katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

転校生はアーティスト!〜おとどけアート事業のお話〜

こんばんは

初雪がいつ降るのかと思いながらもう11月も半ばになってしまいました。

軽トラの住んでいるS市は、いつもの年なら10月の末には初雪、今頃は積もったりしているのに今年は記憶にない雪の便りの遅い年です。

 

さて

今日は

「おとどけアート」という事業

を紹介します。

 

ある日、小学校にアーティストが転校してきます。
アーティストは空いてる教室で何やらモゾモゾやっています。
時折教室にも現れたり、休み時間は一緒に遊んだりもしています。
「何をしている人なんだろう。」と興味をもった子どもたちは、アーティストの仕事を覗きに来て、やがて一緒にモゾモゾやり出します。
そうこうしているうちに作品をコラボしたり演奏会を開いたり、何となくアートに取り込まれていったりします。
やがてアーティストはいなくなってしまいますが、子どもたちには「アーティストの⚪️⚪️さん」と過ごした、何となく非日常な日々が思い出として残ります。

 

という、感じの取り組みです。

これをS市では、芸術文化振興事業の一環としてアーティストを招聘し、年に3校ほどの小学校で展開しています。

このように行政が教育や芸術文化に投資できるというのは、その都市の成熟度というか健全性というか、「こういう街で暮らしたい、子どもを育てたい」と思わせる指標のように思えます。

(実は、軽トラは影ながらこの事業の実行委員を名ばかりながら勤めておりまするのです…)

 

この取組も今年でめでたく10年を迎えました。

そして今日から、軽トラが今勤務しているH小学校でこの取組がスタートしました!

という訳で、この期間「おとどけアート」@H小学校をブログアップしていきたいと思います!

 

という予告編でした。

 

以下は3年ほど前に軽トラが勤めていた学校で行った「おとどけアート」のときにかいた文です。

もしよければ、

読んでいただき、興味をもってもらえると嬉しかぎりであります。

 

「おとどけアートが届けたものとは」

 

教室という箱が整然と廊下に沿って並び、箱の中で子どもたちがモクモクと読書をしている。

遠くからリコーダーの音色や水槽のモーターのカタカタという音が聞こえる。窓からの長い光が差し込み、廊下をせかせか歩く先生の影を映し出している。いつもの朝の風景。毎日繰り返される日常のスタート。

チャイムの合図でどっと子どもたちが動きだし、それぞれの活動を開始する。国語、算数。体育館へ移動して大好きなバスケットボール。

グラウンドで日向の温度を計る。町探検にスタートしたチームもいる。

小学校というところで働き始めて長い年月がたっているけれど、しみじみ「不思議な空間」だと感じている。

 

 読書もリコーダーも漢字も計算問題も町探検も、それら自体は何のかかわりもないものがたくさん詰め込まれていて、その中で子どもたちがぐるぐる動いている。

 先生という大人たちも真剣に鏡で光集めをしたかと思ったら、陶芸の窯を覗いたりもしている。なのに、誰も違和感をもたない不思議な場所。

 

 そこにアーティストが転校してきても、少なくとも子どもたちにとっては自然なことで、席替えで話をしたことのない子と隣同士になるくらいあり得ることで、同じくらいワクワクする日常の延長に違いないと思っていた。

 問題なのは大人側で、はっきり言って教師はよそ者嫌いが常なのだ。

 不思議な空間の中で、不思議ではあるが決まりきったルーティーンを繰り返す毎日を荒らされるのが嫌なのだ。

 ところが今回の取組ではその辺がびっくりするほど簡単にクリアされた。

 たまたま、うちの教師たちが子ども並みに好奇心旺盛で、心も頭も柔らかいすてきな人たちだったこと、コーディネーターの漆さんの話術が巧みだったこともある。

 若手コーディネーターの小林さんの行き届いた気遣いのおかげもあった。

 しかしやはり大きかったのはアーティスト小町谷圭さんの存在であったのだとおもう。

 こう言っては失礼だが、いかにも「芸術家」っぽい訳ではない。

 とっても普通で、隣のお兄さんみたいだったり、同級生みたいだったり、知らない人なのに前から知っていて、ずっと大好きだった人のような感じがする。自分たちを丸ごと受け入れてくれる空気感がある。

 なのに、アーティストとしての存在感も十分にもち合せている。

 謎なのだ。

 が、とにかく大人も子どもも、あっさり小町谷さんが大好きになってしまった。

 活動場所の、通称「金次郎ラボ」は常に程よい人数が、程よく和気藹々に、程よい活動を展開し、しまいにスゴイものを創り上げていった。

 

 小学校で繰り広げられる点の活動、例えば日向の温度計りや光集めもその先は、実は自然科学という果てしない世界に開かれている。しかし、その時は、子どもたちはそんなことを知る由もない。

 ところが「金次郎ラボ」では楽しい子どもたちの造形活動が一流のアーティストが展開するアートの世界へ開かれていることを極めて短い尺の中で実際に展開されていくということが起こったのだ。

 今回「おとどけアート」事業として、十分に成果をあげることができたのではないか思っていて、スタッフの方々にも感謝の気持ちでいっぱいである。

 と、ここまでは、私にとっては想定内の出来事だった。

 今回のアーティストと学校との出会いは、子どもたちの活動に特化することに留まらず、学校を今までのような虫の目で見ることから、パラダイムシフトを促す活動へと想定外の方向へと広がっていった。そしてそれは、私自身の意識の中では衝撃的なできごとであった。

 漆さんの学校を地域のコミュニティーのハブとして捉えていく地域づくりの理念。

 小町谷さんの均一な都市空間にあがなう空間「ヴォイド」と呼ばれる場の必要性を説く話。

 外の世界からの学校の見え方と、学校にもともと備わっている(備わっていたはず)の機能への気付き。中でも小町谷さんの提案にあるデジタルファブリケーション施設やミニFM等の放送機材を活用し、最終的には世界規模でつながり、全く異なる地域課題に取り組むという夢のような話があの「金次郎ラボ」から広がるとしたら何とすごい話なのか。

 科学者やデザイナーなど様々なジャンルの人がつながったり、子どもたちが跳び箱や掛け算九九の暗唱に取組むそばで、大型の3Dプリンターが最先端のものづくりしていることも現実に起きたりするかもと想像するだけでワクワクしすぎて小躍りしたくなる。

 今後、具体的な話にどうつなげていくか。この「金次郎プロジェクト」はまだ始まったばかりである。

 

 おとどけアートが届けたものとは何だろうか。

 子どもの笑顔やアイデアスケッチ、大人たちのびっくりしたけど楽しかったという声。

 今は校長室で冬眠中の「草水(そうすい)くん」。

 そして、私にとってのそれは、学校の新たな可能性=「ヴォイド」として、学校をどのように社会へ開いていくか、そのムーブメントを模索していくという命題であった。

 

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毛だらけcup and saucer. Moma(NY近代美術館)に恭しく展示されている。アートって、一体なんなんだ…と私たちに問いかけるのです。