katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

「総合的な学習の時間」の理念がどうして学校現場で歪められていったのだろう

AL(アクティブラーニング)という言葉が出てきて、それを授業方法として捉えてたくさんのノウハウ本が本屋に並んだ。

その光景を見るにつけ、「総合的な学習」の試行の年であった平成12年から数年間の出来事を思い出さずにはいられなかった。

 

 試行が始まった年、私は公立小学校の6年生の担任だった。図画工作科の教科研究に携わり、その頃は自分の学級や学年で行う図工の授業はほとんどすべて自分で題材開発していた。前任の海辺の自然豊かな環境の学校で、地域素材を使って造形活動を行うことに魅せられ、市街地にある学校に移っても、子どもと一緒に色々な材料や用具を相手に造形活動を楽しんでいた。

また、海辺の学校に行く前は中学校の美術の教師だった私は、小学校に行って、教科が変わっても子どもの意識は途切れずにつながっていて、絶え間なく相互に作用して働いていること気付き、とても新鮮に感じていた。

そんなところに新設された「総合的な学習」である。なるほど、これは素晴らしい!この時間を大いに活用しない手はないと色めき立った。何をしようかとわくわくした。

図工の実践を通して、子どもたちを信じて活動を委ねた時に、教師の予想を超え、驚くような力を発揮することを何度も体験していた。まるで、小さな雪玉が坂をころころと転がり大きな雪だるまのように膨らみ、思いもよらないような凄いものを造ってしまう力が、どの子たちにも備わっていると感じていた。

子どもたちの学びのストーリーにそって、やってみたい事=「自分のプロジェクト」を見つけ、自ら考え、解決していく。それでこそ真に学ぶことではないかと張り切って取り組んだ。

脚本のすべてを子どもたちに任せた学習発表会。子どもが本当にやりたいことを見つけて、考えて、組み立てて、失敗を繰り返しながらも最後はしっかりやりきった。今までやった学習発表会のどれよりも記憶に残っている。あんなに大変で、あんなに面白い学習発表会はそうはない。おそらくもう大人になった当時の子どもたちの記憶に刻まれているのではないだろうか。

教室にミニFM放送局の機材を持ち込んで、子どもたちが台本を作り、出演し、機械も操作して実際に地域に生放送を流したラジオ番組作り。校区内の家庭に自分たちの声が本当に流れていることに感動し、地域の人たちからFAXでリアクションが送られてきた時には子どもたちと手を取り合って喜んだ。

学年の他のクラスも子どもたちと話し合い、他の教科の発展に取り組んだりしていた。

調理実習で盛り上がった隣のクラスは、食材についてさらに詳しく調べたり、新しいレシピを作ったり、仮想レストランのメニュー作りをしたりしていた。

将来の職業について興味をもった時には当時はどこもやっていなかった職場体験に全員で出かけた。様々な人たちとのつながりを手繰りつつ、体験させてくれるところを探すのは教師がやったものの、お願いの電話をかけたり、事後に礼状を書いて送ったりは子どもたちが自分の手で行った。取り組んでいる最中の子どもたちの顔つきは真剣だった。

 

「総合的な学習の時間」には子どもの学ぶ力を飛躍させる可能性がある。

総合的な学習の時間の未来は明るいと思っていた。

その子どもたちを卒業させた後、2年間担任を持たなかった。そのまま次の学校に転勤し、3年生の担任になった。学年を組んだ先生たちと近くの防風林を題材に総合の学習を進めようと相談し、散策しクラスごとに子どもたちとテーマを考えた。当然、いろいろなテーマが出てきて、アプローチの仕方も様々であった。林の中に低木や草花が豊富に生い茂り、小川も流れていて、水中昆虫もいそうなとても魅力的な防風林なので多様な取り組み方が考えられた。これは面白そうだと思っていた矢先に、思いもよらない話を聞いた。「うちの学校は、学年で皆同じことをやらないとダメなんです。去年は同じテーマで調べ学習をして、新聞にまとめて発表会をしました。毎年違うことをやらないように申し合わせをしているんです。」

総合的な時間のカリキュラムはその年の3月31日にできると思っていた私には何のことだか理解できなかった。担任を持たずに授業をしていなかった2年間に何が起きたのだろう。

このような事態になっていったのは次のような理由だったそうである。

・環境、福祉、国際理解についてバランスよく取り組まなくてはならないということになった。

・同じ学年が翌年違う事をやったら環境、福祉、国際理解をまんべんなく学べない(未履修)子が出てしまう。

・学校として統一したカリキュラムをもたないと経験の浅い教師とベテランの教師の間に力の差が出てしまう。

…環境、福祉、国際理解は例示にすぎないし、それをやるのが総合的な学習だなどとはどう考えてもおかしいし、経験値の違いを埋めるのは低きに合わせて皆で同じ事をやるのではなく、共同して新しいものをつくりだす事ではないのか。どれ一つとして納得できずに随分抗議をしたのだが、「みんなでもう決めたとこだ。」で片付けられてしまった。

 おまけに間が悪い事に、その年地域を襲った台風で防風林の木がたくさん倒れ立ち入り禁止になってしまった。気がつくと、「みんなでもう決めたこと。」に異論を唱えるのは自分だけ。だんだん勢いがなくなり、皆と同じという「消極的な協調性」が働き、受け入れざるを得なくなってしまった。

 

「総合的な学習の時間」の内容を創り出す力が現場になく、「どうすればいいの?」の大合唱。結局現場が求めたのはみんながこれでいいという(いいと言われる)「やり方」だった。

 

「アクティブラーニング」のハウツー本の平積を横目に見ながら、「明るい未来がいつのまにか歪んでしまった」この経験のような事が、「主体的で対話的な深い学び」についても起きはしないかと懸念している。