katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

主体的で対話的な深い学びをガチでやりたい①

⚪️コメンテーター、実践者になる      ãããªã¼åç æ業ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

  校長だの、研究団体の会長だのをしていた私は、いつの間にか授業研究の場で、助言者いわゆるコメンテーターのような役割をすることが多かった。

それはそれで、大変な仕事だった。

 自分がまだ若くてコメントを聞く立場だった時に、「つまらないなあ。」とか「ちょっと違うんじゃないかな。」挙げ句の果てには「時間の無駄だ、早く帰りたい。」と思うこともなくはなかった。

 だから、自分が話す立場になったら絶対に聴き手にとって、役に立つようなことを話す責任があると思った。問題のポイント捉えていて、聴き手のニーズに沿っているだろうかとか、せっかくだから新たな視点や新鮮な情報をしっかりと織り込ませようとか、自分なりにしっかりした根拠を学習して準備して臨まなくてはならないものだった。

自分で話せないと思った時は話せる人を読んで話してもらうことも方法の一つと思いそうしたこともある。

 自分でこのような立場で話す時は、あまり自信なさげなのも良くない。自分の立ち位置をはっきりさせてしっかり意見を届けるのも大切だと考えていた。

だから、自然と影響力を及ぼすような話し方になったり、時には正しいと思うことに対して意図的に断定的な物言いになったりしまうこともあったように思う。

特に繰り返し言い続けたのは、授業で何を見るかである。

答えは一つ。

 

「子どもの姿」である。

 

 それも漠然とした雰囲気ではなく、その時間に、その場にいた⚪⚪さん、◽️くんについて、具体的な事実で見なくてはならないということである。授業中にどんな学びが、どの子にどのようにあったのか。またはなかったのか。あったら、どんなことが学びを促進したのか、なかったのなら何故そうなったのかを考えるのが授業研究であるはずだ。

 だから、教材化にしても、教師の関わりにしても、学習展開や教具の工夫にしても、何にしても、子どもの姿の事実と共に語らなくてはならない。しかし、参観した教師のほとんど主観で「よかった」とか「もっと工夫が必要だった。」などと考える授業研究ばかりが行われているのが現状である。

 だからコメンテーターを努めていた時は、そういう話し合いにきっぱり「ダメ」を出していた。

 なぜならば、授業は「子どもの学びを保障する」ためにやっているのであって、教師のパフォーマンスや丁寧に準備された教材教具を品定めするために行っているわけでは更々ない。構造的な板書など、はっきり言って教師の自己満足なんじゃないかくらいに思っている。

 教師の問いに呼応して、発表する10人程度の子ども達と授業中ただの一度も話すことなく、無表情のまま他の子が答えて板書された言葉や数字を書き続ける20人近くの子ども達一人一人をちゃんと見ていたら、どんな鈍感な教師でも「一斉授業」はどこかで止めないと子どもの学びを保障することはできないと考えるに違いない。

ところが手を挙げて発言する子どもしか見ていないと、「一斉授業」はさらに強化され、一斉に乗れない子ども達は、ムズムズと手遊びや私語や大あくびをし、叱責ばかりを受けることになる。たまたまその子達が辛抱強く耐えきれることができたらいいが、そうでなければ学級崩壊への道をたどることもあるのだ。

 

学級崩壊の原因は勿論一つではないけれど、「授業がクソつまらない。」という理由はおそらく断トツだ。

 

 

そんなこんなで、そんなことを、時には人にダメを出してでも言い続けてきた私が、3月に退職、肩書きや役職から卒業し、4月からは、一転、なんと授業実践の当事者となったのだ。

高学年の算数の少人数編成の講師として授業を行うこととなった。  

                       ãããªã¼åç æ業ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 あららららー

これはなかなかシビれる状況ではないか!

 

学び合いの授業をつくることは簡単ではない、と実践者の挑戦を見てきてわかっている。

簡単ではない、というよりもそれなりの凸凹の道のりがあると思っている。

 

何よりも、子どもを「信じて、委ねて、支える」ことをブレてはいけない我慢強さが肝心だと思っている。

 

実際、叫び声をあげて(いったいどれだけストレスが溜まってるんだこの子達!?)私の学習室に集まってくる子ども達との出会いと、学びと、変容の様子が実に面白い。

 

私の考えを理解してくれる管理職の先生達や、頼もしい同僚教師達と協働しながら日々進んだり停滞したりしながらも、本当にちょっとずつ手応えを感じている。

 

どうせやるなら

主体的で対話的な深い学びをガチでやりたい!

 と、宣言。

 

この挑戦をシリーズにして順次ブログアップしていきたいと考えている。

 

     ãéç­ç«ã¦ã¨ãã¼ããã®ããªã¼åçç´ æ