょうど同着になることに気づき、それでは勝ちとは言えないのではないか。
ならば何分と言えばいいのか???
ということにT君は悩んでいたのです。
その時、先生はようやく声を発しました。
「T君、このグラフ使って、どこがわからなくて困っていたか皆んなに話してみてくれる?」
とTVの画面にその問題のグラフを映してT君に促したのです。
先生はT君のつぶやきに気付いて、その「困り」をクラスで共有できるように用意していたのです。
グラフを使って、クラスみんなに自分が疑問に思う事を話したT君。
T君の「わからない」はクラス全体の問いになっていきました。
「なるほどね、そっか、20分1秒?」
「20分と0.001秒でもいいっしょ。」
「0.000001秒でもいい!」
T君の困りに皆が反応し、教室の空気が活発になっています。
先ほどからじっくり話を聞いていたLさんが
「〜より、って書いてあるから、答えは20分より、でいいんじゃない?」
と呟いたのを聞いてK君、
「そうだよ、日本語の問題だ〜〜〜。オレは日本語が苦手だっ〜。」
と、苦笑い。
周りの子も
「〜より?以上と同じ??未満っていうのは入らないんだよね。」
などと、言葉の意味を考えていました。
T君も細かく、うなづきながら
「そういう事か〜〜。」と言いながら微妙な面持ち。
とはいえ、なんとか納得したようです。
1時間目はじめの、ほんの10〜15分間程の教室の中のエピソードですが、
私はクラスの子どもたちの中にしっかりと「学び合う」関係ができていることにとても感激してしまいました。
T君が「わからない。」と頭を抱えていた時、教師はここぞとばかりに
「それは〜〜だから、〜〜というように考えるの。わかった?!」
と教えたがるのが常です。
教室は
教える者と、教えられる者がいて
教師は子どもを
「わかるように教える。」ことが仕事であると多くは考えています。
しかし、この短いエピソードでは、先生が見守る(聴き守る)事、更に、ここぞという時にグラフを用意し、T君に彼の疑問を皆に話すように促した事で、
T君の「わからない」から他の子たちの思考が豊かになっていきました。
そしてさらに重要なことは、このエピソードが、日常の授業の中のほんの一コマであるという事です。
つまり、先生は日頃から、「教える」事より「考えること、学び合う」ことを当たり前のように大切にしているということです。
教師は上から何でも「教える」のでは決してこのような子どもたちは育たない、
ということを、またしても教えてもらった気がしました。