katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

対話で出会いなおす 〜オープンダイアログに学ぶ、教師のためのツール考察①〜

対話で出会う新たなコンテキスト
 
何か解消したい問題がある時、できるだけ早く、それに関わるメンバーで車座になり、ゆったりとしたペースで語り合う。気持ちを共鳴させながらじっくりと聴き合う。
消して、性急に結論を求める事なく、多様な声を重ね合わせながら、問題に対して、知らず知らずに囚われていた窮屈な考え方から解き放たれていく。
 
学校において教師同士、保護者と教師、または子どもと一緒に、そんなふうに対話をすることができれば、なんと素晴らしい事でしょう。
 
しかし、現場からはこんな声が聞こえてきそうです。

 
それはそうだろう、そうできればいいに決まっている。でも、そんな綺麗事を言う人は教育現場のことを知らない。
どこにそんなゆったりした時間があると言うのだ。
時間を捻出したにしても、それに関わるメンバーを集めるのも大変。
日時を調整したり、依頼書を送って決裁をもらったり、やっと集まることができた時には問題の質も変わってしまってしまっている事も多くある。
性急に結論を出すなと言われても、忙しい中せっかく集まったのだから、具体的に効き目のある対応策を作り出さなければならないではないか。
 
長いこと現場にいた私にはそのことがよくわかります。
 
いろいろな話し合いの場を数多く経験しましたが、問題の発生から時間が経ち、やっとの思いで集まったミーティングは空虚なものになりがちでした。
問題を「解決する方法」に目的が置かれてしまうせいでしょうか。
そして、ほとんどの場合、解決法の決定打というものを打てずにぼんやり終わってしまうせいでしょうか。
 
一方で、問題発生後すぐにミーティングが開かれた場合は、往々にしてよい話ができるとこが多かったように思います。
 
いずれにせよ関係者が同じ場所に同じ時間に早急に集まり、時間をかけて話し合うということはいつでもスムーズに行われる事ではないと思います。
 
では、どうすればいいのでしょうか。
 
私たち教師は校内でしばしば簡単な打ち合わせをします。

打ち合わせと言うよりも、ちょっとした情報交換のようなものです。

もっと言ったら、井戸端会議のようなもの。

今さっき教室で起きた事、些細だけれど気になっている子どもの言動について。わざわざ開かれるミーティングで言うほどのこともないような、取るに足らない話などが気軽に語られます。
その多くはフォーマルなものではなく、インフォーマルなものです。


廊下での立ち話であったり、校内を移動しながらであったり。
担任でなければ職員室での昼食の時間だったり。
時には放課後の教室でついつい話し込んでしまうこともあると思います。
 
一方で、フォーマルな会議もあります。毎月行われる職員会議。

「学びの支援全体会」などという会もあり、その中で特別な配慮が必要な子どもについて話し合われるます。
 
このような会で話題に出る子となると、かなりの強者に限られてきます。

ちょっと気になる程度では、このようなかしこまった会議ではなかなか出にくいのものです。
 
しかし、「ちょっと気になる」程度のことを気軽に言い合える現場と、そうでない現場の間には極めて大きな違いがあります。


大きな出来事は突如起きる事もありますが、ほとんどの場合は「ちょっと気になる」ことが積もり積もってあふれて起こるものである事を現場経験の長いものなら誰でも知っています。
 
つまりは
『「ちょっと気になる」程度のことを気軽に言い合える』場づくりが何をさておいても、なくてはならないということです。
 
小さいサインで
時には2人や3人でも
ほんの短い時間でも
 
ちょっとした気付きや気になるエピソードを「気軽に聴いてもらえる」

そんな空気が流れている学校であることが、教師にとっても子どもにとっても幸せであることは間違いありません。
 
まあ、確かに。それはそうだろう、別に何も目新しい話ではない。
で、一体何がオープンダイアローグなのだ。それとどういう関係があるの?

ここまで、読んでいただいた方は思われるでしょう。
 
まあ、そう焦らずにお付き合いください。

 


オープンダイアローグに学ぶ対話の本質
 
1、«体験している世界»を内側から感じる
2、«多様な声»が生じる場にする
3、«新たな理解»を一緒に生み出す
 
これらを用意周到な話し合いの場だけで意識するのではなく、
 
学校の日常の中の、細やかな対話、
廊下での立ち話で
職員室の片隅の給湯室で
メインの話が終わった後の学年の打合せの中で
 
意識しながら対話する、そういう時間を積み重ねる。
そんな中から始めて行ってはどうだろうと提案したいのです。
 
例えばこんな感じ

若手のA先生がベテランのB先生、支援員のCさんと放課後印刷室で立ち話をしています。
 
A先生「なんか、I君、この頃イライラしていて周りの子に乱暴にふるまうので参ってしまうんですよね。」


B先生「いや〜、ほんと。A先生大変だよね。I君、力も強いしカッとなると人の言うこと全く耳に入らないしねえ。周りの子たちもピリピリし出すし、先生も辛いよね。」


Cさん「私、この前朝、玄関でI君が一人で泣いているのを見かけましたよ。声掛けたら、お家でお母さんとケンカしたって。目にいっぱい涙溜めて…」


A先生「そうだったんですね。そいえば、小さい弟もいるし、お母さん、介護の仕事をしていて忙しいし…」


B先生「I君、そういえば入学式の時もお母さんから離れられなくて、でも、1年生の後半からは見違えるように頑張っていたのにね。本当はやっぱり寂しいんだね。」


A先生「…そうですよね。がんばりの裏返しかもしれないな〜。学校にくるだけでも本当はしんどいのかなぁ。」


Cさん「…そうなんですね〜。私も、気をつけてまた見てみますね。」
 

この間、およそ7〜8分。


話し相手は学年の先生だったり、学校職員や支援員の方だったり、いろいろな立場の人が混ざり合って、I君のことを話しました。

 

先輩のベテランB先生はA先生のやり方がどうのこうの、上から目線でああしろこうしろ言わないし、

教師ではない支援員のCさんの気付きもとても大事にされます。

みんながいろいろな角度からI君を見つめて、重ね合わせていきます。
 
小さいサインで
時には2人や3人でも
ほんの短い時間でも
 
1、 体験している世界
I君やA先生の身になって考えるB先生やCさんが居て
 
2、 多様な声
乱暴なI君、泣いているI君、甘えん坊なのに頑張っていたI君像を重ね合わせ
 
3、 新たな理解
がんばって学校に来ているI君、本当は寂しくて仕方ないI君
 
こんな対話の場がいつでも用意されていれば、
ちゃんとさせなきゃ、乱暴をやめさせなきゃ。
教師は毅然として子どもに厳しく指導しなくては。
という一方通行で問題を解決しようということからA先生は随分解き放たれると思うのです。
 
小さいサインで
時には2人や3人でも
ほんの短い時間でも
 
オープンダイアローグに学ぶ対話の本質
1、«体験している世界»を内側から感じる
2、«多様な声»が生じる場にする
3、«新たな理解»を一緒に生み出す
 
いつでも用意されている=日常に散りばめられている
ことが、
まずは、何をさて置いても大切なのではと思います。

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