katoreen101の日記

学校教育と授業研究・アートと猫と…あとはあれこれ

風と砂山の記憶5 〜「王国建設」の話〜

おはようございます。

 

昨日今日はセンター試験。

この時期の北海道の気候は日々変わりやすく厳しいものがあります。

今年はどうやら2日間ともまずまずのお天気で試験に支障がないようですが

試験前日に当たる一昨日はなかなかの吹雪でした。

交通機関にも支障が出ていたようです。

1日違いでよくなって良かったな〜

と思う反面、毎年思うこの疑問…

何でわざわざ1年で一番厳しい気候の時に行うんだろう??

と思うのは私だけでしょうか。

 

一昨日、吹雪の中、ちょっとだけ車で外出し、早速雪溜まりに突っ込んでしまった私。

 

吹雪になると

いつも

海辺の学校のことを思い出します。

そこは

冬は、ほぼ毎日吹雪

夏は、ほぼ毎日強い風が吹き荒れ

時折、底抜けに青い空にそよ風と小鳥のさえずりの声がきこえる

 

といったところでした。

 

そこで毎日砂だらけになって子どもたちと過ごした日々のエピソードを今日も書いてみたいと思います。

 

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当時、低学年を担任していた私は、図工や生活科などの授業のほとんどの時間教科書などは使っていませんでした。というか、使う暇などないほど、やることがいっぱいありました。

もっというと、

授業中も、遊びなのか図工なのか生活科なのかわからないような、

子どもたちの学びと生活が弾んでいるような時間でした。

 

そのひとつ、

子どもたちが大好きだった遊びに

「王国建設」

というのがありました。

学校の周りは砂地だったので穴を堀り放題でした。

休み時間になると、

グラウンドの端に水道の蛇口のある周りで何人かの子どもたちが砂を掘って山や川にみたてて遊び始めました。

水を流すと川になりとっても楽しいのです。

 

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穴を掘りながらいつも何かを探して何かを見つけるのです!

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水を流すと川の形がどんどん変わって楽しいのなんの!!


だんだん参加する子の数も増え、大がかりになっていきました。

気がつくと、子どもだけの力で半身がすっぽり入ってしまうような穴まで掘られています。

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「王国建設」はだんだん学校中に広まって、高学年の子どもたちや先生たちまでわいわいがやがや、みんなの楽しみになっていきました。

スポーツ万能な若手のH先生は特に熱心に一緒に遊んでいて、子どもたちから「王者」と呼ばれ、王国作りはやがて「王者建設」と名称変更されたりしました。

 

遊びは遊びなのですが、

この活動には

図工や生活科、理科の学習事項も実はふんだんにありました。

どこまでが遊びで、どこまでが勉強なのかと言われても、子どもにとって活動そのものは、すべてつながっているので区別はつきません。

というか、

そもそも区別はなく、活動の中に教科での学びがそこ此処に

「埋め込まれている」

ようなものでした。

そして

教師が「埋め込まれているものをピックアップ」

して

「どうしてかな?」とか

「他の子たちの王国も見てみたら?」

などと問いかけることが学びにつながるということに気がついていきました。

 

さて、「王国建設」はあまりにも大工事になってしまい、危険かも…ということになりしばらくしてやめさせることになり、あえなく消滅してしまいました。

 

すると今度は砂山の茂みで基地作りが始まったことを覚えています。

 

とにかく、自然の中で遊ぶことにおいて子どもたちは飽きることなく

いつも新鮮な驚きや発見を繰り返し、目を輝かせていたように思います。

 

それは私も同じでした。


 

風と砂山の記憶4 〜「お魚」続編

皆さま

あけましておめでとうとございます。

良いお年をお迎えでしょうか。

 

私の住む北国のS市はここ数年の例にもれず、雪の少ない新年を迎えています。

昔はもっともっと雪の量も吹雪の回数も多かったように思うのは気のせいでしょうか。

 

 

さて、年末書類の山を整理していて、

昔の実践記録

を見つけました。

 

中でも、風と砂山の記憶の時代のものはとても懐かしく、片付けの手を止めてしばらく見入ってしまいました。

この頃はもうワープロなど出回っていた時期なのでしょうが、手書きの物が出てきてびっくり、

おそらく写真の取り込みなどややこしかったのでいっそ手書きにしていたのでしょう。

でも、今見ると味わい深い感じがします。

 

前回書いた写生会の記録もありました!

 

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前回の記事は記憶を基に書いたのですが、記録を見てさらに色々思い出しました。

中には記憶違いの部分も結構あったので、前回の話を追記してみたいと思います。

(だいたい、アカハラとウグイは同じ魚だし…笑)

 

はじめは、子どもたちが自ら繰り広げる自然の中での学びの面白さを後追いしていた私でしたが、次第に

「こうすれば、子どもたちは目を輝かせてやるのではないだろうか!」

「この素材は何かの学習に使えるのではないか。」

ということを考え始めました。

きっかけが起きるのを待つばかりではなく、

そうなる状況を意図的に作っていく

ことも大切だということにすでに気がついたのです。

つまり

仕掛ける

ということを始めていたのです。

 

この写生会の取組も実は単に思い付きと言う訳でもなく、私なりの意図をもって取り組んでいた、という事が当時の資料を見てわかりました。

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当時の資料。手書きです。

 

実践記録をそのまま引用します。

 

 「おさかなをかこう」〜全校写生会1年生〜

⚪️試みとして…

教師となって11年目にして初めてもった1年生。しかも中学校から小学校へ来た私にしてみると、彼らは全く宇宙人。言葉が子どもに伝わらず、反応のなさにとまどうことが少なくありませんでした。図工の時間も、長い事、作品主義のはしくれだった私はすっかりこまらせられてしまいました。一方的な技法指導は完全に肩透かしをくらいます。彼らを観察していくうちに次のような事に気が付き始めました。 

・子どもたちにとって、作品はそれをつくる動機や、つくる過程が重要であり、出来栄えをみる友達や先生の目を気にする事がない。 

・題材が身近ものであったり、自分の経験(それもできるだけ最近もので、新鮮なもの)に即したものである必要がある。

 

ものの本を読むと以上のような事は書いてるのですが、それは子どもをまのあたりにして私が体得したことでありました。

全校写生会で、ぜひそれらの条件を満たす題材を、と思って考えたのが「おさかなをかこう」です。

 

⚪️何故、お魚なの?

この地域は古くは漁場として栄えたところ。今ではすっかり漁家は少なくなったものの、学校の近くの古い家並みの中には昔ながらの「魚屋さん」が数軒あり、その中でも老舗の一軒は、我クラスの大ちゃんのお家なのです。

大きな生け簀に生きた魚を泳がせている魚屋さんは子供達をワクワクさせるに違いありません。そこでキラキラのお魚を学校に持ち帰って描こうということになりました。

 

⚪️いざ出発!!

「さあ、今日は、大ちゃんのお魚屋さんに出かけていって、お魚を買ってみんなで描こう!」

「やった〜!」

「おもしろそう。」

「僕の好きな魚買ってくれる?」など…

養護教諭の宇佐美先生も事務生の梅津さんも「おもしろそう」とご一緒することになり、ぞろぞろみんなで出発です。

 

⚪️魚屋に着いて

「ごめんくださーい!」大声を張り上げる子供達が商売の邪魔になりはしないかと、終始オロオロする私のことを知ってかしらずか大はしゃぎの子供達。

「イカもいいねえ。」

「ほんとだ茶色だ。」

「これ買って帰ろ。」

茶色のイカは鮮度がいいのでお刺身用です。当然高いのです。むむっ…大ちゃんのお母さんに協力してもらって

「イカ」

「アカハラ」

「シャケ」(なんと子持ち!)

を持ち帰ることにしました。

 

⚪️学校について 〜さわってみよう〜

教室の隣の「プレールーム」で床に新聞紙やブルーシートを広げその上にお魚を並べました。お魚の周りでわいわいがやがや

「目玉がギロリとこっちを見たよ。」

「イカの足、10本ある。」

イタズラっ子のかず君が、こっそりアカハラの赤い腹をさわっています。私がその様子を見ていることに気づき、パッと手を引っ込めました。てっきり私が注意するとみんながこっちを見たとき、

私はニヤッと笑ってこういいました。

「さわれ、さわれ、どんどんさわれ。」

 

⚪️さあ描こう!〜意欲の高まりを待って〜

さわっていいよと言われたので、さあ大変。

「ヌルヌルだあ。」

「ウロコザラザラ。」

大騒ぎです。みんな楽しそう。そのうち絵を描くのが大好きなワタル君が

「先生、早く描きたいよ、描こう、描こう。」

この言葉で

「それじゃ、描きましょう!」

スタートです。

「やったー!」

先ほどの大騒ぎが嘘のように、子供達は熱心に描き始めました。しばし静寂…私はニコニコ笑っているだけでしたが、内心、部屋のあまりの生臭さに気絶しそう。「外でやればよかったかな。」ともかく、画用紙の上には、生き生きとお魚たちが描かれていきました。

 

 ⚪️どっちが強そう?〜子どもの疑問に答える〜

数名の子どもの集中力はそう長くは続きません。

やがてそわそわし始めます。ヤマト君は、隣で一心不乱に描いているたけし君の絵と自分のを見比べて首を傾げています。たけし君は画用紙いっぱいにシャケを力強く描いています。

それに比べ、シャケもアカハラもウニもあるだけちょこちょこ描いている自分の絵がなんだか変だなあと思ったのです。

こういう時こそ私の出番。

すかざず2人の絵を借りて「二つの絵を比べてみよう。」と問いました。子供達からは早速反応がでます。

「たけし君のは大きくて強そう。」

「そうだね。大きく描くと強そうで格好いいね。」

「ぼくももっと大きく描こうかな。」

起動修正を始める子も数名いました。ヤマト君も何となく納得した様子で、裏にもう一回といってやり直していました。しかし、多くの子はそんな投げかけはお構いなしで、自分のいいように描いています。それはそれでいいのです。

 

 ⚪️イクラが出てきた!

シャケを熱心に撫でていたゆうや君が

「先生、大変だ、お腹からイクラが出てきたよ。」

と大急ぎで教えてくれました。お腹をあんまり押し付けたのではみ出したのでしょう。これでまた大騒ぎ。多くの子の絵にイクラが登場するのです。このように子どもは驚いたこと、見たことをすぐに絵に表すのです。 

 

⚪️作品ができて

途中、たっぷりの休み時間や楽しいお弁当の時間を経て、作品が出来上がりました。最後ははじめて絵の具を使って背景を塗りました。

帰りの会で「今日は楽しかったですか。」

という問いかけに全員が

「とても楽しかった!」と答えていました。 

この年代の子どもは見たものではなく、知っていることを描くといいます。それは確かに当てはまるということが子どもの作品からもわかりますが、中には

「見て描こう」

とする意欲の芽が湧き出ている作品があることも見逃してはならない、と思いました。

また、触りたい、という欲求を満足させたせいか、普段投げやりで乱雑担ってしまいがちだった子の中に、大変力のこもったものが出てきたのも成果でした。使った魚は料理して子どもたちに食べさせられたらよかったのですが、時間的に無理がありできなかったので残念でした。 

 

(当時の実践記録から)f:id:katoreen101:20190107105700j:plainf:id:katoreen101:20190107105336p:plain

 

20年数年前の自分の文を懐かしく思いました。

「楽しかったですか?」なんて聞いたら「楽しかった。」って答えるに決まっているだろ〜と当時の自分につっこみを入れながら、苦笑して読み返しました。

 

まだ自分自身が「対象を大きく描かせたい。」という思いを払拭できていないようでもありました。

 

絵の中に、子どもの思いや、描かれたストーリーの豊かさがどれだけ溢れ出ているか、そんな尺度で子どもの作品を観るということに、当時も気づいてはいたと思うのですが、

まだ自信をもって記述するに至っていなかったということがうかがえます。

 

…それにしても、散々触ったお魚を料理して食べてしまおうなどと考えていたのことにビックリ!

今なら論外、当時だって、自分が校長だったら冷や汗ものです!

 

とにもかくにも、 自由な時代、

自由な私、

そしてそれを暖かく見守ってくれた同僚たちには改めて

 

感謝です。

 

 

風と砂山の記憶3 〜「お魚」を描いた写生会のこと〜

こんばんは。

 

今日も海辺の小さな学校での話です。

ラデッシュの話の少し後の事だったと記憶しています。

 

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 最近はほとんど見なくなった学校の取り組みの一つに

「写生会」

というのがありました。

 

かつてはどこの学校でも取り組んでいて、

私が在籍していた平成の初めの頃はこの学校でも全学年で取り組んでいました。

 

低学年は「灯台」、

中学年は「八幡神社」、

そして高学年は「廃船」

と描くものがずっと決められていました。

 

どれもこの地域ならではの独特なモチーフです。

 

特に、石狩川の河口にうち捨てられたような「廃船」は見上げるような大きなものが何隻もあり迫力満点、様々な画家の題材にもなっていて有名なスポットでした。

 

低学年の担任だった私は

「灯台」もいいけれど同じような絵になるし、

 

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何か他のものはないか思案

していました。

 

子どもたちにとって、写生会の日は描くだけではありません。

学校から灯台のあるところまでの結構な道のりの砂の上を歩いたり転がったり、

ハマナスの実をつまんでぶつけ合ったり、

潮風に向かって大きな声で歌ったり。

絵はそのついでに描いちゃおうというような1日です。

その行き帰りや描いている最中の遊びの方が楽しいのです。

今考えると、実にのどかなものでした。

 

ものを観て描くのもいいけれど、せっかくだったら、何かを体験し、それをまるごと描く対象にするのも面白いのではないかと考えました。

 

地域にどんなものがあるか考えているうちに、

クラスのAちゃんの家が鮮魚店であることを思い出しました!

 

そこで、色々な魚を見せてもらい、魚を描くのも海辺の学校らしくていいのでは、と単純に思い付いたのです。

 

さっそくAちゃんのおうちに子どもたちと出向いてもいいかを相談し、

快諾を得て写生会をすることになりました。

 

Aちゃんのおうちの鮮魚店には大きな生け簀があり、近くの漁港で上がったばかりの魚が泳いでいます。

 

陳列台にはいろいろな魚がギョロリと目をむいて並んでいます。

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「うあ、こっちを見てるよ!」

「おおっきな口、食べられちゃいそう~!」

「ふっくらおなかが黄色くてかわいいのもいるよ。」

 

子どもたちは大はしゃぎです。

 

「触っちゃダメだよ!見るだけだよ。」

何せ売り物だし、はしゃぐ子どもたちを落ち着かせるのも大変です。

 

町の魚屋に来るだけでも、

みんなで来るとこんなに楽しいのだなと思いました。

 

近海で捕れる、特に珍しくはない魚ですが、

みんなで観ているといろいろな発見があるようです。

 

店先で描くというのも落ち着かず、

店主のAちゃんのお父さんが

「これ持って帰りな!」

といって、店では売り物にはならないらしい

「あかはら」や「うぐい」、少し傷のある「いか」等を分けてくれました。

そこで、みんなで手分けして学校に持ち帰り、教室のブルーシートの上に並べて描こうということになりました。

 

学校に着くとするとまたも大騒ぎ。

店先では

「触っちゃダメ!」

と言われていた魚も

学校に戻ると触り放題!

 

「あー、海の中だ!お魚泳いでる~~!」とシートの上でお魚と遊び始める子どもたち。

手づかみでシートの上を滑らせたり、ヌルヌルしているのも気にせずに、持ち上げて見上げたり、もうてんやわんやです。

 

鱗もはがれてブルーシートの上もギラギラギトギト…

 

あ〜〜、もう…もう…

 

端で見ていた私はあまりの生臭さに

すでに「持って帰らなければよかった…」

とひどく後悔しました。

 

そんなことには一切構わずに、ころころと遊んでいる子どもたちを見て、はらはらながら

「よし、写生会だからお魚たち、描こうか…」

というのが精一杯でした。

 

「うん!描きたい!!」

と子どもたちは屈託無く楽しそうにお魚たちを描き始めます。

 

弾むように隊列を組んだウグイたち。

向かい合って言い争っているようなアカハラ。

たくさんの足を前後左右に振ってダンスしているイカ。

実際にはない岩や海藻を描いている子もいます。

一緒に泳いでいる自分を描く子もいます。

 

ブルーシートの海は子どもたちの想像の中で、自分たちとお魚たちのファンタジーの世界になり、思い思いの姿に描かれていきました。

 

子どもたちは自分たちの体験と想像を織り交ぜながら描いていきました。

 

すべての子が、自分らしい作品を描いていきました。

どれも傑作でした。

生臭いのも忘れ、私も楽しくなって、絵を見ながら子どもと色々な話をしました。

 

中には

「先生、イカはすごいんだよ、かっこいいよ!足がね、なんと10本もあるの。足に付いているぶつぶつはこんなにいっぱい。耳の形はね…」

と言いながら、とても低学年とは思えないほど写実的に描いている子もいました。

その子は、

何度も何度もイカを触りながら実に深く観察していました。

教師が

「いいですか、よく観て描くんですよ。」

などと言わなくても、

そうしたくなる状況次第で、「観る」し、「描く」のだ、ということは本当なのだと思いました。

 

それまで私は、

巷で言われるように

子どもには発達段階があり、ステップを踏みながら発達していくという考え方に知らず知らずに縛られていました。

 

しかしその日

 

それまで幼い頭足人を描いていた子が、

いきなり大ジャンプ、大人顔負けの写実的な絵画を描いてしまう事にあっけにとられてしまいました。

見つけた事を見つけた通りに描きたい、と願った時に

自らの願いを叶えようと、

それまでの自分をヒョイと越えていってしまう事があるのだ

 

という事実を知りました。

 

 

正直、楽しかった事を生き生きと描ければいいなくらいに思っていた私。

そんな、子どもを見くびった私の予想をあっさり越えていったパワフルな一枚一枚の作品。

 

教室に立ち込める生臭さをしばし忘れ、

その日、またも起きた事、見た事をどう考えたらいいのだろうと考えていました。

 

それまでの固定観念を覆し

心から

教師は子どもの力を信じて、

委ねて、支える

存在であるべき

と自信をもって言えるまでには、それからそんなに時間は掛からなかったと記憶しています。

 

 

夕方、魚まみれの教室の真ん中で呆然としていた私を同僚が心配して、一緒に魚を片付けてくれました。

 

あとで

「あんなに臭い教室の中で、にやにや笑って絵を観ているぞ、いよいよこいつ、おかしくなったのか?と思ったよ。」

と大笑いされました。

 

私のほんの少し型破り?な取り組みを

「面白い奴が、面白い事をやっているぞ。」と

いつも支えてくれた同僚たちがいてくれた事は

実はとても大きな事でした。

 

今思い返しても

支え合えた同僚に恵まれた事は、一番大事な事だったかもしれません。

 

風と砂山しかない殺風景な学校。

 

それはやがて私にとって

素朴な子どもたちと心優しい同僚たちから、たくさんの宝を見つけ出す喜びに満ちた

 

学びの原風景となっていきました。

 

 

 



「ボヘミアンラプソディー」でback to the teenager #Queen

 

突然ですが皆さん、

映画「ボヘミアンラプソディー」

は観ましたか?

 

twitter.com

 

軽トラは、一昨日観に行ったのですが、

ずーっと

 

頭の中にフレディマーキュリーの声が響き続けています。

 

炎のロックンロール

Killer Queen

Don't stop me Now

Redio Ga Ga

 

そして

Bohemian Rhapsody

 

ブライアンメイのギターが

ロジャーテイラーの叩き出すビートが

ジョンディーコンのリフが

頭から離れません。

 

 

クイーンのデビューした1973年、軽トラは16歳、

初来日した75年4月は17歳

 

青春真っ只中だったのです!

メンバーの中でとびきりのイケメン、ドラムスのロジャーの大大ファンで

なけなしの小遣いでLPレコードを買い

ロック喫茶に通い

 

学校でも、休み時間には女友達とどんなに彼らがかっこいいか語り合っていました。

 

 

でも

当時、雑誌「ミュージックライフ」の編集長だった東郷かおるこさんがNHKのSongsのインタビューで言っていたように

「女性ファンはルックスの良さだけでファンになるわけではない。」

のです。

 

全くその通り、クイーンはすごかった!

 

彼らの奏でる音は、

まるで宝箱から輝く色の鉱石や絹糸が次から次へと溢れ出てきて

モノクロの退屈な現実をあっという間に飾り付ける魔法のようでした。

 

当時、軽トラの住む街には「B♭」とか「Bossa」というジャズ喫茶があり、背伸びをして時々行ったものでした。

そういうところは大人になったような気がして粋がって行くところでした。

 

「ゆうてん堂」(どういう漢字だったか忘れてしまいました…)というロック喫茶もあり、そこにも、もちろん「粋がって」足を運んでいました。

 

大音響で聴くロックンロール。

 

ある日、そこで聴いた

「Killer Queen」

衝撃的!

 

あたり一面を輝かせるような音の重なり、ここはどんな世界なのだというイマジネーションを掻き立てるリズム。

あなたがこれから生きる世界は彩りに満ちていて、見知らぬ未来を祝福するようなサウンド。

 

 

東郷元編集長が言う通り、「ルックスだけでファンになる」訳では全くなかったのです。

 

今でも軽トラは

人の心を動かすのは最終的には

「アートしかない。」

と信じています。

 

それを最初に予感させてくれたのは

10代の頃に出会った

最高のアーティスト

「Queen」

だったと映画「ボヘミアンラプソディー」が思い出させてくれました。

 

 

そしてもう一つの話題、

 

札幌在住のアーティスト

「つれづれざうし」の年に1回のライブが

昨日ありました!

 

もう彼らを誰も「おじさんバンド」などと呼ばせません。

私を含めた観客みんな心を揺さぶられ「元気」をもらいました。

 

さあ、「元気だしていこうぜ!」

 

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おぎさん、しょうさん、女性は決してルックスだけでファンにある訳ではありません!



今日はリードボーカルおぎさんの歌声が

フレディの声と混ざって私の頭をかき回してくれています!笑

 

turedurezaushi.at.webry.info

 

 さあ、元気だしていこうぜ!

 

風と砂山の記憶2 〜海辺の小さな学校.図工の時間のこと〜

もうずいぶん昔の話なのですが

軽トラは新卒で道央の中都市の大きな中学校に勤めました。

教科は美術。

 

軽トラはグラフィックのデザイナーになりたくて美術系の学部のある大学に進学しました。

ところがそこは教育大学で、周りのみんなが教員採用試験を受けている勢いに巻き込まれ、なんとなく教師になってしまいました。

今考えてもずいぶんいい加減な動機で教師になったものだと我ながら呆れてしまいますが、

そんなこんなで、ヤンキーみたいな中学生がゴロゴロいる中学校の新米教師になってしまいました。

校内暴力VSゼロトレランス

みたいな大変な学校でした。

指導力のない教師は必要ないといわれ、いうことをきかせられないと教師としての自分の居場所がなくなる世界でした。

だから、「教師は子どもに絶対になめられてはいけない!」と虚勢を張り詰めて仕事をしていた訳です。

 

 

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そんなところを経て異動してきた海辺の小さな小学校。

 

流れる時間も、空気も、空間も全く違う世界でした。

そこで過ごすうちに

学校は未熟な子どもに知識やしつけを教えるところ。教えやすいようにいうことを聞かせるところ、と思っていたことが

「なんか、違う気がする…」

と思うようになってきました。

 

やがて、子どもたちと日々ふれあい、日々語り合い、成長の仕方を観ている中で

「絶対に、違う!」

という思い変わっていきました。

そう思わされたエヒソードを綴っていきたいと思います。

 

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低学年の図工の時間のことです。

前庭に出て、草花の絵を描くことになりました。

子どもたちは何を描こうか各自物色中。

 

その最中、ある子どもが2、3週間前に植えたラデッシュの葉が大きくなっていることに気づきました。

 

「ねえ、みんな、見て見て!こんなに葉っぱが大きくなっているよ!ねえ、先生引っこ抜いてもいい!?」

と言い終わらないうちにその子は勢いよくラデッシュの葉を引っ張りました。

するとどうでしょう!思いもよらないほど大きくなった赤紫のラデッシュが飛び出してきたのです。

「うわー!大きいよ、大きいよ!」

 

その子の声につられて集まってきた子どもたちもびっくりして

「本当だ!すごいすごい!!」

と大騒ぎになり、あっという間にラデッシュの収穫大会になってしまいました。

土を落とそうと、外の水道でラデッシュを洗うとまた歓声が上がりました。

「あっ、きれい!真っ赤だ真っ赤だ!」

水の勢いで土が飛び、ラデッシュの鮮やかな色が現れて陽の光できらきら輝いていました。

「先生、ラデッシュ描きたい!!」

「わたしも!」

子どもたちは夢中になって、画用紙いっぱいに真っ赤な二十日大根を描き始めました。

 

赤いクレヨンが足りなくなった子は

「よく見ると、茶色や青のところもあるよ。」と言いながら、

 

実を大きく描きすぎてはみ出してしまった子は

「葉っぱも描きたいから画用紙を足して描こう。」

 

などと、迫力満点の絵が出来上がっていきました。

描きあげた時の子どもたちは満面の笑顔、満足そうでした。

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私はその出来事に深く感動してしまい、

子どもたちの作品を眺めながら涙が出てしまいました。

「いいかい、みんな。絵はね、大きく描くんだよ。画用紙の真ん中にね。色はしっかり塗りましょう。」

などという、

見栄えのいい絵を描かせるための指導は、大人の勝手な都合に過ぎなかったのだ、

と心底思いました。

 

その絵を廊下に掲示したところ、他の学年の先生たちからも驚きの声が上がりました。

「すごい!こんなに迫力のある絵、どうやって指導したの?」

と尋ねられました。

 

「指導したというか…していないというか…。とにかく、子どもたちの持つ力に私も驚くばかりなんです。」

と、答えるのが精一杯。

 今もその答えを探し続けて続いているような気がします。

 

とにもかくにも、

子どもは自分の経験や感動や思いを描きたいように描く。

思いを表現するために図工の時間がある、

ということを

 

私はこの日

子どもから学びました。

 

子どもがいれば、日々何かが起きて大変ではありましたが、少し見方を変えただけで、それ以上に素晴らしい発見がある。

 

そんな海辺の学校での話を少しずつ書いていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

風と砂山の記憶1 海辺の小さな学校でのこと〜

今日は昔話です。

  昭和の終わりから平成の初めくらいにいた、海辺の小さな学校の話です。

 

30年も前なのに、初めてその学校に行った日のことを今でも、やけに鮮明に覚えています。

 

3月末だというのにまだ深い雪の中。

 

石狩川の河口に向かって国道を抜け、行けども行けどもたどり着きません。

これ以上行ったらもうその先は海、というところを左に曲がれという案内に沿ってみたものの、目の前に広がったのはだだっ広い砂地。

周りには、枯れた海浜植物の茎が強い風に煽られて激しく穂先を揺らしています。

砂が右に左に舞い上がり、その光景を霞ませていていました。

 

 荒涼としたモノトーンの世界。

 

間違えたかな、と思った途端、学校らしき円形の変わった建物が目に入ってきました。

それが、私がその後6年間勤務することになったI小学校の校舎でした。

 

 

よく見ると、だだっ広い砂地の端に鉄棒やらタイヤで作られた遊具などに塗られた赤や黄色の点が目に入ってきました。

ただの砂地だと思ったのは学校のグラウンドだったのです。

 

グラウンドの海側には海岸段丘である砂山が連なり、かろうじて海岸とグラウンドを仕切っていました。

 

缶詰のような円形の校舎に入ると、玄関ホールのど真ん中にいきなりアザラシの剥製。ガラスの目玉がこちらを睨んでいます。

 

オイルがたっぷりと染み込んだ木製の床板はかなり年記が入っている様に見えました。

 

この頃は、すでにどこの学校も鉄筋コンクリートの四角い校舎で、床もほとんどが樹脂製のタイルなどになっていましたので、とても古臭く感じ、レトロを通り越し、ちょっと不気味な感じさえしました。

 

古いのは校舎だけではありません。

玄関前には「二宮金次郎」の石像が立っていて、その台座には「昭和17年建立、開校70周年記念」と彫られているではありませんか。

 

…ということは、その当時でも、かれこれ開校120年近い計算になるではありませんか。

 

I小学校は、歴史も北海道では最も古い学校の一つ。

この地域は明治の初め、ニシン漁で繁栄していたそうです。

しかし、その頃の賑わいの片鱗はもはや全く見当たりません。

 

 

その時は、

はっきり言って

「えらいところに来てしまったものだ…」

「こんなに自然の厳しそうなところで勤まるのだろうか…」

という心から思いました。

 

本当に最悪の出会いでした。

 

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そしてその6年後の3月。

「何事にも代えがたい、素晴らしい宝ものを授けてもらった。」

という思いを抱きこの地を離れ、大都市の学校へ異動しました。

 

ここでの思い出は、今でも教師として、ここまでなんとかやってきた

私の「学びの原風景」

です。

 

それは、

この厳しい自然の中で逞しく生きていた子どもたちとの出会いがあったからこそでした。

 

タイムスリップしたようなこの校舎には、130人ほどの子どもたちが通っていました。

1年から6年まで1クラスずつで、子どもたちは幼い頃からお互いをよく知っていました。

 

仲良くしていたかと思うと、よく喧嘩もしていました。

 

夏でも、風が吹くと砂嵐のようになるので、休み時間から帰ってくると皆んな鼻の穴が真っ黒、

お互い顔を見合わせて大笑い、なんてことは日常の風景でした。

 

教室の中はいつも砂だらけ。その砂を掃除をしても古い木の床板の隙間に入り込んでしまい、まったく掃除のしがいがありません。

 

短い夏の間もほとんど強い風が吹いていました。

しかし、珍しく風のない晴れの日は、厳しい自然が一点しました。

真っ青な空に心地よい潮風がたなびき、本当に爽快です。

 

そんな日は教室から飛び出して半日砂山で遊びました。

 今のようにやらなければならないことに追われず、やりたいことをやりたいようにできました。

 

そんな、ある日のこと。

 

2年生の子どもたちと砂山でいつものように遊んでいると、

一人の子が

「先生、砂があったかいよ!ほら、触ってみて。」と大発見をした、とでもいう様に言いました。

「ほんとだね。どうしてだろう。」と聞くと、その子は空を見上げ

「お日様が当たっているからだ!」と嬉しそうに言いました。

他の子が

「じゃあ、当たっていないところはどうなんだろう。」

と言い出し、クラス中の子たちが暖かい砂とお日様の関係を巡って様々なところを調べ始め、もう大騒ぎです。

 

そういえば理科室に温度計があったことを思い出して持ってくると、子どもたちは今度は初めて見る温度計の読み方に興味津々!

 

読み方を教えると

「丁寧に扱ってね、割らないでね。」

と言う私の言葉を尻目に、子どもたちは使い方を覚えたばかりの温度計でグラウンドのあちらこちらの温度を測り、日照との関係を解き明かし始めました。

 

3年生の理科に「日なたと日かげ」という単元がありましたが、子どもたちは遊びの中いつのまにか学んでいってしまいました。

 

教師の私がしたことは

いい天気だったので皆んなで外に行こうと提案して、

「砂があったかい。」と気づいた子に「どうしてだろう。」と問い、

温度計を持ってきて目盛りの読み方を伝えただけでした。

 

教室に閉じこもり、教科書の内容を流し込むことが、勉強を教えること、それをしっかりやるのが教師の仕事だと普通に信じていた私。

 

ゆっくりした時間と、コロコロとよく遊ぶ子どもたちと、一見何もない、果てしなく殺風景ではあるけれど、実は宝の山のような豊かな自然。

 

その中で、ちょっとした働きかけがあれば、子どもたちが「自分で学ぶ」のだ、ということに次第に気づいていきました。

 

そして更に色々な経験を積む中で、

子どもは「未熟で何もできない」から「教師が授けてやるのだ」という考え方は間違っている

ということがわかってきました。

 

あれから30年近く経って、様々な学校の仕事をいろいろな立場でしてきましたが、その時の「気付き」は、一貫して自分の考え方の元になっていたと今感じています。

 

風と砂山の記憶は今でも自分の「学びの原風景」として忘れることができません。

 

海辺の小さな学校でのエピソードを少しずつこれから書いていきたいと思っています。

 

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転校生はアーティスト!〜おとどけアート事業のお話〜

こんばんは

初雪がいつ降るのかと思いながらもう11月も半ばになってしまいました。

軽トラの住んでいるS市は、いつもの年なら10月の末には初雪、今頃は積もったりしているのに今年は記憶にない雪の便りの遅い年です。

 

さて

今日は

「おとどけアート」という事業

を紹介します。

 

ある日、小学校にアーティストが転校してきます。
アーティストは空いてる教室で何やらモゾモゾやっています。
時折教室にも現れたり、休み時間は一緒に遊んだりもしています。
「何をしている人なんだろう。」と興味をもった子どもたちは、アーティストの仕事を覗きに来て、やがて一緒にモゾモゾやり出します。
そうこうしているうちに作品をコラボしたり演奏会を開いたり、何となくアートに取り込まれていったりします。
やがてアーティストはいなくなってしまいますが、子どもたちには「アーティストの⚪️⚪️さん」と過ごした、何となく非日常な日々が思い出として残ります。

 

という、感じの取り組みです。

これをS市では、芸術文化振興事業の一環としてアーティストを招聘し、年に3校ほどの小学校で展開しています。

このように行政が教育や芸術文化に投資できるというのは、その都市の成熟度というか健全性というか、「こういう街で暮らしたい、子どもを育てたい」と思わせる指標のように思えます。

(実は、軽トラは影ながらこの事業の実行委員を名ばかりながら勤めておりまするのです…)

 

この取組も今年でめでたく10年を迎えました。

そして今日から、軽トラが今勤務しているH小学校でこの取組がスタートしました!

という訳で、この期間「おとどけアート」@H小学校をブログアップしていきたいと思います!

 

という予告編でした。

 

以下は3年ほど前に軽トラが勤めていた学校で行った「おとどけアート」のときにかいた文です。

もしよければ、

読んでいただき、興味をもってもらえると嬉しかぎりであります。

 

「おとどけアートが届けたものとは」

 

教室という箱が整然と廊下に沿って並び、箱の中で子どもたちがモクモクと読書をしている。

遠くからリコーダーの音色や水槽のモーターのカタカタという音が聞こえる。窓からの長い光が差し込み、廊下をせかせか歩く先生の影を映し出している。いつもの朝の風景。毎日繰り返される日常のスタート。

チャイムの合図でどっと子どもたちが動きだし、それぞれの活動を開始する。国語、算数。体育館へ移動して大好きなバスケットボール。

グラウンドで日向の温度を計る。町探検にスタートしたチームもいる。

小学校というところで働き始めて長い年月がたっているけれど、しみじみ「不思議な空間」だと感じている。

 

 読書もリコーダーも漢字も計算問題も町探検も、それら自体は何のかかわりもないものがたくさん詰め込まれていて、その中で子どもたちがぐるぐる動いている。

 先生という大人たちも真剣に鏡で光集めをしたかと思ったら、陶芸の窯を覗いたりもしている。なのに、誰も違和感をもたない不思議な場所。

 

 そこにアーティストが転校してきても、少なくとも子どもたちにとっては自然なことで、席替えで話をしたことのない子と隣同士になるくらいあり得ることで、同じくらいワクワクする日常の延長に違いないと思っていた。

 問題なのは大人側で、はっきり言って教師はよそ者嫌いが常なのだ。

 不思議な空間の中で、不思議ではあるが決まりきったルーティーンを繰り返す毎日を荒らされるのが嫌なのだ。

 ところが今回の取組ではその辺がびっくりするほど簡単にクリアされた。

 たまたま、うちの教師たちが子ども並みに好奇心旺盛で、心も頭も柔らかいすてきな人たちだったこと、コーディネーターの漆さんの話術が巧みだったこともある。

 若手コーディネーターの小林さんの行き届いた気遣いのおかげもあった。

 しかしやはり大きかったのはアーティスト小町谷圭さんの存在であったのだとおもう。

 こう言っては失礼だが、いかにも「芸術家」っぽい訳ではない。

 とっても普通で、隣のお兄さんみたいだったり、同級生みたいだったり、知らない人なのに前から知っていて、ずっと大好きだった人のような感じがする。自分たちを丸ごと受け入れてくれる空気感がある。

 なのに、アーティストとしての存在感も十分にもち合せている。

 謎なのだ。

 が、とにかく大人も子どもも、あっさり小町谷さんが大好きになってしまった。

 活動場所の、通称「金次郎ラボ」は常に程よい人数が、程よく和気藹々に、程よい活動を展開し、しまいにスゴイものを創り上げていった。

 

 小学校で繰り広げられる点の活動、例えば日向の温度計りや光集めもその先は、実は自然科学という果てしない世界に開かれている。しかし、その時は、子どもたちはそんなことを知る由もない。

 ところが「金次郎ラボ」では楽しい子どもたちの造形活動が一流のアーティストが展開するアートの世界へ開かれていることを極めて短い尺の中で実際に展開されていくということが起こったのだ。

 今回「おとどけアート」事業として、十分に成果をあげることができたのではないか思っていて、スタッフの方々にも感謝の気持ちでいっぱいである。

 と、ここまでは、私にとっては想定内の出来事だった。

 今回のアーティストと学校との出会いは、子どもたちの活動に特化することに留まらず、学校を今までのような虫の目で見ることから、パラダイムシフトを促す活動へと想定外の方向へと広がっていった。そしてそれは、私自身の意識の中では衝撃的なできごとであった。

 漆さんの学校を地域のコミュニティーのハブとして捉えていく地域づくりの理念。

 小町谷さんの均一な都市空間にあがなう空間「ヴォイド」と呼ばれる場の必要性を説く話。

 外の世界からの学校の見え方と、学校にもともと備わっている(備わっていたはず)の機能への気付き。中でも小町谷さんの提案にあるデジタルファブリケーション施設やミニFM等の放送機材を活用し、最終的には世界規模でつながり、全く異なる地域課題に取り組むという夢のような話があの「金次郎ラボ」から広がるとしたら何とすごい話なのか。

 科学者やデザイナーなど様々なジャンルの人がつながったり、子どもたちが跳び箱や掛け算九九の暗唱に取組むそばで、大型の3Dプリンターが最先端のものづくりしていることも現実に起きたりするかもと想像するだけでワクワクしすぎて小躍りしたくなる。

 今後、具体的な話にどうつなげていくか。この「金次郎プロジェクト」はまだ始まったばかりである。

 

 おとどけアートが届けたものとは何だろうか。

 子どもの笑顔やアイデアスケッチ、大人たちのびっくりしたけど楽しかったという声。

 今は校長室で冬眠中の「草水(そうすい)くん」。

 そして、私にとってのそれは、学校の新たな可能性=「ヴォイド」として、学校をどのように社会へ開いていくか、そのムーブメントを模索していくという命題であった。

 

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毛だらけcup and saucer. Moma(NY近代美術館)に恭しく展示されている。アートって、一体なんなんだ…と私たちに問いかけるのです。