katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

風と砂山の記憶 〜エピローグ 学校の残したもの〜

少子化や過疎化のあおりを受けて北海道でも大変な勢いで学校数が減少しています。

 

私がこのブログで何篇か記してきた「風と砂山の記憶」の舞台である石狩市立石狩小学校も今年度末で146年の歴史を閉じます。

 

明治6年 開校なので、北海道開拓と共に開かれた学校でした。

それから150年、開拓者で賑わった街は閑散とした風景に変わり、学校すら消えてしまうことになりました。

 

もう30年も前にはなるものの、この学校に勤務していた者としてはやるせない気持ちでいっぱいです。

 

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閉校なるのならばと、先日、当時の同僚達と学校を訪問させていただきました。

 

私たちがこの学校に在職中、ちょうど開校120周年を迎えていて、色々な記念事業を行なっていました。

 

図工の教材開発に埋没していた私は、これをいい機会と捉えて(何せ少しではあったけれども、予算があったので)、造形作家の方と子どもたちの

コラボで作品づくりに取り組みました。

 

その当時の作品が30年経った今も校内に残っていました。

企画した私がいうのも何ですが、経年の劣化は多少あるものの

作品のクオリティーの高さはそのままです。

こんな素晴らしいものが、無くなってしまう学校の中にある事を皆さんに知ってほしいです。

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これは当時の6年生と作家の方とのコラボレーション。

色とりどりの立体を子どもたちがつくり、それをアーティストが組み合わせて階段の踊り場の壁に設定したものです。

階段に足場を組んでのなかなかの大工事で取り付けてもらいました。

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円形校舎の2階水飲み場に取り付けた鏡

です。

低学年の子どもたちが描いた絵をもとにつくられています。左側の作品は円形校舎を模したもの。校舎の中に学習机が並んでいます。教室の中で、円形校舎を想像しながら描いた子どもの気持ちが伝わってきて私の大好きな作品です。校舎の上にはちゃんと雲もありますが、何故かその一つには時計が張り付いていました。

作成した当時はなかったので、その後どなたかが貼り付けるのに丁度いいと思って付けたのでしょう。

学校の上の雲に時計がついていて時間を管理して見下ろしている、

というのも面白いな、とちょっと笑ってしまいました。

 

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円形校舎1階の鏡たち。

同じく低学年の子どもたちの作品をもとにしてつくられています。

右側の塔は何故か茶色の太陽に照らされて身体をそらせています。

同時私のクラスの子供たちは塔の絵を描くことに何故か凝っていたのでそのうちの1枚だったと思います。

この塔も、左側の鳥もなんと力強いことでしょう。

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この白いオブジェはモニュメントとかではなく、校門です。

これは子供たちとのコラボではなく、造形作家の平田まどか氏の作品です。

 

平田さんは札幌市を中心に活動している作家ですが、この周年事業に参加していただき、今まで紹介した作品も子供達と一緒に手掛けてくれました。

 

校門は左右に対象にあるもの、という常識をくつがえしたこの作品。

除幕式をしたあの日から30年近くたった今も青空に映えていました。

 

学校が閉校して子供たちがいなくなっても、この校舎は資料館として残されるとのこと。

しかし、やがてそれもなくなれば、これらのアートも一緒に消えてしますのでしょうか。

 

この作品たちを毎日見上げていた子どもたちのまなざし。

毎日通った学校生活の記憶の中の

 

空の色だったり、

鳥の声だったり、

海から聞こえて来る波の音だったり、

 

のように

 

階段の踊り場のニョロニョロや

水飲み場の不思議な塔や恐竜との出会いが心を耕し続けていたのならば、

これらのアートたちがなくなっても

 

残っているのだ、それが、アートの力なのだ

 

と私は強く思っているのです。

 

風と砂山の記憶 〜エピローグ・閉校〜

あの角を曲がったら、学校があるはず。

 

と思ったら、殺伐とした野原が広がっている。

鉛色の空から斜めに突き刺さるようにみぞれが叩きつけている。

 

道を間違えただろうか、と思った矢先に 視界の右端に風変わりな円形のくすんだオレンジの建物が見えた。

その建物が、これから赴任する学校だと気づき、何とも暗い気持ちになってしまった。

 

それが以前、このブログに何編か書いた「風と砂山の記憶」シリーズの舞台となったI小学校こと、石狩市立石狩小学校との出会いである。

 

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あの日から30年余りたった先日、

 

本当に久しぶりに「あの角」を曲って石狩小学校を尋ねた。

あの時とはうって変わって、またとない晴天。

 

オレンジの校舎は青空に映えて眩しい。

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今年で開校146年目を迎える北海道で最も歴史の古いこの学校は

今年度末で閉校となることが決まった。

 

その知らせを聞いて、かつて此処で一緒に勤務した懐かしい同僚と待ち合わせ、訪ねたのである。

 

閉校の知らせには正直驚いた。

 

児童数の減少は聞いてはいたが、いまだに60名近くの子ども達が通っているのになぜ閉校になるのだろう。

 

現職の校長先生に閉校の背景やその後子どもたちがどうするのか等について伺った。

 

児童数の減少に加え、校舎の老朽化が閉校の理由とのこと。

閉校後、子どもたちはスクールバスに乗り、石狩川河口に掛かる大橋を超えて北側にある八幡の小学校に通うことになるとのこと。

 

私はその話を聞いて釈然としなかった。

全く納得できなかった。

 

地域のこと、そこに根を張っている歴史のあるコミュニティーのこと。

子ども達もその成員に他ならないのに。

 

スクールバスは石狩川の河口の砂嘴にある現在の学校をスタートし、現在の校区の南端まで降ったのち、石狩川河口橋を超えて八幡小まで行くとのことである。

 

夏でも30分近く掛かるその行程、冬は時間がさらに掛かるのみならず、危険も伴う。

 

凍った河口橋を60人の子どもを乗せて毎日往復するスクールバスを運転する側の苦労も並大抵のことではあるまい。

 

ホワイトアウトすることなど、日常的な地域である。

 

校長先生も

「校区が川を挟んでしまうと、子どもたちは放課後遊びに行き来することができなくなってしまいますよね。河口橋を友達と遊ぶために自転車で超えていくのは難しいことですよね。」

 

と残念そうに話していた。

閉校が決まってから赴任し、閉校事業や事務を任された校長先生も、割り切れない気持ちを抱いているようであった。

 

子どもの人数が減るということは地域の人口が減っていることに他ならないのだから

「仕方のないこと。」なのだろうか。

 

学校は子どもたちの学びの場というだけでなく、地域コミュニティーのコアでもある。

子どもを通して大人も繋がる場である。

 

学校が消えることで、さらにこの地域な人と人の繋がりが希薄になるに違いない。

 

この統廃合の話の端端に透けて見えるのが

「金が掛かるから、廃止にしてしまえ。」

ということだ。

 

少子化、人口の減少、地域社会の崩壊。

「金が掛かるから、廃止にしてしまえ。」

という掛け声がそれに拍車をかけている。

 

60名の児童数は少ないだろうか。

 

私は教師も子ども同士もお互いをよく知り、お互いをケアしながら育ち合うのに最適な人数ではないかと思う。

 

かつての都市部の千人を越す子どもの数こそ、困難を生み出すのではないかと思う。

大量に、かつ効率よく労働者を作り出すことが学校の役割だった時代など、もうとうの昔に終わっているのだ。

 

少なくなってしまったのなら、その少ない子どもたちや地域の繋がりに丁寧にお金を掛けていかなくて、どうやって「持続可能な社会」を形成していくというのだ。

 

「少ないから、お金を掛ける。」べきではないのか。

 

 

兄弟のように深く関わり合って生きてきた子どもたちの濃密な日常。

近所の顔見知りのおじさんやおばあちゃんとの道端での立ち話。

もうなくなってしまっていた地域で唯一の商店での世間話。

 

そんなもの引っくるめて

「金が掛かるので、廃止してしまえ。」

 

ならば、やがて人はどこにもいなくなる。

「金が掛かるので、日本全部、廃止してしまえ。」

 ってことだ。

 

 

校長先生に

「地域の反対の声はなかったのですか?」と聞いてみた。

 

子どもの通学時間に心配の声は上がったようだが、大きな反対運動はなかったようだとのことだった。

 

もうその体力が地域に残っていなかったということなのだろうか。

切ない気持ちになった。

 

 

 

校舎を出て、私も私のクラスの子どもたちも大好きだった砂山に上がってみた。

私の記憶の中の砂山より、ずいぶん小さくなっているような気がした。

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 てっぺんからは、昔と変わらず海が見える。

 

10月の優しい陽の光が砂を照らしている。

子どもたちと一緒に、よく寝そべっていた砂の上に座り、グラウンドをしばらく眺めていた。

さすがに10月の陽射しは砂を温めきれないようで、砂からは冷たさが伝わってきた。

 

 

不意に、鳥の群れが草むらを飛び立ち、真っ青な空の向こうへ飛んで行った。

こんなに晴れて風の穏やかな日はこの地では稀なことなのだ。

 

久々の、

そして、ここが学校である時間のうちの、

おそらくは最後の訪問が

こんな穏やかな日であったことが、砂山に

「おかえり、よく来てくれたね。」

と言ってもらえた気がした。

 

「ただいま。私はやっぱりここが大好きだよ。」

 

私の教師としての学びの原風景。

ここからの景色は

学校がなくなっても

 

忘れることはできない。

 

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主体的で対話的な深い学びの風景⑥ 〜今年も訪問!最北端の町 Part1〜

9月の半ば、昨年度から訪問させていただいている、最北端の町、稚内市のW小学校に今年も訪問させて頂く機会を得ました。

前日に稚内に入り、夜はW小の先生たちと一緒に、さすが最北端の港町と心底唸らされる海の幸を堪能しました!

居酒屋ルパン最高!太鼓判‼️

 

さて翌朝。

突然の大雨はあられ模様に。

まだ9月にもかかわらず10度ほどしかない気温、これもさすが最北端!

 

一年弱ぶりに訪れた校舎から見える海は、ちょっと濃い目の淡墨色をしていました。

時に晴れ間も見えたりするせいか、雲が虹色になる彩雲も観られたり、やっぱりここはファンタジックな世界です。

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校長先生をはじめとして、職員も春の異動で結構入れ替わっていたり、児童数の減少で複式学級ができていたり、若干雰囲気は変わっていました。

でも、やっぱり「ただいま」と言いたくなる場所である事は相変わらずでした。

 

校長のS先生は女性で、ばりばりのスポーツマン、大らかで、とても頼もしい方でした。前任のT先生も包容力満点の素敵な方だったので、なんと上手くバトンリレーがなされたものだと感心しました。

 

さっそく教室へ。

 

まずは6年生。

 

授業が始まっていたのか、まだ朝自習のような朝の活動中なのかわからないのですが、子どもたちはそれぞれのペースで算数の教科書の問題を解いていました。

 

「比例反比例」の単元です。

こんな問題。

●800mの距離をカメとウサギが競争します。

●カメは分速20m、ウサギは分速 40mで進みます。(当然ウサギが速い!)

●ところが途中でウサギは居眠りしてしまいます。(お約束の行動!)

●ウサギが何分より多く昼寝をしたらカメは勝てるでしょう?

 

時間=距離÷速さ なので

ウサギが居眠りしなければ

800÷40=20   20分でゴール

しかし

カメは休まず頑張って

800÷20=40  40分かかってしまいます。

なので、ウサギには20分より長く寝ててくれたら勝てる!

 

 

この問題をめぐって、3〜4人のグループで何やら、ぶつぶつ呟きながら考えています。

1人の子が

「いや〜〜、わからない、どういう事??」

とため息混じりに声を発しました。

T君です。

 

「先生は?あれ、いない…?」

確かに教室の中を一見したところ先生の姿は見当たりませんでした。実はいるにはいたのですが、存在感なく端の方で何やら教材をTVに映す準備をしていました。

 

T君の「わからない。」に反応してグループの子たちは頭を付き合わせて考え出しました。

「だから…」「でも…」

どうも考えが先に進まず堂々巡りしているようです。

 

その様子を見ていて話に参加したのは、後ろのグループにいたK君たちです。

「20分ってでてるじゃん、いんだよ答えは20分で。」

とK君。うなずきながら見守るK君のグループの子たち。

 

よく観ると、見守り組(というか、聴き守り組?)の中に、先生の姿もありました。

うんうんと、あごに手をやり頷いていた新卒2年目の小柄な先生は、6年生の中に入ると見分けがつかないくらいです。

 

しかし、T君は納得しません。

「20分?本当に20分でいいの?21分じゃなくて?…?」

 

20分でちょうど同着になることに気づき、それでは勝ちとは言えないのではないか。

ならば何分と言えばいいのか???

 

ということにT君は悩んでいたのです。

 

その時、先生はようやく声を発しました。

「T君、このグラフ使って、どこがわからなくて困っていたか皆んなに話してみてくれる?」

とTVの画面にその問題のグラフを映してT君に促したのです。

 

先生はT君のつぶやきに気付いて、その「困り」をクラスで共有できるように用意していたのです。

グラフを使って、クラスみんなに自分が疑問に思う事を話したT君。

 

T君の「わからない」はクラス全体の問いになっていきました。

 

「なるほどね、そっか、20分1秒?」

「20分と0.001秒でもいいっしょ。」

「0.000001秒でもいい!」

 

T君の困りに皆が反応し、教室の空気が活発になっています。

 

 

先ほどからじっくり話を聞いていたLさんが

「〜より、って書いてあるから、答えは20分より、でいいんじゃない?」

と呟いたのを聞いてK君、

「そうだよ、日本語の問題だ〜〜〜。オレは日本語が苦手だっ〜。」

と、苦笑い。

 

周りの子も

「〜より?以上と同じ??未満っていうのは入らないんだよね。」

などと、言葉の意味を考えていました。

 

T君も細かく、うなづきながら

「そういう事か〜〜。」と言いながら微妙な面持ち。

とはいえ、なんとか納得したようです。

 

1時間目はじめの、ほんの10〜15分間程の教室の中のエピソードですが、

私はクラスの子どもたちの中にしっかりと「学び合う」関係ができていることにとても感激してしまいました。

 

T君が「わからない。」と頭を抱えていた時、教師はここぞとばかりに

「それは〜〜だから、〜〜というように考えるの。わかった?!」

と教えたがるのが常です。

教室は

教える者と、教えられる者がいて

教師は子どもを

「わかるように教える。」ことが仕事であると多くは考えています。

 

しかし、この短いエピソードでは、先生が見守る(聴き守る)事、更に、ここぞという時にグラフを用意し、T君に彼の疑問を皆に話すように促した事で、

T君の「わからない」から他の子たちの思考が豊かになっていきました。

 

そしてさらに重要なことは、このエピソードが、日常の授業の中のほんの一コマであるという事です。

つまり、先生は日頃から、「教える」事より「考えること、学び合う」ことを当たり前のように大切にしているということです。

 

教師は上から何でも「教える」のでは決してこのような子どもたちは育たない、

ということを、またしても教えてもらった気がしました。

 

 

第2回公認心理師試験 合格発表!さて…

本日14時、日本心理研修センターのHP上で合格発表がupされました。

 

Up直後は混み合っていてなかなか開かないのではという事前情報でしたが、すぐ開く事ができました。

ドキドキドキ…

さて、合否は!

 

と、その前に

まず内訳や合格基準を覗きました。

 

で、驚いたのは今年の合格率の低さです!!!!

 

昨年は9月試験の合格率が79%、地震の影響で延期になった北海道地区の12月試験はだいぶ下がり、64%でした。

さまざまな情報があったのですが、今年の第2回試験も概ね60%前後の合格率を想定した試験なのではというのが大方の予想でした。

 

実際、試験後、出口調査のような感じで自分の解答を送ると採点してくれる辰巳法律研究所の得点分布を見ても、合格ラインを超えている人はおよそ60〜70%くらいでした。

 

なので、私は第2回も昨年の北海道試験と同じくらいか、少し低いかぐらいなのだろうと思ってました。

 

 

なのに、なのに今年はなんと…

46.4%!!!!

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私の受験したGルートに至っては41.8%という低さでした。

これは本当に予想外。

 

合格すべき既に臨床心理士などの資格を持っている人たちが、去年あらかた受かってしまったからなのでしょうか。

 

あらー

 

どうしよう。

合格基準上がったのかなあ

と思いながらドキドキドキ…

北海道地区の合格者番号一覧に私の番号が

 

あるのかないのか、ないのかあるのか

あわわわと、恐る恐る…

チョキ✌️で目を覆いながら見ると……

 

うわー!

 

 

あ、ああ

あ〜〜〜〜

 

な、な、なんということでしょうか

 

 

 

 

 

あるではないですか!!!!

 

まずは、ホッと胸をなでおろしたところです。

 

これも、応援したり、勉強会をしてくれたりした友人のおかげです!

感謝、感謝!!!!!

 

その後、合格基準を見たのですが、昨年と全く同じ、60%の正解が基準となっていました。

この試験、おそらく年々難しくなっていくような予感。

 

やがて社会福祉士国家試験並みに30%台になるのかな〜〜

などと考えながら、

 

ネットの番号だけでは安心できず、合格通知を手にするまで油断してはならないと気を引き締めている私なのでした!

 

因みに、前回のブログで紹介した102番の問題。

正解は②でした。

 

う〜〜ん、やっぱり難しい試験だったな〜〜

 

 

第2回公認心理師試験 合格発表直前

「公認心理師」国家試験の合格発表がついにあさってになりました!

 

心理系の唯一の国家資格である「公認心理師」は制度ができたばかり。

厚生労働省と文部科学省がダブルネームで認定登録を行います。

また、「心理師」は名称独占資格で、公認心理師でないものが「心理師」を名乗ることはできません。

 

昨年、第1回の試験と登録が始まり、今年は2019年8月4日に第2回の国家試験が行われました。

 

そしてあさって9月13日が合格発表です。

 

今までは民間資格しかなかったのですが、最も信頼されている「臨床心理士」になるには大学、大学院を経てようやく受験資格を得る事ができ、その試験も学科だけでなく面接もあります。

 

多くの臨床心理士の方々は昨年の公認心理師試験を受験し、両方の資格をもって活躍されているようです。

 

一方、「公認心理師」は昨年2018年から2022年までの5年間の暫定措置として、平成29年度以前の5年間の実務経験と現任者講習会の受講をもって受験可能となるGルートというルートが用意されています。心理系の大学院を卒業していなくても国家試験を受験する事ができるというわけです。

 

で、私もそのルートで受験した大勢の中の1人でした。

 

準備期間はたったの半年ほど。

 

時間がないので、必死に問題集をやりまくり、関連する本も読みまくり、覚えては忘れまくる自分の頭を叩きまくり、いろんなことをまくりまくった半年でした。

受験のための勉強とはいえ、実は楽しい勉強でもありました。

 

 

試験というものは終わってしまえば、それまで。

いくら「もっと〜〜してたら〜〜だったのに…」とタラレバ調に嘆こうがあとの祭りです。

試験が終わった途端に色々なところから解答速報が出てます。

 

さっそく自己採点をする事ができるのですが、試験直後はとってもそんな気になるものではありませんでした。

私が自己採点する気になったのは3〜4日経ってから。

 

そして驚いたのが、解答速報の答えが各社で割れまくっているという事でした。

ということは、

 

割れまくるほど「解答が微妙な問題」がたくさんあるということです。

ちなみにこんな問題。

 

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皆さん、どれだと思います?

 

私は「腹痛」ということから3を選択しましたが、2という解答速報が多く、1と3と割れていました。

一体何番なのだろうか、明日の心理研修センターから出る正答の公開が楽しみです。

 

3を選択したのは長年の現場経験からです。

実際、腹痛を訴える子は心因的な事が圧倒的に多いのは確かですが、腹痛=心の問題というのは正しくはありません。本当に緊急を要する内科的な疾患だったことも稀にありました。

 

2というのも捨てきれません。ADHDが疑われることから医療の見立ても必要に感じます。2次障害を早急に防ぐ事も大切です。

ただ、この短い文章から、医療に掛かる前に環境調整をどの程度しているのかよくわかりません。本来はまずはそれが先決です。

 

さて、何番なのでしょうか。ちょっと楽しみ。

 

さあ、そして何より合格できるのでしょうか…

これは楽しみではないですよ、不安不安…

 

不安しかない

 

自己採点では何とかなりそうなのなのですが、

 

派手なマークミスや

大幅な採点基準や合格ラインの変更や

私に限ってやらかしそうなよくわからない勘違いが

 

ないとは全くいえないので

 

ひたすら不安なのを紛らわそうと

久々ブログアップした次第でした。

 

あさっていい報告記事を記したい

 

私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八郎潟を訪ね、五能線を見つめて思ったアンビバレンツ

こんにちは

ものすご〜〜く、

久しぶりの記事になってしまいました。

 

8月4日に公認心理師の国家試験があり、その勉強に(一応)勤しんでいたためです。

無事(でもないけど)に終わり、今は9月13日の発表を待つばかりです。

 

試験については後ほど色々つぶやいてみたいと考えていますが…

 

さて、さて、

さて、

酷暑の中、4時間、冷房なし、給水も許されない過酷な国家試験を生き延びたので、8月5日から大好きな東北地方を旅しました。

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秋田竿灯祭りを見たり、青森ねぶた祭り最終日の激派手な花火に拍手喝采したり、わさお君に会ったり、メインメニューもことごとく楽しい旅だったのですが、

 

何が印象に残っていたかと問われると…

思い返すに…

 

「八郎潟」

「五能線」

 

という、聞く人が聞いたら「なんですか〜、それ。」というワードが浮かんでくるのでした。

 

「八郎潟」は、元々日本で琵琶湖に次いで二番目に大きかった湖を戦後まもなく、国家的プロジェクトとして大干拓して農地にしたところ。

思い返すと、私が生まれ育った昭和の時代半ばは、「日本列島改造論」だの「経済的成長」だの、

人間の技術と力で国土を改造するのが「善」で

「豊かな生活」を追求するのが当たり前の時代だったように思います。

だから

八郎潟干拓事業も

「私たち日本人は、すごいことをやってのけた象徴。」

みたいな印象を自分も知らないうちにもっていた気がします。

 

実際に行ってみて、

ひたすら平らな所に静かに広がる水田を見て、

ここに数十年前まで、何千年も豊かな水辺に囲まれた生態系が息づいていたにちがいないと思い

 

強烈な違和感を感じてしまいました。

 

立寄った「干拓記念館」でも、どんなに大変だったか、どんなに素晴らしい技術が駆使されたか、それをやってのけた偉大な事業だったということがメインに展示されていました。

また、戦後の賠償金の支払いを有利にするために、外国の技術を導入し、干拓を進める事が国策であったという内容の説明もあり、複雑な事情が絡んでいたこともわかりました。

 

展示写真の中には、かつて八郎潟に大量に繁殖していた「ヤマトシジミ」が地層になっている部分があることを紹介しているものがありました。

自然の力でそうなったのではなく、干拓という人為的なもので「ヤマトシジミ」が閉じ込められているその様子はまるでポンペイの遺跡を見るようで、とても辛い気持ちになってしまいました。

もちろん「ヤマトシジミ」だけではなく大きな湖で暮らしていた生き物は全滅、そこで何百年も漁業を営んでいた人々もいなくなりました。

 

八郎潟の工事が進むうちに、日本の農業の状況も変わっていき、コメの増産どころか、減反に…

農家の次男三男の働き口の保証から、農業後継者不足に…

 

見渡す限りの広い広い水田に夏の風が吹いている平和な風景と

その成り立ちのストーリーのアンビバレンツ

 

そんなことを感じたドライブでした。

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八郎潟を通り過ぎ、日本海側へ

 

そこで、不意に

「五能線」

に出会いました。

 

これは鉄道好きな人には、たまらない路線に違いありません。

青森県の五所川原と秋田県の能代を結ぶので「五能線」なのですね。

 

あまり鉄道に詳しくない私は

五能線と並行する国道101号をドライブしていて、突然2両編成の汽車が走っているのを見て

「鉄道があったんだ!」

とびっくりしました。

こんなにあまり人が住んでいるとは思い難い所に鉄道があるなんて。

 

それから気をつけてみていると、海岸線ギリギリの所に線路があったり、崖を結んで鉄橋があったり、

やれ、赤字がどうの、維持管理にお金がかかるのでどうのこうの言われがちな鉄道が

 

ちゃっかり、いやいやこうも堂々と風光明媚なところを走っているのをみて

なんだかワクワクしてしまいました。

 

車窓からの眺めは最高だろうなぁ〜〜

いつか乗ってみたいな〜〜

 

そして赤字だの何だの言われないで、いつまでも走り続けて欲しいと思いました。

 

 

「八郎潟」と「五能線」

 

着工された当時の事情と現在の状況が大きく異なる、この2つ。

 

なのに私が抱いた印象の大きな違いもまた

とても

アンビバレンツでした。

 

 

 

いきなり猛暑!学校はどうして水筒を持ってくることを許さないのか②

北海道、暑い日が続いています。

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昨日一昨日、5月なのに猛暑日なんて、長いこと北海道に住んでいる私たちは本当にびっくりの2日間でした。

 

昨日は月曜日、S市の多くの小学校ではこの週末に運動会を予定しています。

 

それに向けて、運動会の練習が予定されていましたが、暑さのため、外での活動を全て中止にした学校もあると聞きました。

本来なら練習の稼ぎ時のような晴天なはず。

 

熱中症への予防対策でしょう。

 

なるほどな…

 

と思う反面、

「暑い中での屋外の活動をどう行うか。」

 

を考える必要もあるのではないかな、ともちょっと思いました。

 

猛暑だったり、酷寒だったり、大雨や猛吹雪。気象条件の元々厳しい北海道。

当然、活動を控えるという判断も重要です。

 

とともに、遭遇した時に

どう身を守るか、も大切なのではないかと思ったりします。

 

そんな時、思うのが学校の常識。

ちょっと柔軟にはできないものでしょうか。

 

例えば時間。

1時間45分やり通さなくても、子どもたちの様子を見ながら早めに切り上げるとか。

 

例えば持ちもの。

タオルや水筒をグラウンドに持参させて、身体を冷やしたり、こまめに水分を補給するとか。

 

とは思うものの、なかなかそうはならないものです。

学校の側から考えると

 

「なるほど」

 

と思える事情もあるにはあるようです。

 

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水筒の持参一つをとっても、クリアする問題がたくさん。

にしても、

 

「何でもみんな一緒。」

「すべて学校の責任。」

「少しでもリスクがあると 回避。」

 

を超えて、

子どもが自分たちのことをもっと自分で決められる、

ということを議論するのも必要なのかもしれません。

 

もちろん、リスクを甘く見るという意味ではありません。

 

最近、

高学年の子どもたちと話していて思ういこと。

 

子どもたちには、教師が思うより

新鮮な発想で色々考えていて、

健全だし、とっても頼もしい!